(☆☆☆☆)
非合法インターネット接続計画はほぼ合法的に解決。 工事中のひとをつかまえて、「ここに穴あけてあけて〜」と いったらあけてくれた。めでたし。
購入品
今日も今日とてたかる。 飲みすぎで気分悪し。また明日。
ちょっとうまく表現できないが、 「パソコン」という言葉がもう古くさく、実状にあわない言葉になっている ことに気づく。(「マイコン」という言葉はとっくの昔に死んだな)
パーソナルコンピューターってのはパーソナルでないような コンピューターに対して言われるのだろうが、 スーパーコンピューター(「スパコン」が定着しなかったのはめでたい) --メインフレーム--ミニコン--ワークステーション--(色々あるなあ) と対比されるようなものだとはもはや思えない。研究室のマシンなんか ぜんぜんパーソナルじゃないしね。 とりあえずこれを読んでいるひとの大半は、自分の目の前にあるものは WINDOWSマシン(あ、PCか)、Macであって、さらにそれを なんらかの「端末」と意識しているのではないかと思う。ちがうか。
家で使っているキーボードの「A」のキーが沈んだままに なってしまいアセる。(なんとか回復)
このキーボードは大昔にSE/30といっしょに買ったAPPLE Keyboardで けっこう気にいっていて、SE/30を売りとばすときもこれだけは手元にのこした のである。 壊れると非常に困る。 いまのAplle Keyborad IIなんて最低だし。
二つの研究室のMacのファイルをApple Talkで 共有できるようにする。やっとネットワークらしく なってきたなあ。WINDOWS95とMacの間ではファイル(ディスク) 共有はどうすればできるようになるんだろうか?
WINDOWS NTだったら簡単にファイル共有できるという情報あり。 それは知ってるんだけど(っていうか、むしろそれするために NTを入れてみたんだけど)....しくしく。マイクロソフトぉ〜。
メモ
うちの前には小さな川(白川)が流れていて、 鴨のヒナがかえっている。どうやら親鴨をおどろかせてしまったらしく、 威嚇されたようだ。すまん、鴨。
各大学の授業開始の日付を確認(いまごろ!)。 地獄の日々の始まりは近い。
(☆☆☆☆) 命名はたのしい。現在研究室のPCは、hegelとkant。 Macはbenthamとmillになっている(月並?)
社会学はmax, georg,emille,walter,theodor,karl,michel と名づけているようだ。発想は同じだが、どっちが正しい命名法か。
哲学にはsophieというがあるようだ。
ちなみに 私の下宿にあるMacは(ネットワークしてないから意味ないけど) kahuでその前のSE/30はougaiであった。
(☆☆)
「えと」
ありゃ、また来たね。
「たしかにWWWの世界ではキャッシュとかがあって、 一時的にファイルをコピーしているわけなんですが」
うん。そもそもどんなブラウザだって一時的にはファイルをコピーしているわけだわな
「それと、CD-ROMとか雑誌とかへの転載ってのは違うんじゃないかな?」
どうちがうわけ?
「キャッシュなんかのときは変更はなにもないし「転載」じゃないけど、 CD-ROMや紙メディアで再配布するときは明かに「転載」でしょ?」
うーん、それは認めてもいい。ただし、いったい「転載」ってなんや?とか 聞きたくなるけど、ちょっと理屈っぽすぎるから聞かない :-)
「とりあえずCD-ROMで再配布するのを「転載」であるのを認めるんじゃね?」
うーん、とりあえず認めておこうかな。 あとで撤回するかもしれん。
「HTMLファイルなんかをCD-ROMで再配布するときは変更をしなければならない ってのは認めますね?」
うむ。そうじゃな。リンクを有効にするするには変更しなければならんじゃろうな。
「ってことは、CD-ROMに「転載」するときは変更さざるを得ないってことですよね。」
いや、ちょっとまって。相対リンクだけなら何も変更せずに収録できるぞ
「そこまで細かいこと言う?」
いえ、結構です。
「で、変更されるんだったら、その変更がもっともなものかを確認する 権利は作者にあるはずですよね?」
そこはちょっとつまづくところだな。もちろん、そういう権利はあると言っても いいような気がする。しかしそれが当然かどうかはちょっとわからん。 「当然」はみとめん。
「なぜですか?」
いや、そういう性分だから。この議論で我々(って誰じゃ?)がやってるのは、 実定法や慣習法の根拠になると推察されるところの非法的根源的倫理性、あるいは 技術的功利的有用性にもとづく社会的人倫創造的思考であるからして、 「当然」などということは許されんのじゃ。哲学とはつねに自分の「当然」を 問いなおすことであり、それは常に自身の認識を批判吟味することに存するのじゃ。 問い自身を問いなおすことがまさに哲学であり、それを抜きにしては 哲学たりえることはできんのじゃ。きー。
「・・・」
・・・
「・・・もういいですか?」
・・・いや、その。いやいや。わすれてくれたまえ。
「はあ。」
ま、それが当然かどうかってのがおそらく議論している内容だと思うんだよな。 逆に聞くけど、なぜたかだかリンクの修正ぐらい大目に見ることができない?
「いや、大目とか少な目とかの問題じゃなく、修正するんなら作者に断りを入れるのは ふつうのことでしょ?」
なんだかそんな気がしてきた。
「作者の意図を他のひとが十分につかんでいるかどうかってのは難しい 問題でしょ?修正者が小さな修正だと思っていても、作者にとっては 重大かもしれない。 ちょっと面倒でも作者自身に検分してもらうほうが、まわりまわって よい結果がでそうだよね。あんたのよく使う理屈なら」
そんな気がしてきた。
「んじゃ「当然」でいいでしょ?」
ん。いい。 んじゃ、さっき保留しておいたけど、ぜんぜん修正を加えなかったら どうなのさ。メディアの違いってのは許さんよ。
「んー。よくわからん。」
よくわからんな....
「わからん」
頭悪いな、ワシラ。
「1人だもんね」
うん。
「まだ続きやるの?」
できれば。
「こんな頭の悪いやつが考えても無駄」
むだじゃな。
「明日営利の話する?」
さあ。
どういうわけか体調悪く、終日家で寝ていた。
げ、これは本気で発熱するようだ。まいった。 どうもまた耳が痛いので、生れてはじめてバファリンなる藥を飲む。 ううむ、効く。藥おそるべし。
だいたい藥はこわいので飲まない性分なのだが、これくらい効くと たよりたくなるよなあ。
「もてる秘訣」ってので印象に残っているヤツが3つある。 一つは中学生のころのもので(クラブの合宿?)、
「先輩けっこうもでっちゃ。なしてや?おれどがぜんぜんもでねげっとなあ」
先輩「おめどがきどってがらだべや。もっどきらぐ(気楽)にしたらいいなんねがや」
[日本語訳]
省略。
一つは5年ぐらい前の飲み屋。
「いや、僕とか全然もてないですし。」
40前後の遊び人「そんなこと考える必要ないやろ?
相手を好きになることや。とにかく。」
最後のはどこかの日記作者のもので(誰だか失念)、 女性とおつきあいするためには
ところで、私はときどきしゃれで「電脳」とか使ってしまうんだけど、 私のネットワークに対するイメージってのは ほんとうに「生身の脳味噌が直接ケーブルで繋がっている世界」なんだよね。 「電脳」は計算機を指すのではなく、電線で繋がった脳を指す。 そいつらが発火してパルスを送ったり、それを転送しあったり、 ビールや睡眠薬でラリったり、 借金で冷汗かいたり、別の方向に新しいニューロン延ばしたり(ニューロンってなんだ?) いろいろやってる、 という本気でヴィジュアルな像。
まあ実際には、脳とネットワークの間には他の身体とかキーボードとか いろいろあるんだけどさ。通俗なイメージだとは思うんだけど。 巨大な知恵袋というか。
レシピ通りにつくる。ピリっとした味もほしかったので 七味もふってたべる。いける。酒のつまみにもよい。 しかし、食卓に並べてから気づいたのだが、 私の食卓にはたいてい豆腐か油揚があり、さらに納豆(私は納豆文化圏の出身) もほぼ毎日食べるので、材料がバッティングしてしまうのである。
「マンガに出てくる『哲学者/学生』列伝」 ってのを企画するが どうか。一般人(?)の目には「大学で哲学とかやってる」ってのは どう映ってるか。あるいはそもそも哲学ってのはどんなものだとおもわれているか。
[例1] 「哲っちゃん」(入江紀子『ノラ』(スピリッツ21)第4話)
哲学科卒だから「哲っちゃん」と呼ばれるホームレス。某有名大学の哲学を出て、 一度はちゃんと就職したのちにホームレスになった。 「俺には、哲学やお勉強はなんお役にもたたなかった」が、主人公ノラに 「サバイバルを教わった」らしい。
他にも「あれで見かけた」っていう情報求む。
月例のNTT電話回線切断。髪を切る。床屋の鏡で見ると、 アゴが二重になりかかっている。それだけは避けたい。 (頭はまだ大丈夫...のはず)
う、プリンタのインクが切れた。 明日から新学期なので、レジュメをしこしこ手直ししたり プリントアウトしたりしていたのである。 あんまりプリンタは使わないので、 いざ必要なときにはこんなことになる。いつも「予備を買っておかなくちゃ」と 気にしているのだが、最終的にはいつも同じ。レーザープリンタ欲しいなあ。 (同じか)
(ちょっと前に書いて秘密にしていたもの)
やっぱり十代〜二十代前半の妊娠中絶はかなり普通のことになっていて、 「ヤバいことではあるが、ふつうのこと」として受けとめられているらしい。 ほとんど避妊に気をつかっていないようなのもショック。 だれかちゃんと教育してやるべきだと思うんだけど。 ちなみにその「友人」(?)は14万円必要なそうだ。そんなに高い? 「ヤミ」?というか、 保険使わないんだな。きっと。
そういや以前に短大で「健康な男女が性交渉をもつと、妊娠する確率はどれくらい でしょう?」と尋ねると、「10%以下」が一番多かった。(実感にもとづいているのか?) 私は「正常」な男女がひとつきの間数回定期的に交渉を もった場合、20〜30%で受精卵が着床する、と理解している(もとネタは...えーと)。 仮に20%とすると、1年間で着床しない確率は (1-1/5)^12か。よくわかんないけど10%切ってるね。(計算できない:-) あってる?ちょっと確率が低すぎるかな?ま、 「着床」の確率だからこんなものかな? 定期的に性交渉をもちながら、 1年半〜2年たっても妊娠しない場合に問題ありと見なす、っていう 話も聞いたことがあるからこんなものか? ううむ。ちゃんと調べねば。
ここらへんの確率とかがちゃんとしてないのも問題だよな。 どきどき若者向けの雑誌が「セックス特集」とかすると、 避妊のねたがとりあげられるが、 そこでよくある各避妊法ごとの「失敗率(安全率?)」のグラフってのがよく理解できない。 コンドームは80%以上安全です、ピルならほぼ100%、膣外射精は20%なんていう 20%の意味が定義されてないから意味不明だよな。
ここらへんの統計的確率をはっきり示すだけで、 人々の性行為の傾向が変るかもしれないなんてことを妄想した。
ついに恐れていたことが起ってしまった。天井裏で 猫に子供を産まれてしまったのである。天井裏からミーミー鳴き声が聞こえてくる。 うう。悲惨。以前この部屋に住んでいた先輩に警告されていたので、 ネコが入りこんでくるたびに天井をどついて脅かしていたのだが。 猫の放埒な性の亨受が このような結果をまねくのである。 このような惨劇を二度と引きおこさないために、 すべての猫にたいする性教育の徹底と避妊具の配布を提案したい。
ついに授業開始。まずは英語と哲学。 イントロダクションだけ。
前日徹夜した反動で1日寝てしまう。どうももう徹夜はできない 体になってしまったようだ。
児玉学士の日記が更新を停止した模様。 性格悲劇っていうかなんていうか。ま、復活を待つ。
天井裏の子ネコはまだ泣いている。数が減ったような気がする。うーむ。 やはり淘汰圧がかかっているのか。しかし天井裏に死体があると想像するのは ちとあれだ。
本屋で三修社の『基礎ドイツ語』1号が出ていたので 買う。2枚の付録CDの1枚がWINDOWSでしか使えないのが悲しい。ハイブリッドなやつに してくれー。
それにしても、 いまどきドイツ語を勉強しようというひとはどれくらいいるのだろうかと 他人事ながら心配。インセンティブないよな。 ゲーテやらヘッセやらトマス・マンやらといった人々の作品は、 日本語ですら読まれなくなっているのではないだろうか。 ドイツ語を必要としているのは、哲学関係のひとと環境関係の人ぐらいか? あ、法律な人か。テクノな人も必要か? 世界情勢に疎いから、認識がおかしいか。
本屋に行ったって、売場は英語、中国語、スペイン語の順番だしね。
ReadMe!ってところに 登録していたのだが、カウンタ用の画像を貼りつけておくのが いやになったのでやめることにした。自分でも全然見てないし、 そっから飛んでくる人もめったにいないようだし。
以前、ネチケットという言葉について書いたが、 どうやら私の勘違いだったようである。 その時に言及した「エチケットに反するような行為」についての ユーモラスな文書のオリジナルは、 http://www.clari.net/brad/emily.html にある。 (日本でもanonymous FTPで提供されている。たとえば ftp://ftp.eos.hokudai.ac.jp/pub/network/news.answers/usenet/emily-postnews/ 以下) この作者に 問いあわせたところ、 この言葉はやはりもともと「ネットワークのエチケット」であり、 すでに"the early 80's"には使いはじめられたらしい。 ひとつかしこくなった。Thanks, Brad. (なれなれしい :-)
1年4ヶ月ほど懸案であった住民票を東山区に移すため、 岩倉再訪。ところが、市内で移動するぶんには 転出先を訪ずれる必要はなかった。無駄足。しくしく。
しょうがないので、せっかく午前中に活動しているのだから、 左京区保健所で年度始め恒例となりつつある HIV検査を受けようとおもったが、 時間を過ぎてしまっていた(金曜日9時〜10時半。30分遲かった)。 「うぉー、検査してくれー。今すぐ検査してくれぇ。たのむぅ。恐いよぅ」と 暴れたらウケるんではないかと思ったが、思いとどまる。
しょうがないのでその足で東山区役所へ。 役所では、なにやらうれしそうな顔をした女の子が数人、 同じように書類を書いているのが目につく。 そう、君たちはこれからこの場所で、いろんなことを体験していくのだよ、 と気分はオヤジ。いやはや。
ついに授業が始まりつつあり、日記とか書いている余裕をなくしつつある。 というか、家でビールを飲んでいる暇がなくなりつつあって、その影響。 箇条書にするかななどとおもいつつ。
画像からモザイクを消すソフトウェアの作者が逮捕されたということを知り 驚く。 窓の杜 にも情報があった。(いや、私はお世話になったことはない(ほんと))。それにしても ちょっと無理だよな〜。
中島義道の『ウィーン愛憎』をいまごろ読む。おもしろいが、 あまりにも暗い情念。こういうのが「哲学者気質」なのかしら?
天井裏のネコの鳴き声が消えた。それはそれでおそろしい。引越ししてくれたこと を祈る。
どういうわけか Tim Robbins(じゃなくて、Burtonだな)の『マーズアタック』を見る。 もちろん、なにか「意味がある」というタイプの映画ではないが、 けっこう楽しめた。やはりあの監督はかなり壊れている。 場内で何度も爆笑するが、誰も笑わない。なんで?
本屋で立ち読み。つらつら思えば、2、3年前と比べて本屋やレコード店で過す時間が かなり少なくなった。 以前は体力にまかせて延々立ち読みして1日が過ぎたりしていたものだが、 近ごろは目標の本を入手したらすぐに出てしまう傾向がある。 なんだか時間に追われているかんじがするのだな。 ま、そりゃこの年代なら当たり前なんだけど。
上田浩二『ドイツ語はじめの一歩』(ちくま新書)がドイツ語を学ぶ動機について 触れているが、もうひとつ説得力がないなあ。多言語は大事だけど、 それがドイツ語である必然性がない(あたりまえだけど) やはり苦しいところだ。
ところで、「コミュニティ・ヴィレッジ」って怪しい団体ではないのだろうか?
しかし、モザイクソフトの問題はけっこう興味ぶかいものなのだな。 そもそも、モザイクをかけたりするのは、それなりの必要があってすること なわけだ。しかし、簡単にはずすことができるようなものならば、 そもそもモザイクかける必要もないわけだ。すぐにそれとわかるような ぼやかした表現がほとんど意味ないのと同様。
ではなんのために必要か? 単に(たとえば法的な)規制をのがれるため。 「この画像はすぐに見えるようにしておくとヤバいけど、 手間がかかるようにしておけば大丈夫」ってわけか。
結局そのモザイクソフトの 作者を儲けさせるという結果になっただけなんだなあ。 (なにやら3000万以上稼いでいたという話だが。そんなもんに払う方もばからしいけど)
(☆☆) キルケゴールの研究会。キルケゴールから離れていろいろ話をして楽しく過す。 やっぱり倫理学好きなんだよな。 河道屋の鍋はあっさりしすぎていて食った気がしない。 研究室によって、WINDOWS95の「ワークグループ」なるものを試し、 休筆中の某氏とお好み焼きを食べ帰る。
明日から地獄の日々。更新のペースは極端に落ちるであろう。さらばじゃ。 これからは土日をのぞいて毎日午前中から活動する予定。大学・短大・ 専門学校で13コマ。 この予定が守れない場合はたいへんなことになるので予定は必然。
朝6時半起床。某大学まで1時間30分。明日もしんどい。
(☆☆)
ふたたび6時半起床。もはや私のことは江口"early bird"聡と呼んでくれたまえ。 明日も6時半。あさっては7時。その次は10時の予定。 ぐう。これが1年続くのか?こんな生活は高校を出て以来1度もしたことないぞ。
こういうカタギな生活がいやでこの商売を志したってのもあるのに、 人生とは皮肉なものである:-)。 (前に書いたと思うが、私はM2の時に一応就職活動して内定ももらってたんだよね... 後悔) ま、そういう動機がばかなんだけど。私の判断は常にまちがっていることを 今回も例証しているわけだ。
某大学の授業で受講者が多すぎて混乱。
某大学においても「WINDOWS95でプリンタがちゃんと動かないんだけど...」 と言われ、1時間ほどいろいろ試行錯誤。どうもリコーのプリンタドライバが 怪しい。とりあえずプリントはできるようになったが動作が変。
6時半起床。午前中、滋賀の某短大から京都の某大学に移動する途中で 寝すごして長岡京まで行ってしまう。やばいやばい。 今月は交通費だけでかなりの出費になる。きびしい。
亀岡の某大学。 田舎でゆったりしたよい大学である。1日倫理学3コマってのも、これはこれで ちとつらい。 なにを思ってか、3コマ全部につきあっている学生もいる。 そんなに倫理学が好きか? (だいたい、そんなことされたら同じネタを使えないじゃないか:-)
ここは1日中いることになり、けっこう時間もある。 自由に使える端末はたくさんあるのだが、telnetでファイアウォールの中から 外に出ることができない。むう。
「んじゃ、ファイアウォールの外に出られるマシンのアカウントは
もらえますか?」
「うーん、そこらへんの件は今委員会で検討中なんですよ」
むう。やはりそこらへんは、どの大学でもこまわりがきかないな。
大阪の看護学校。ふう、これでやっと一巡か。やっぱり非常勤で食うというのは 労力にpayしないなあ。しかし、調子は上りつつある。
毎日早起きして、日付が変らないうちに寝て、土、日は(一応)休み。 これじゃほんとにカタギだ。 夏休みが待ち遠しいぜ。
早めに帰ってきて惰眠をむさぼる。ああ、睡眠は楽しいなあ。
某教育大、某薬科大、某学園大とどこに行っても、 塾や家庭教師で教えた生徒がいる。なんだか奇妙な感じ。 (向うも奇妙に思っているだろうが)
深夜、木屋町で哲学授業方法情報交換会。早い話が酒飲み。 数えてみると、私は今年1000人(!!)ほどの学生に授業をすることになっているようだ。 恐るべし。(無理だよなあ)
メモ
素敵な天気なのですこし散歩する。ジョギングしたいなあ。
ベースの弦を買うが、間違ってショートスケールのものを買ってしまった。 しくしく。頭の中で「まちがわないように」と何遍も繰り返していたのに、 間違ってしまう。いったいどういうわけか。
あとはしこしこ授業のためのレジュメ書き。
ひさしぶりにゆっくり起床。それでも午前中に目がさめるように なっているのだからたいしたものだ。しこしこレジュメ書き。
この前、飲んでいるときに気づいたこと。今年私は1000人を越える 学生に教えるらしい。
某教育大 250 某薬科大 50+50+50+50+150 某短大(哲学) 40 某短大(英語) 50+50 某大学(倫理学) 100+100+100 某看護学校 50
もっと増えるのは確実。ひー。
これに対して収入はならすと税こみで1月40万には届かないだろう。 ちと計算してみる。おおざっぱに月収40万で1000人を教えると 仮定すると、1人あたり400円。授業1回100-200円ぐらいか。 (常勤だとノルマは週5〜10ぐらいか?)
これに対して、たとえば某大学の授業料を90万と仮定すると、 15コマ出席することにして1コマあたり年間60000円。30回授業があると 想定すると授業1コマ1回2000円。むう。私は1割ももらえていないのだな。
やっぱり非常勤ってはワリにあわないんだなということを実感してしまった。 やっぱり職をさがさねば。(いままで実感がなかったし、 自分の身分についてまじめに考えたこと なかったんだよね)
以上の事実からの暫定的洞察
2まわりめ。起床はぎりぎり。やはり、ぎりぎり何時ならば間に合うのかという ことを知ってしまうと、それまで寝てしまう。深層心理おそるべし。 安い交通手段と速い交通手段のどちらをとるか。
ドイツ語を教えるのは初めてなので、いろいろ試行錯誤している。 1コマ目と2コマ目では、同じテキストをつかっているのに 教え方や流暢さが全然ちがう。(今日は冠詞と形容詞の格変化を どう理解さるかがテーマ) 実験台となっている1コマ目の学生さんは気の毒。いたしかたなし。
某薬科大の授業のひとつは学生はやはり200人を越えて、 教室に入りきれない。ううむ、のちのち欠席が多くなったときに、 でかい部屋でちまちまやるのは寂しいからやだなあ。
とにかくこの時期は、どの大学でも私語とのはてしなき戦いになっている。 私は私語が気になるたちなので (「きっと私の悪口を言っていのだ...とか(うそ)」) こちらは私語を許さんということを身にしみて理解してくれるまで しつこく注意する。ま、そんなたいした授業をしているわけではないのは わかってはいるのだが、ひどい授業がよりひどくなるのを防ぐために ご協力をもとめているわけだ。
(☆☆) 一番いらいらするのが、こちらがなにかを発問したときに 隣りのひとに話しかける(おそらく確認をとっている)ひとがよくいることで、 「いったい、なんで君らそんなに自信ないの?隣に知り合いがいなかったら どうするの?一人で生きろよ。ひとりで。きー。」という感じになる。 (目がつりあがっているかもしれない)
もっとも、私語が出るのは授業方法にも問題があるのは 自覚している。板書の字が汚なかったり、早口になったりすると 増える。これは私の責任なのだ。
(☆☆)
授業中、どういうわけか(男子)学生がふらりと立ちあがって、 出口の方に向かい、ドアの前でバタリと倒れる。 授業中そういうことになったのは初体験。 このような時に教師はどう行動 すべきであろうか、と一瞬考えたのち、彼をかかえて外に出し、近くにいた学生に 保健室に人を呼びに行ってもらう。 そうしている間にも彼はフラりと倒れそうになり、 あわててささえる。座らせても倒れる。横にすると、縦になろうとする。 むう。 人間の体って重いなあ。殺人や強姦はできそうにないよ。(いや、もちろん 殺人や強姦の予定はないが、京都でラブホテル殺人がたてつづけに起っているので気になる。)
また、このような場合どう行動すべきか(男子学生のときは今回あるていど 経験をつんだので、 特に女子学生の場合)ということもあらかじめ考えて おかねばならないことに気づいた。危機管理の技術ってやつだな(ちがうか)。
パニックになりそうなときに、権威(特にマイク。マイクは権威じゃないか:-))をもっている人間は どう行動するべきなんだろうか? 火事や地震のときはどうするんだろ?散弾銃乱射魔がおそってきたときには? 連続強姦殺人魔は?核戦争がおこったら?隕石がおちてきたら?
運転免許の期限が切れて、はや5ヶ月と3週間。これ以上ほうっておくと、 後でふたたび教習所に通わねばならないことになるので、 印鑑と住民票、写真をもって警察署に自首しにいく。 交通安全協会だかなんだかそういう団体に1000円払えと言われるが、 「それを払うと明日の仕事場への交通費がなくなるかもしれないのです(本当)」 と許してもらう。まあ親切な窓口のひとでいろいろたすかった。
(☆☆☆)
某児玉文学士が 毎日新聞の「余録」に喧嘩をうっている。 実際、私も(以下某児玉文学士の御言葉を引用)
(引用おわり)という感覚がある。これまで児玉某氏が書いた文章で 最も共感するものであったので、あえて引用しておく。 ただし「内省的」ではなく 「反省的」という言葉をつかうと思うが。同じか。 このような態度を私は秘かに「AERA型思考」と名づけ、できうるかぎり 攻撃を加えているのである。(意味不明か?)。某氏が指摘したように、たしかにあの余録を「宮崎なにがしに限らず、 今の若者はヒト以上人間以下のものばっかりじゃ」という若者批判と取ること も可能である。
が、それにしても、この筆者の「おれは関係ないもんね」「おれは人間だ もんね」「若者がそうなったのについて、おれは責任ないもんね」式の、ちっ とも内省的ではない言い方に、ぼくなんかは何か違和感を感じるのである。い や、やはりはっきり言ってけしからんと思う。許せん。
まだ気分だけはこっち側にいるってことかな?(こっちってどっちかわからんが)
むう、直前の文章を書いてからわかったのだが、 AERA型思考について私がイラつく原因は、 「こっち」と「あっち」の分け方なのだな。 「ちかごろの若者は」型の思考は 世代によってなにかを分類しているんだろうが、それが理解できないのである。 「自分のまわり」と「それ以外」だったらまだマシ。
たとえば、その毎日新聞の「余録」では、 あるひとびとを「ペット化人間」と名づけている(それも誰かからの借り物なんだけど)。 そのひとびとは、「持続力がなく、自分の快楽を追求することに熱心でetc.」 といったネガティブな人格らしいのだが、そういう 「カプセル化」だか「ペット化」だかが「若者」の問題ではなく、 「我々の」問題だと気づいていないところがイラつくのだな。
(いや、こういう無理解は私もよくやるんだけどね、っていうexcuseつけなきゃ なんないのもつらいな。自己言及になっちゃう文章はむずかしい。しかし それくらいの意識は(少くとも新聞に文章を書くような人間様ならばもってほしい)
それにしても、大手新聞のWebページはわけわからんな。 lynxだとほとんど使えない。ぐー。この件については ちょうど 永江さん が書いていて、ほとんど付け加えるべきものがない。
某大学の某研究室のPS/Vでネットワークを使えるようにしてくれ と頼まれ、ふたたびマイクロソフトのトラップにはまる。 きー。だからこんな古いマシン捨てろってば、と怒る。486マシン(16MBメモリ) じゃ遅すぎるって。
もう1台あるAptivaにもイーサカードをつっこみ、接続。こちらの方はなにも 問題なく終了。めでたし。あの研究室からはこのページは読めないように するべきか。
どういうわけかもう一つの研究室のMacの接続について も相談を受けてしまう。うーむ。業者が入ったのだが、 うまく接続されていないらしい。先生本人が不在だったので 詳しいことはわからないのだが、うまくいっていない模様。 見てみると、たしかにケーブルはMacにつながれているが、 ちゃんと動作していない。MacTCPその他の設定もすんでいない。 調べてみると、異様に長いケーブルをつかっていて、Macまで信号が 届いていないではないか。おそらく業者はうまくいかないので 途中で放りだして帰ったのに違いない。試しに別のケーブルで ためしてみるとなんの問題もなく繋がる。Macは設定も楽勝だし。
それにしても、大学を食いものにしている悪徳業者の多いことよ。 留守番の学生君に、「先生にその業者は出入り禁止にするように 伝えておくように」と言いのこして帰る。
某短大に遅刻しそうになる。いつもより後の電車にのったら 遅刻すると思いこんでいたのだが、大丈夫だった。きっとこれからは あの電車に乗ることになるに違いない。ふたたび深層心理おそるべし。
なんだか疲れた。やはり体力的に無理だな。
これもどうでもいいことなのだが、 ツウ(通)とイキ(粋)の関係について以前議論したことがある。 私の言語感覚では、 ツウはイキであるというのはほとんど自明(というか、分析的メイダイ)だと 思うのだが。ツウでないイキはありあるが、イキでなければツウでない。 知識をたくさんもってるひとがイキでない場合は「半可通」と呼ばれるという 関係。 これはあなたの言語感覚では正しい?
また、「通」は強い肯定的評価語なので、「通だけど(その件について)ダメだ」 という文章は自己矛盾。(これは通は粋を含むという命題の別の表現である。 そもそも、(ceteris paribus)「イキだけどよくない」というのは自己矛盾なので)
どうでもいいことなのだが、「英会話」や「外国語」というフレーズを聞くと いつもおもいだすのが、丸善の洋書売場でみかけた1シーンである。
「Where do you come from?」
「....from Canada」
「How do you feel about Japan?」
「...........People are kind, etc.」
「Why are you in Japan?」
「................」
悲惨。片方の女の子は英語をつかってみる機会をいかしたかったのだろうし、 もう一方の白人男性はうんざりしているという図式。そりゃ、 本屋であったなんの興味もない女の子と話す内容なんてないよな。 相手は人の話すことをなんにも聞いてないし。
べつに教訓はないのだが、 外国語を修得するときのカナメはなにかというと、 相手とコミュニケーションしたいことが あるかどうかなんだよな。道端であった日本語を話す人間とは コミュニケーションする欲求を抱くことは(ふつう)ないのと同様、 外国語を話す人ともコミュニケーションしようという欲求をいだくことは (ふつう)ない。なんでみんな外国語なんかしなくちゃなんないと 思うのだろうか?
逆に言うと、話すべき内容がある場合はブロークンだろうがなんだろうが 気合いで通じるし、 いずれもっとうまく話せるようになる。 気合いで通じないのならば本当に通じさせるべき内容がないのである。
もちろん、ぜんぜん知らない言葉は無理だろうけど、 日本の学校の英語教育はそれほど悪いものではないと私は思っている。
この前、「『非常勤日記』という名前にしろ」と言われるほど授業関係のこと ばかり書いている。しくしく。他の人生がないんです。
某大学は倫理学関係だけで3コマ。 登録者の概数が180+320+310にふくれあがっていることが判明。 レポートが恐い。
板書の誤字についていろいろ悩む。(私は 漢字が書けない。)
そもそも、板書というものについて悩む。 どの大学でも「せんせー、ノートとらなくていいんですか?」という 質問が多いのである。
昔はコピーとかが 普及していなかったし、高価なものだったので、先生が板書したり 喋ったりしたことをノートに写すことはたいへん意味があったのだろう。 そもそも本も手に入らなかったのかもしらない。 しかし、この時代にどんな意味があるのだろうか?レジュメは輪転機 (じゃなくてリソグラフやプリポート(って商品名か))で 刷って出しちゃうから、ちゃんとしたノートなんてとる必要はないと思うんだが。 きっと中学・高校でノートをとるようにすりこまれちゃってるんだな。 そのわりには板書したことしかノートを取ろうとしないのも理解できない。 つまり、黒板を、ノートに再現すべきなにものかと思っているのだな。 ノートのイデアが黒板なのか。
私は字が非常にヘタだし、恥ずかしいことに 漢字をまったく知らないので、板書は非常に苦手である。 よって、「字が読みにくい」と言われるのを予想して、 「大事なことはテキストやレジュメに書いてあるから、それを見てください。 板書は私が説明するためのメモでしかありません。そもそも、 ノートは板書を写すためにあるのでありません。もしノートをとるのであれば、 黒板を写すのではなく、 自分があとで利用できるようなことを書くべきです。たとえば、私が 喋ったことで気になったこと、わかりにくかったこと、(もしあれば)気にいったこと などをメモるのです」と言っている。
いや、やはり漢字書取と板書の練習をするべきだな。よいテキストはありますか? (「哲学教師のための板書ガイドと漢字書取練習帳」が出版されたら買うぞ)
唐突だが、「タモリの新哲学大王」という番組は気になったので 私も昨日見た。むう。アフォリズムやマキシムと哲学はかなり違うものだと 思うが、「哲学」に対する需要はまだまだあるよなあ。あの番組も やりようによってはおもしろいのだろうが。現実にはそれほど おもしろくない。
ちなみに、ここ数日よく聴いているのは、 ウルフルズとオザケンとコーネリアスである。次は電気グルーブと ボアダムズを聴くらしい。大丈夫か? ま、スタイルカウンシルとか好きだった世代には懐しい感じの曲が多いよな。
看護学校。
「通」についてはいろいろご意見たまわって参考になる。 九鬼先生の本は山の中にうずもれて出てこないんだよね。 ちなみに、私は職業がら「野暮」である。これはもうどうしようもないのである。 (ただし、「野暮」は否定的評価語かというとそういうわけではなく、 野暮な商売の人(番頭さんとか)は野暮であるべきなのである。 杉浦日向子の文章にここらへんの解説があったのもおぼえているが、 これまた山の中。
エヴァンゲリオンとかいうアニメの劇場版を見たらしい。 不愉快な気分になるが、まあそれは予測した上でわざわざ見にいったのだから 文句は言うまい。しかし、そのエヴァンゲリオンなるものの 前にどういうわけかもう1本ドラゴンだか魔法使いだかなんだかが登場する アニメを見せられたのには我慢ならん。なんだってあんな陳腐なものを 作ることができるんじゃろか?「ドラゴンクエスト」や「ドラゴンボール」以降(?) 「魔法」や衝撃波だかなんだかってのが物語の共通の語法になっちゃってんだろう けど、乗れないなあ。
「友情・努力・団結・勝利」ってのは、かつて少年ジャンプの標語で あったし、ま、それは悪くないと思うんじゃが、いつのまにか、その語法の なかの 「努力」や「勝利」の形がかわってしまったような気がする。やみくも になにかを繰り返し、あるいは主人公が理解できないようななにものかによって、 たんに強くなって相手をたおすってのではなんにも 物語としてのおもしろみがない。(というか、わたしが理解できない 面白味が発見されたんじゃろ)。 有限の能力のなかで(工夫や発見や偶然の力なども借りて) 相手を倒すってのが醍醐味じゃと思うんじゃが。なんにもせんと、 いきなりドラゴンが出てきて解決してくれましたってんじゃ 意味がない。
「ドラクエ」なんかではいくらかの「発見」もあって、それなりに たのしいのだが、ああいうアニメではそういう部分がすっぽり抜けおちて いて、あれを楽しめる人々にはそういうものさえ必要なくなっているのだろう。 むう。
「罪万死に値する」という言葉があるらしい。しばらく前に なんかの事件のときに(ミドリ十字か?)国会でそういう言葉を発しているひと が いて、非常に気にかかっていたのだが、この前のペルーの件についても 夕刊フジでそういう表現を見て、同じようにイヤな気分になる。 意味がわかって言ってるんだろうか?
ひさしぶりに深夜から明け方まで起きてごちゃごちゃやってた。 本棚の整理をしないと、必要な本が出てこなくてこまっちゃう。しかし、 物理的にも無理があるなあ。私も本とCDは捨てられない。
「通」については「関係なし」が11、「通ならば粋」が4、「粋ならば通」が1、 「わからん」が4。どうも独立の概念かもしれん。 九鬼周造の『「いき」の構造』は、すぐ手元で発見されたのでちょっと 読みなおしたが、 「通」については触れられていなかった。 意気-野暮、渋味-甘味、上品-下品、派手-地味の対や、 それらの特徴によって分類される「さび」「雅」「味」「乙」「きざ」 「いろっぽさ」「chic」「raffin'e」 については 語られているんじゃが。それにしても、この本はなかなかおもしろい。
(☆☆)
素敵な天気なのでやはり一人で散歩。今日は蹴上から北上コース。 他によく使うコースは、鴨川・河原町コース、中京区コース、 岡崎公園1周コース、円山公園1周コース、建仁寺コースなど。 よいところに住んでいると実感する。
これから初夏にかけての季節はほんとうに好きで、 ひとりでぽちぽち歩いているとなかなか充実感がある。 まあ、1年中人生や生活苦について考えているわけにもいかない。
授業の関係で、ちと疫病などの歴史について調べる必要があったのだが、 NHKブックスの立川昭二『病気の社会史』が非常におもしろかった。 ちょっと古いのだが(1971年)、33刷もでているだけあってなかなか の名著だとおもう。病気(特に疫病)と文化の相互関係がわかりやすく 書いてある。私のような商売だと、どうしても社会の歴史ぬきで思想 を理解しようとしてしまうのだが、アテナイの疫病とペロポネソス戦争と そのあとのソクラテス・プラトンとか、 ペストのあとの近代ヨーロッパ社会とか、結核と産業革命とか、 コレラと明治とか。
この手の本を読んでいると、いつもは感じない奇妙な感覚にとらわれる。
うまく書けないのだが、まずは、 単にsurviveするだけでたいへんな作業なんで、うちの先祖さまがsurviveできたのは まったくラッキーだった、とか。 (こういうのから宗教的感覚ってのは生じるんだろう。 私自身はあんまり、単にsurviveできるかどうかっていう レヴェルでの「生」や「死」を考える機会がないから、 ちゃんとした哲学・倫理学者にもなれないし、ちゃんとした宗教的感覚ももつことが できないんじゃな。どうしても「生」といえば、とりあえず しばらく生物的に生きてられんのは自明(?)の上で、「どういう生がよい生か」とか、 「生きるに値する人生とは」 :-) っていう(その程度の) 問題としてとらえちゃうもんな。しかし人間はずっと、もっと基本的なレヴェルで 脅かされてきたんだもんね。むう、ワタシはほんとに そこらの感覚鈍いな。しかし、考えてもいないことを 「考えてます」って顔すんのもちょっとあれだしな。むう。 「♪戦争を知らずに〜ぼくらはぁ育った〜」なんて歌そのものが もうなんだかよくわからんし。)
そして、ペストやコレラで死ぬことを考えたら60でガンで死ぬってのは それほど悪くないな、とか。人間ってのもネズミと同じで、 ほっとくと増えたり減ったりするもんなんでそれが「自然」だ、それにしても 人類の回復力ってのも馬鹿にできない、とか。 こんなに大量の人間が苦痛を味わうってのはひどいことだ、とか。 現代日本ってのはそんなに悪い場所じゃないな、とか。 まあ、いろいろ考えるためにもとりあえずsurviveしなきゃね。
(☆☆)
そういや、全然関係ないけど、エヴァンゲリオンってなかなか人が死なないのね。 映画ではなんとかっていう基地のひとが大量に殺されてたけど、 見てるひとが感情移入する程度の人々は死んでなかったし。 つまり、あそこで大量にころされているひとはひとではない。
「ガンダム」で、重要そうに見えるひとが、宇宙空間でいとも簡単に 死んでいったのとは対照的だよな。ガンダムでは、簡単に死ぬわりには 暴力表現はあまり目につかなかった と記憶している。白兵戦は、あたかも殺陣を見ているようだったし。
エヴァンゲリオンにあるのは ひとの生き死とそれに対する反省じゃなくて、 どこかで聞いた実感のこもっていない言葉と、 かなり質感のある粘液と暴力と殺意そのもの なんだもんな。(いや、もちろんそれがいいんだろうけど)。 「忍びがたきを忍び、たえがたきを耐え、さいごには爆発」ってのは 力道山以来(もっと前からか)の様式美ではあるが。むう。いや、 エヴァンゲリオンでは 「耐え」ているんじゃなくて、おいつめられて暴走しているだけか。 ガンダムよりずっと生理的に刺激があるよな。
こんなこと書いていながら、ペルーのことは忘れてるんだから。 いやはや。いかんわ。連想書き殴り形式は人間の底が見えてしまうな。
某薬大。いまいち。
よい天気なので散歩。中京探索コース。イノダでコーヒーを飲んで (初めて行った。あんまり好みではない)、 錦でチリメンジャコを買う。好物の葉ワサビも売っていた のだが、うまく調理する自信がなかったので断念(あとで後悔)。 うちの近所にも「古川町商店街」があるのだが、 ものの鮮度がぜんぜん違う。錦に毎日買物に行けたら幸せだろう。
そういや、中国茶と、金針菜(山ゆりの蕾?の干物)も買った。 お茶もピンからキリまであるなあ。 後者は 連休中にひさしぶりに鳥ガラでスープをとって、その具にしてみる予定だが、実現 するかどうか。
唐突だが、ISO-2022-jpつかってるんだから、 ついでに2byteの英数文字も排除すると完璧だと思う。
lynxを2-7-1になっているらしく、 いつまでも2-7をつかっているのは悔しいのでアップデートしてみる。 lynx.cfgを書きなおすのが面倒。
solaris2では、installは/usr/ucbのものを使わないといけない。 ここらへんまで自動にしてほしいと思うのは怠慢なのか。ま、 他に問題なく動くようになる。
lynxは2.7以降cookieに対応しているのだが、 ファイルには保存してくれないようだ。そういう 設定があるのかと探してみるが、見あたらない。むう。 まあいろいろとポリシーがあるのじゃろう。 (そもそも私はcookieというものが何をするものなのか 全然知らんのじゃ)
ひさしぶりにfj.net.infosystems.wwwあたりを読むと、 電子通信情報学会というところが 「ホームページデザインコンテスト」 なるものを実施しようとしていて、話題(問題)になっている。 応募作品なるものはどれもimageにalt=""がついてないし、 どうしようもない。こまったもんだ。ちゃんとした学会なんだから、 ちゃんとしたページを作って模範を示してほしいものだ。 (あ、原理主義者も応募すればいいのか)
『病気の社会史』のネタ本である ハンス・ジンサー『ネズミ・シラミ・文明』(みすず書房) も読みはじめるが、(分量も話も)大きすぎて読みにくい。
営利誘拐殺人事件などを見聞きすると、感情としては、 「死刑にせい、死刑。殺せ、そんなやつ」ってな 感じになっちゃうよなあ。どうしたって。
午前中は休み。午後1コマだけ。どうも調子がでない。 やっぱり連休中は気がゆるんでいていかんな。
楳図かずお先生の不朽の超名作『漂流教室』を読む。 もとねたの『蝿の王』の6倍ぐらい恐くて面白いよね。 (実際、『蝿の王』を読んだときは、「これは 楳図かずおのパクリだな」と思った記憶がある。) ただし手にはいったのは 1、3巻だけ。実はこのマンガは小学生のころにサンデーに連載されていたのを ときどき見ただけだった。しかしその分、強い恐怖の印象が残ってたわけだ。 (どうやら72年からの連載らしいから、私は本当に小学2、3年生だった。 私の人間集団に対する 恐怖とある種の嫌悪感ってのはこのマンガあたりから来てるのかもしれないなあ。
このマンガでもペストがネタになってる。ここ数日、意味なく伝染病のことを 考えているのであった。そういや、ジンサーの『ネズミ・シラミ・文明』は その世界にはいりこんでしまえば楽しく読めた。古くさい文芸趣味。でも、 1932の本ってんだからしょうがないか。
mewのバージョンを1.70にした。Mailing Listでは、MHと手の切れた もののアルファ版が1、2週間で出るというようなことが アナウンスされていた。
ネットワークに負荷をかけないために、 いちおうproxyを使っている。京大では www-cache.econ.kyoto-u.ac.jp:8080(sordine)と www-chache.imel.kyoto-u.ac.jp:3128(polyester)が動いているはず。 京大内部のひとは積極的に使いましょう。 しかし、これってほんとにネットワーク負荷を軽くする 働きしているのかなあ。
ちなみに、lynxならば、lynx.cfgか環境変数http_proxyで指定する。 しかしここから太めでつながっているはずのSINETなんかはわざわざ proxyつかうのがいやなので、lynx.cfgでno_proxy:ac.jp と指定して大学にはproxyを使わないようにしているわけだ。 昨日は設定のためいろいろやっていたので、 sordineから読みにいった記録があちこちに残っているかもしれない。 いろいろ発見もあった。
むう、もう誰もが何度も書いているけど、 WWWで必要な情報を集めようとすると、フラストレーションが たまるなあ。やっぱり、こりゃ実用にならんなあ。
今、去年の日本と世界のHIV感染者なんかと 妊娠中絶の最新データを見たいんだけど、情報まで到達するのが たいへん。あっともしばしば使いものにならないフォーマットに なっちゃってるし。ふつうにテキストにしておく(で<pre>などで 囲む)のが 一番汎用性が高いってことがわかんないんだろうか? テーブル使うよりレンダリングにも時間かかんないだろうし。 厚生省はインデックスの作り方も工夫してほしい。
それに文字化けやらISMAPだけやら frameやらなんやらでもうどうしようもない。
gooなんか 文字化けまで起してるし。ぐわ。もうやーめた。
WWWって、特定のライターを定点観測:-)するのにゃいいんだけどね。
こんな愚痴は見飽きたし書き飽きたけど、やっぱり書いちゃう。 しかしつらつら考えれば、そんなデータでもないよりはましなのか。 むう。図書館行ったりする手間とこうして自宅でイライラするのとの 差引勘定ははたしてどうなるだろう?やっぱりプラスなんだよな。きっと。 それくらいの評価はしなくてはなるまい。ではしばらく我慢じゃな。
つらつら考えると、これは私の方もわるいのである。 WWWにある情報をすべてWWWから探さねばならぬという 法はない。雑誌なんかの印刷メディアの方がブラウズするのは 便利なんだから、それをもとにすりゃいいわけだ。と思いいたり、 コンビニに行ってそれらしき雑誌を立ち読み。買わなかったけど。 ま、本気で情報を探したいときは、弱小(失礼)サイトは不要なわけだから これでいいのである。