今日はお休み。一日ゆっくり過す。(鳥ガラは近所では手に入らなかった。 スーパーまで行かねば。)
以前に書いた自分の書き殴りを読んで ふとバクシーシ山下なるAV監督についてWebの世界で どう評価されているのか知りたくて gooで検索してみると、 私の書き殴りまで出てくる。まいったね。(赤尾助教授(あれ、教授だったかな) も出てきた:-)
私が彼のAVのファンだということはないので 誤解なきよう。実際、二度と見たくない。婦人団体が抗議したとかいう 話についてちょっと調べたかったのだ。
それにしても、gooはreferer_logに検索文字列が残るからおもしろいなあ。 「恥ずかしい姿勢」なんてキーワードでうちに来たひとがいるよ。やれやれ。 一単語にも反応しちゃうってのはよくないよな。
ちなみに私は次のようなperlスクリプトで referer_logをチェックしている。 (実際にはこれをfr.plとかという名前にして、
fr.pl | sort | uniqしている。
#!/opt/gnu/bin/perl
use Kconv;
$log = '/var/log/referer_log';
open(LOG, "tail -300 $log|") || die "can't open $log";
#open(LOG, "$log") || die "can't open $log";
while(<log>) {
next unless (/eguchi/);
s/%([a-fA-F0-9][a-fA-F0-9])/pack("C", hex($1))/eg;
$_ = toeuc($_);
# tr/A-Z/a-z/;
# s/^(.*)\?\S+/$1 /;
print;
}
あんまりエレガントじゃないな。Kconvというモジュールを使っている。 単にURL encodeされたのを見るだけだったら、
#!/opt/gnu/bin/perl
while(<pre>) {
s/%([A-F0-9][A-F0-9])/pack("C", hex($1))/gie;
print;
}
っていうコードだけでいいはず。これをnkfにでも通せば。
<hr>はholizontal rulesですね。
The <HR> element is a divider between sections of text; typically a full width horizontal rule or equivalent graphic.
HTML 3.2では、使用法まで指示されています("may"だけど)。
Horizontal rules may be used to indicate a change in topic. In a speech based user agent, the rule could be rendered as a pause.
なるほど。3.2では"speech based"なブラウザ(?)も考慮に入ってるんだな。
<p>は「段落変更」ではなく、段落の開始である。終了は </p>。ただし終了の方は省略してかまわない。 ふつう、<p>と</p>で囲まれた段落の前と 後には、1行かその半分の空白があけられるはずである。 (そうしてくれないブラウザもあるようだ。) rfc1866では次のようになっている。
The <P> element indicates a paragraph. The exact indentation, leading space, etc. of a paragraph is not specified and may be a function of other tags, style sheets, etc.
Typically, paragraphs are surrounded by a vertical space of one line or half a line. The first line in a paragraph is indented in some cases.
現在W3Cの「recomendation」になっているHTML 3.2でも次のようになっている。
The P element is used to markup paragraphs. It is a container and requires a start tag. The end tag is optional as it can always be inferred by the parser. User agents should place paragraph breaks before and after P elements. The rendering is user agent dependent, but text is generally wrapped to fit the space available.
看護学校。
そろそろHTML 3.2に準拠して、 <HR>にwidth="50%"とかつけようかなあ。
昨日バクシーシのことを書いてしまったので、 今日1本借りてきてしまった。途中ぐらいから見ることが できなくなる。高校あたりで援助交際とかテレクラとかをやらない方が よいという教材に使ってほしい。つまり危険なのじゃ。
ご存知ないかたのためにちょっとだけ解説すると、 この監督の作品は、「女優」を精神的肉体的に痛めつて それを見せることを目的としている。迫真(というか、もう 犯罪そのまんま。私がこれまで見た2本はおそらくかなり前の ものだから、これに対してどういう評価がくだされ、 社会的にどうなったのかはよくわからん。詳しい人はおしえてください。 とにかく、ああいう作品が公開できるのなら、 「ビデオ倫理協会」とかはほとんど意味がないじゃろ。 (だからといって「許可するな」と言いたいわけじゃないけど)
ま、最近、本屋に行くといわゆる「鬼畜系」の出版物が 大量に目につくようになって、ずっと気になっているのじゃな。
雨だったので、岡崎の古本市に。 同業の方が荒らした後なので、別に重要な本はない。 ヴォルテールの『哲学書簡』(岩波文庫)は今手に入りにくいような 気がしたから手にいれておいた。他にはビーグル号航海記(3冊で800円なので)。
ジョージ秋山の『アシュラ』と『咲太郎』。『アシュラ』は読むのがつらい。 こんなマンガが載っていたんだから、70年代初頭の少年マガジン恐るべし。 諸星大二郎だって少年ジャンプだったわけだし、 マンガ雑誌があんまり分化していなかった時の方が、 青少年の多様な関心をよびおこすって意味はあったような気がするな。
永井豪の『キューティーハニー』。 永井豪は、読んでいても「やーい、エッチ、スケベ」 と非難される恐れがなくなったのでうれしい。 (っていう感覚は私の年代のひとでないとわからんのではないだろうか?) 『あばしり一家』や 『ハレンチ学園』なんかも全部欲しいな。
その他、安い新書・文庫をごちゃごちゃ。
次の古本市は、
連休は徹頭徹尾家でごろごろ。 昨日はカレー、おとといはハンバーグとか作ってよろこんでいた。
最近目的の本がすぐに探せなくて困ることが多いので 本棚の整理をもくろむが、 予想どおり途中で挫折。前より悪い状態になる。 六畳の部屋一面に本がしきつめられた状態。ううむ。 同じ本を何冊ももっているのも悲しい。
前に看護学校で体育の先生と一緒になり、 「まあ、ウォーキングですね。2日に1回ぐらい、とにかく40分休まず歩くこと」と アドバイスされたのでなんとか実行中。
全国のアイちゃんファンの皆様こんにちわ。 今日はひさしぶりにアイちゃんがNHKに出演しましたねー。 すてきでしたねー。賢いですねー。感動しましたねー。 チンパンジーあなどるべからずですねー。
それにしても、最近のNHKの科学番組はどれも面白いなあ。 なんか腕ききのプロデューサーとかいるのかな? 昨日は「地球」のやつをずっと見ていたのであった。
(☆☆☆)夜、ひさしぶりにお医者と将棋。1勝2敗。 話題が援助交際とかいうものになり、 とうぜん「なぜ援助交際はいかんか」という議論になり、 「朝日新聞のようにわけわからんものに訴えるんじゃなく、 危険じゃからという理由で私利にうったえたほうが効果ありそう」 ってな感じの話をする。 「危険とは?」とたずねられたので、 (私のなかで)話題のバクシーシ山下のAVのサワリ観賞する (やっぱり途中まで)。不愉快な気分になったと怒られる。すまん、医者。 しかし、あれを中学・高校で見せたら援助交際しようなんていう 子は減ると思うな。やろうかな。(うそ)
「満足な豚より不満足な人間、満足した馬鹿より不満足なソクラテス」という ミルの有名な部分を、「現実逃避的傾向」と解釈する人がいた。 (安食正夫『プライド』中公新書p.14) ふーむ、そういう見かたもあるか。
寝る。散歩。結局、スープストック計画は挫折。午前中に 行動しないとガラは手に入らない。
授業再開。まずまず。さすがに私語はかなり減った。(しかし絶滅させるのを めざす)
水谷助教授が「The BASIC」に連載中の デジタル万華鏡 (電脳曼陀羅は中村正三郎でした) が 一部オンライン化されたようです。よろこばしい。
なんと、エッチの話は私の名前が発端だったのか! (<a name=>には空白とかいれても大丈夫だっけ? うまくreferできないような気がする。)
そういや、昔から「えっちさとし」とか「エロ恥」 とかよく言われたなあ。しくしく。とくに、「江口恥」(江口聡だってば!)と書くやつは いまだに後をたたないのが悲しい。
まあ、「エッチする」という言葉については私はそれほど 抵抗はない。「ムカツク」や「エラソーニ」という敵意ある 言葉に抵抗があることを前に書いたが、まあ、そういう言葉とは ちょっと違うじゃろ。もともとは女学生の使う言葉だったのではないかな。
そもそも、性にまつわる表現はいろいろ婉曲にしたり 冗談めかしたりしたくなるものなので、まあ、ほほえましいと思う。 ちょっと反省すると、「セックスする」とかっていう表現もなかなかへんである。 なんでそんな基本的な単語に外来の言葉をつかわねばならないのか? すでに「せっくす」という言葉をつかうのにも照れとか入っていたんじゃないかな。 40年〜50年代の日本の雑誌などを見ると、そこらへんの 表現に苦労しているのがわかる。 (よって私はその行為は「交尾する」「愛をつくる」 「ネジをまわす」「それをひたす」「それをもつ」「相互交流をもつ」 などを用いる。「ようよう、ねえちゃん、ネジまわせへん?」とやるわけである。(うそ) 「おセックス」とかも好きざます(これもウソ)(あんまり下品で頭が痛くなった))
「寝る」とかってのも実感にそぐわないようになったのかもしれない。 (いや、立ってするようになったわけではなく....)
興味深いのは、「セックス」と対比される意味での 「ペッティング」という表現や、関係の一元的進行状態を示す 「A、B、C」などがほとんど 消滅したように見えることで、「高校生はキスまで」 「結婚前はセックスはいかんがペッティングは許す」 というアメリカ50年代的自己欺瞞的態度(?)が消滅しつつあることを 反映しているのだろう。「セックス」という言葉には、上のCを指すという 狭い意味があって、「エッチ」はもっと広い身体的交渉を指すのだろうし、 そういう意味でつかいたくなるのもわからんではない。
書き忘れたが、 「スケベする」という表現は1984年冬〜1985年春には、 河原町近辺ですでに使用されていた。 また同時に(それに対応して)「エッチする」という表現も用いたことがあると思う。
ちなみに、二人称の「お宅は」という表現は、1975年ごろに多用していた。
こういうネタが続いたが、 最近でた度会好一『ヴィクトリア朝の性と結婚』中公新書は 当時のイギリス社会に関心をもっているひとは必読。 当時の手紙や日記を中心にして、性をめぐる「神話」の 真相をあきらかにするという本。ちょっと全体を通しての筋が 見にくいけど、資料として十分おもしろい。 カーライルを貧乏人よばわりして結婚をこばんだ女やら、 すべての功利主義者のマドンナであるハリエットちゃんやらも登場。 もちろん、そのほかハーディーやらオースチンやらも出る。 もっとも、「偽善に満ちたヴィクトリア朝」という認識は かわらなかったけど。(もちろん私は偽善が大好きなので、 そうであってくれてうれしい)
国内哲学・宗教学関係リンク集と 哲学テキストリンク をsocioにミラーしてみる。SINETを利用している 大学関係の方などはこちらの方が速いはずである。 どちらも大変な労作で、非常に有用なものなのだが、 大学からは遲くて遲くて私はこのごろチェックしていなかったのである。 作者の永崎氏と涌井氏に感謝。
仕事の上でちと小さな(?)ミスをしてしまう。むう。 ま、いっか。もっと大きいのはいろいろやってんだから。
雨。某大学。まずまずかな。 木曜日はいつも帰ってくると、「キュウ」ってな感じで死にそうになる。 なぜ特に疲れるのだろうか。
しかしビデオを返さねばならないので百万遍へ。ついでに、いくつか 借りてくる(もうAVは見ない) フレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズの「トップハット」を見て寝る。 もうひとつかな。 「コンチネンタル」の方がずっとよくできているよなあ。
質問なんですが、 大学の臨床心理学やカウンセリングなんかの授業で、オプションで3万円ぐらい 払って合宿して 集団カウンセリング (2泊3日ぐらい泊りこんで悩みを語りあったり、 身体的接触をためしたり、泣いたり笑ったりetc.ってやつ) なんかをするのはふつうのことなのでしょうか?
某看護学校は今日はお休み。家でゆっくり。初夏っていいなあ。
名人戦第3局は谷川の勝ちだったのね。棋譜だけ手にいれた。 まだ評や解説をまったく読んでないけど、 棋譜を見るかぎりでは谷川らしい名局なのではないかと思うのだが。 (実はまた双方ミスだらけの凡局だったりして) 毎日新聞勝ってこよう。
今日入るはずの給料がはいってない。ううむ。困りまくり。
MacでGIFのアイコンを作るフリーソフトはないものだろうか?
辺境の地 において、ある細菌との局所戦激化。 冬の間に絶滅させておくべきであった。 あわてて救援物資を送る。 最近はかなり高性能な兵器が開発されているので、敗北の心配はない(はず)。
楳図かずおの『漂流教室』2、4、5巻を読む。夢落ちにしなかったのは エラい。
ひさしぶりにHTML原理主義宣言に 手を加えた。いつまでたっても完成しないし、文章もなんだかヘン。 でも、まだ一度も読んでないひとは一度でいいので目を通してください。 おねがいします。
初夏ということで無性に体を動かしたくなり、夕方ひさしぶりにジョギング。
知恩院→川端三条→鴨川を北上→今出川(折り返し)→鴨川を南下→御池
というコースをちんたらちんたら走るとほぼ40分かかる。
今日の目標は、「とりあえずゆっくり40分体を動かす」だったので満足。
よいシューズをもっていないので、足腰に負担がかからないように
ラフを走ることができるのがこのコースのよいところ。
(また、カップルを観察(「出歯亀」か?)できるのもよい。
距離も時間もちょうどよいくらいなので
このコースを「公認ジョギングコース1号」とする。
今日はウォークマンを持ちながら(Chicのベスト)走ってみたが、 ディスコサウンドではちょっとペースがあがりすぎるようだ。おそらく通は ウォークマンなどしないのであろう。
散歩やジョギングは楽しい。一銭もかからない娯楽である。 問題はうちにシャワーがないこと。
軽い筋肉痛が心地よい。
唐突だが、松本大洋の『ピンポン』は京都の駸々堂コミックランドでは 全巻平積みになっている。
授業は悪くないような気がする。しかし眠い...
加藤尚武『現代倫理学入門』(講談社学術文庫)をテキストに使っている 授業を二つやっているのだが、 そのP.38「10人のエイズ患者に特効薬が1人分しかないときに どうするか」という問題に対して、どちらの大学でも1/4近くの人が 「均等割り」や「捨てる」を選択する。つまり、「1人しか助けられないなら 誰も助けない」を 選択するのである。 非常に興味ぶかい。
問題の文章がちょっとミスリーディングだったり(失礼)、 私のその問題状況についての 説明が舌足らずだっだりする可能性があるが、 もっといろんな心理的問題があるのだろう。ちょっと 考察するつもりだが、 今日はあまりに眠いので明日。 簡単にメモしておくと、 おそらくこれは「平等」という価値を最優先するためではなく、 自分が生き残る者となった場合の「咎め意識」と関係がある (あたりまえか)。
「出歯亀」なる言葉は昭和生れにゃわからんかもしれんのう。 (ワシも変換まちがえておった) やあ、すまんすまん。明治の末に池田亀太郎という男がおったのじゃ。 変態性欲者で女湯とか覗きまくったんじゃな。まあ、それいらい ノゾキとかするようなヤツをデバガメというようになっていた 時代があったのじゃ。流行語じゃな。じゃから、ワシのような明治生まれの人間や、 そういう時代の文章なんかを読んでいる人間だけにしか わからん文章ができてしまうのじゃ。まあ、辞書にも 載ってはおるがの。
実はこのひとは女湯を覗いたあと、さらに凶悪な行動にも 出たそうじゃ。くわばらくわばら。
故郷から服などが送られてくる。ほろほろ。
まじめに授業。午後「哲学」はちょっとうまくいかなかった。むう、 むずかしいものだ。
いろいろあって、とりあえずホームページからこの書き殴りへの リンクを消した。「What's New」のリンクも切ったので、 とりあえず書き殴りは分離されたわけである。 とにかく、移動しなければならない時期が来てしまったらしい。無念。 このまま(ホームページとのリンクを切って)続けるか、 もとにもどすか、 あるいは別のサーバーに移るか、あるいは完全に地下にもぐるかは未定。
大学における集団カウンセリングについてご意見ありがとうございました。 現在まで、18通回答をいただき、 うち、「そういうもんだ」が2通でした。 そういう合宿などをしているところもあるかもしれないという情報もありました。 はっきり、ふつうはそうなのか どうかということはわかっていません。 そういうもんなのかもしれません。
以下に、書いて秘密の場所においていたもの。
===================== ここから ====================
さて、ちょっと耳にした話なのだが、(危ないネタかもしれないのでとりあえず 用心のためこっちに)ご相談。
ある大学では「カウンセリング」という授業があって、 その受講者はこの連休中に合宿をチョイスすることができたそうである。 二泊三日で3万円ほどの費用が要求されるらしい。教務課を通して 申しこむ。クラスのかなりの人数が参加したらしい。 で、 どういう合宿かというと、どっかのお寺に行って、3日外に一切出ず、 グループで 身体的に接触してみたり、 悩みを語りあったり、泣いたり笑ったりというものらしい。 (だいたい想像つくよね?) 帰ってきた子はかなりハイになっていて、あんまり親しくない子にも これまでの悩みごとなどをいきなりぶわーっとうちあけたりする精神状態に なっているらしい。すべて伝聞。
むう、たしかにカウンセリングってのは、 実際に福祉の仕事とかしようとしたら そういう技術が必要なのかもしれないし、そういう訓練をつむものなのかも しれない。たしかにそれくらいのことをしないと、 カウンセリングなんてできないかもなあ。
しかしなあ。 うーむ。夏休みは1週間の合宿があるらしい。 ううむ。なんだか。大学が人格開発セミナーを紹介しているような もんなわけだしなあ。ま、3万円だったら安い(!?)からいいのか? (ふつう10万円越えているような気がする) カウンセリングの授業というのはすべてそういうものなのだろうか?
通常の授業の様子などは知らない。参加して疑問を感じている 子もいるそうだ。「あとで考えると、指導者に体をいいように触られていたような 気がする」らしい。 その話をしてくれた子 は、そんなひどいのなら見物に行ってみようかな、などということを 言っている。
カウンセリングとはそういうもんなのだろうか?
私はそういうものにひやかしで参加するのさえ危険だと思うのじゃな。
以前JICC出版局の『人格改造』というブックレットを読んだことがある。 鶴見某の『人格改造マニュアル』は未読。
いくらまきこまれないようにしようとしても、 ワシら人間は、罵声や鳴き声やさけびや非難など、そういう ものには生理的に反応してしまうようにできているのだと思う。 そういう場所で平静でいられるはずがないのである。 ま、ある意味(っていうか、まさに)洗脳そのものなんだし。
ある方は集団カウンセリングを覗いたという報告をしてくださったが、 実際にその中で経験すれば、外からは笑えるものも笑うことは できなくなってしまうのではないだろうか? 何度も言っているが、私はアドレナリンが出るような 状況は(極端に限られた場合を覗いて)嫌いである。そんな状況には おちいらずに生きていきたい。戦争反対。
恋愛や友人関係や学校の授業、ってのも、まあ、いろんな意味で カウンセリングや洗脳に似ているというのはある。 愚痴をこぼしあったり、他のひとには話せない 悩みを吐露したり、 感情的になったり、人格攻撃:-)しあったり:-)、 まあそういういことは 濃い人間関係の中心部分のはず。それ自体は問題はないと思う。
問題は、集団カウンセリングなんてものは、 そういう「操作」そのものを目的にしているってところにある。 人為的に生理的に不安定な状態をつくりだし、 そこでなんらかのカタルシスを体験させるってのは、 まあ、それを十分に説明を受けてのことであれば、 悪いことではないのかもしれないが。しかし、 自分が心理的ストレスをかけられたときに どうなるかを十分に知っている人はそう多くないだろう。
その集団カウンセリングに友達同士で参加した女の子たちは、 それに参加した同じ男の子を好きになってしまい(!)、 関係が悪化したそうな(伝聞)。 精神的ピンチのときに恋愛感情がひきおこされるってのは 当然あるじゃろな。パニックもの映画ではなんらかの仕方で 男女がくっつくし、それをワシらは納得して見てるもんね。
カウンセリングにお金をはらうということは、 ふつうの人間関係ですませるべきかもしれないことを わざわざ金をはらって誰かに依頼するってことなんだと理解している。 お金をはらってパパや恋人やガールフレンドなんかになってもらう ってことなのだろう。 だからまともなカウンセラーの原則第一条は 「お金はらわないやつとは会わない、決った場所でしか会わない」 のはず。
集団カウンセリングは その集団で相互にやらすんだから、安上りだし(金銭的な意味だけでなく、 心理的コストという意味で) 、邪悪な意図も はたらきやすかろう。
20歳前後の女性を、そういう手口でモノにするのは それほど難しいことではないだろうと思う。 私がそういうセミナー開いたら、毎回1人は、 まあ、ウハウハだな。 (下品) あんまり関係ないような気もするが、 そもそも教師なんていう職業はそういう危険性と つねに隣合わせになっていると私は理解している。
まあ、健康なものではない。なんでそんなものを 大学が紹介するなんてことがありうるんだろうか? どう考えてもちょっとおかしい。
むう、問題は、私はセックスなどと同じように、 そういう人間関係における心理ってのは人の核になるべきもので、 簡単に金銭にからめるのはおかしいし、意図的に操作するのもおかしい と思っているのだな。いや、売買春の方がずっと問題が少ないかもしれない。
ううむ、このネタは表のページにも出したいなあ。 (☆☆☆☆) しかし、いやしくも福祉だのカウンセリングなどを志すのであれば、 そういう経験もつんでおく必要があるだろうとも思うわけだ。 前にも書いたように、私たちは、他人から糾弾されたり、 危機的な叫びを聞いたり、苦痛の呻きを聞いたりしたときに 自分がどう反応するかってことを知らない。殴られたときに どういう痛みを感じ、どう反応するのかってことを知らないひとも 多かろう。(私自身、ここしばらく殴られたことがないから 忘れちゃってる)絶対的に弱い人間や醜悪な人間を前にしたときに どう行動するかも知らない。
ワシらはそういう経験をつまずに 「大人」になっちゃったりしているちゃったりするわけだなんちゃって (酔ってる)。んで、そういう状態で「カウンセリング」なんかしちゃったら、 患者(じゃなくてえーと。うぃ。ひっく。)にまきこまれたり、 自分の気づかないサディズムが呼びおこされたり してしまうに きまっているような気もしないでもない。んじゃ、あらかじめ 免疫つくっちゃえ、というのもありそう。そりゃー、例えば 登校拒否だのカジュアルセックスしている 人の苦しみを理解する一番てっとりばやい近道のように見える 方法はそういう体験をしてみる ことだろうからね。人格改造セミナーや宗教団体にはまるひとの 内的生活を知るにははまってみるのが一番早いだろう。ワシらの 想像力や認識力なんてたかが知れてるからのう。
む。そこまで考えた上でのことじゃったら許す。許してつかわす。 やれ。集団。泣け。わめけ。動揺し絶叫せよ。金とられて不幸になることを 教えるためには金をとって不幸にせよ。
続くが、 前に行っていた塾が、まさに人格改造セミナーのようなものだった 時期があるのだな。経営者はガタイのいい外見も醜悪な おっさんで、私が働きはじめた当初は、 生徒を怒鳴るわ怒鳴るわ。私は知らないが、殴ったりしたことも あるはず。そういう恐怖と 個人的なアメ玉で生徒をあやつっていたわけである。 おそらくその当時は、教師の方の力不足を彼の カリスマでおぎなっていたのだと思う。
そのころ私(D2の冬だからもう5年まえ?)は 「研修期間」ってやつで、時給800円で 授業の見学をしているだけのころだった。そんなところに いたくはなかったのだが、経済的にやめるわけにもいかなかったのである (と合理化しておく)。
恐怖の前では理性だの合理性だの理屈はなどなんの役にもたたないのである。
その塾は、それを一度見たあとは、おっさんとは直接にはほとんど かかわりなく過すことができたので、まあ、直接には そういうものにコミットしないですんだ(と合理化しておく)。 そこの雰囲気もずいぶんずいぶんなごやかで合理的で効率的なもの になったと思う。実際、そのころのようなひどい顔をした 生徒はそれ以来見たことはないし、合格者は増えたし。すこしは 潜在的な幸福の増大に貢献したと思う。(ほんとうは、去年教えた子たちが 今年どうなっているのか心配なんです。ああ。)
あれは麻原と同じ手口だし、私たちは 一度恐怖にとらえられたらそれに対抗することはほとんど無理なんだと実感した。 以前、麻原がどこかの支部の女の子に電話しているテープてのが 流れたことがあったが、あれとだいたい同じなわけだな。
むう。あそこで私は何が起っているのかを把握することができなかったし、 自分がするべきことを認識することもできかなったし、 それがわかったとしても行動することはできなかっただろうから。
人格開発セミナーとかヘンな宗教団体に出たひとびとも、 おそらく「これはヘンだ」と思っても抜けだすことができないのだな。 それはバクシーシ山下のAVで逃げられないのと同様。 (ちなみに私が見てショックを受けたのは 『女犯』の4と5である。)
さらにつっこむが、そもそも、そういうものを 嫌悪する私の方がおかしいのかもしれない。長年 人間とかいうものは戦争だとか、喧嘩だとか、宗教的儀式とか、 共同体の祭だとかそいう 興奮状態を味わって生きているわけで、そういうのが ないってほうがおかしいのかもしれない。時々 なんらかの強いストレスをかけないと人間はぼけるんだよな。 「人間は戦争が好きなのである」ってのはどうだ? いや、これは最近読んだなんかにあったなあ。 『病気のうんたら』だ。
これはしばしば感じることで、例えば私の生活は 「ケ」ばっかりで「ハレ」な時がないのである。 むう。そういうのを金を出しても手に入れるべきなのか?
===================== ここまで ====================
リンクを切ったのは別にどこかから圧力がかかったりしたわけではない。 災厄を未然に防ぐのである。(ほんとう)
ついでに、「日記猿人」というところも ひさしぶりで「新作リスト」というところを見ると、 なんだか多くの日記に埋もれていて意味不明なので登録をはずすことにした。 日記猿人ファンのみなさま、さようなら。またどこかでお会いしましょう。
じわじわと後退しているわけである。こういう行動をしてしまうところが、 雨つづきの日々の軽い鬱を反映しているわけである。」
最近また「日記界」というところでモメゴトがおこったようだが、 しばらく電脳野次馬を引退していた私にはよくわからん。 実際のところ、こういう日記のたぐいは、 あんまり多くの人に読まれない(正確には特定の人に読まれないように)するのが たいへんなのであって、私にとって「誰にでも楽しめる」ようなものは それほどおもしろいものではない。個人的な独白や随想や失望や 激怒を読みたいと思う。 いつも書いていることばかりで おもしろくないからコメントアウト 実際のところ、「ばうわう」氏の文章はもめごとを起しているときしか 読まない。暴れているときだけは、彼自身の奇妙なpreferenceがはっきり 出ていて、まあ、興味がひかれたりもするなあ。
遅刻しそうになり、あわてて亀岡の某大学へ。 今日は「学生大会」ということで、午後の授業は休講になる。 ついでに午前中の1コマも休講にしたかったのだが、 まあ、そういうのもナニなので急ぐ。
やはり、嵯峨野線も亀岡駅からのバスもがらがら。 「ああ、やっぱり学生大会の日なんか、みんな学校には行かないんだな、 きっと教室ガラガラだな、やっぱり休講にすればよかった」などと 思いつつ大学到着。それにしても人がいない。ぽつり、ぽつり。 こんなに学生がいないなんて、学生大会の実行委員なんかも たいへんだろうな、などと思いつつ事務へ。しかし、 なにやら紅白の幕をたらして消防団の式典の準備などをしている。 ううむ、学生大会しながら別の行事もやるってわけか。うーん。 ちょっとなあ。
しかし、ここらへんでヘンなことに気づくべきであった。
学生「あ、先生、先生の授業とりにわざわざ来たけど、 今日は創立記念日で休みらしいですよ。
がーん。またやってしまった。じゃ、学生大会はいつなんだ?
去年も某大学が夏休みのときに行ってみたり、 学園祭のとき行ってみたりした。 オレってダメなやつ。しくしく。人間失格。
午後時間があいてしまったので、 京都駅からふと京都線に乗り、気がつくと大阪福島の将棋道場にいる。 実にひさしぶり。 なにやら調子よく、6連勝で4級に昇級。ついに。うーむ。感動。 どれも序盤で苦しくして終盤でひっくりかえすという展開なので、 なかなか気分よい。 4級の認定証と、5連勝賞として小銭入れをもらう。これから 私のことは江口4級と呼ぶこと。
看護学校。
関西将棋会館で将棋。 ○●●○○
やはり4級ではそんなに簡単には勝てない。
近所に功利主義者たちが集結しているという噂を聞いたので、 ひやかしに行く。
帰宅してすぐに寝る。金がないときは寝るのが一番。
今日も功利主義者たちが会合を開いているようなので、 午前中ひやかす。それにしても、功利主義って言葉はどうにか ならんか。どうしても 「もうかりまっか?」「ぼちぼちでんな」という人々の会合のようではないか。
某氏と将棋して●●○。
最近、『Quick Japan』という雑誌のバックナンバーを集めて読んだりしている。
3月号はコーネリアスの小山田圭悟がいじめっこだった話だの、 竹熊のオウムの論評だの、 4月号のブルーハーツ解散の話だの、 読みごたえがあって、最近の雑誌のなかでは、なかなか上位に位置すると思っている。 というか、私の嗜好にあっている。大昔の『宝島』を読んでいるような 感覚がある。
「消えた漫画家」でのジョージ秋山や『聖マッスル』の特集も なにやら感心して読んでしまった。
子供のころの私に衝撃を与えた秋山の少年ジャンプに連載していた 『灰になった少年』や 少年マガジン連載の『地上最強の男・龍』(作者名は失念)を読んでみたいぞ。 『灰になった少年』は もはや出版は不可能だと思うけど。
本人の精神状態不安定のため、 ホームページ(index.html)を書きかえる。こりゃ、 最初から書きなおさなきゃだめだな。 とりえあず解体して仕切り直すか。
某大学で授業。
木屋町「鮹道楽」で 「明石焼」を食べながらバクシーシ山下『セックス障害者たち』を読む。 それほどおもしろくない。ま、 こんなもんじゃろ。 この本から、「ビデ倫」の判断基準が曖昧であるという ご指摘をいただいていたのだが、まあ、たしかに曖昧だが、 その件について特に考察したくなるような本ではなかった。 ちなみに、「明石焼」はおいしくなかった。
どうでもよいことだが、 私の前歯の1本は差し歯である。これは、昔酔っぱらって自転車に 乗っていると、東大路の歩道に自転車が転がしてあり、 それに乗りあげて転んで折ったのである。 自転車というものは危険なものなのである。
非常につかれて、帰ってくると動けない。
なんとか午前中授業。午後は学園祭だかなんだかで休み。 今回は事前に察知していたので行ったりしない。寝てしまう。
給料が入っていた。これの 大半が借金返済にあてられるかと思うと悲しい。 とりあえず、たまりまくっている家賃の一部と、これまた滞納している 電気とカードを払うと ほとんど残らん。ぐう。家計簿を復活させる。
しかし、いつまでも水の漏れるヤカンを使っているわけには いかないので、2000円ぐらいの笛が鳴るやつを購入。 このタイプのものは、空焚きすると壊れることは実証ずみなので 避けようと思ったが、沸かしっぱなしにしてしまうことも 多いのでやはり笛つきにした。
え?んじゃ前はなんで空焚きしたんだって?口を開けたまま 沸かしてしまったのよ。意味なし。
区役所から呼びだされている(保険証の書きかえ)が、恐くて行けない。
どういうわけか、今ごろSugar BabeのSONGSなんかを聴いている。 ボーナストラックのライブの「愛は幻」〜「今日はなんだか」のあたりがなかなか よい。でも一番好きな曲は村松が歌う(?)「ためいきばかり」。 山下達郎ってひとは声が細すぎて ちょっと気の毒。これだけはどうにもならんからなあ。大貫妙子も なんだか音程が不安なときがあるな。
仕事がおわってから、 鶴見の『人格改造マニュアル』と、別冊宝島の『洗脳されたい』を 買ってきて、ビヤホールで一人さびしく食事しながら読む。
『洗脳されたい』はたいしたことないんだけど、 鶴見はやるなあ。覚醒剤使おうが、人格改造セミナー通おうが、 それでハッピーになれるんだったら価値があるっていう主張で、 頭がぐらぐらする。
私もすでに、タバコ、コーヒー、酒といろんな化学物質に たよっているんだよなあ。
休み。警察に行って免許証をもらい、 散歩がてら歩いて区役所まで行って、健康保険の手続き。たっぷり 冷汗をかかせてもらう。とりあえず、今年からの分は払うという 誓約書にサイン。誓約書を書くのは実はこれで3回目。今回は 同情的なおじさんなのでまだ助かった。
ぷらぷら大学に来て、借金の一部を返済する。
昼は薬味だらけの素麺、夜は玄米と鰺とタラコと アサリとモヤシとシシトウと油揚。健康な食生活って いいなあ。
素麺は自分でツユを作りたいが、椎茸をもどしたり できたダシを冷したりすることを考えると面倒だよな。 私はセッカチなので、時間がかかるものは作りにくい。 夕方、スーパーに買物に行く途中でひさしぶりに 鴨川将棋会館へ。私はここではまだ段級がさだまっていないのだが、 初段に3連勝。将棋会館より甘いのね。
夜、医者とビール飲みつつ将棋(○●●●●○)しながらよもやま話。 これほど移植が必要なのは、あんまり人が死ななくなって 死を目撃することが少なくなったからなのか、 生殖クリニックがこれほどもうかるのは、 ロマンチックラブイデオロギーがあまりにも優勢になったためなのか、 なんて話でもりあがる。 借金の一部を返済する。
それにしても、ここ4年ほど健康診断を一度も受けていないのが 気がかり。恐いよう。せっかく保険証を更新したんだから、 どっかで検診受けるか。
夜、小雨のなか、川辺り(うちの前には白川が流れている)で ホタルが一匹だけ光っているのを発見。おそらくまだ幼虫だろう。
調子が出ないのは、きっと気温が低いからだよなあ。 早く暑くなってほしい。
2年生のドイツ語の授業は最近調子いいのだが、 人文の授業が失敗。むう、睡眠不足か、昼飯を抜いたせいか、 単なる準備不足か、鬱か。
帰りに寺町でプリンタのインクを買うと、 近くニ「スーパーその日暮し」という家計簿ソフトがおいてある。 私のような破滅型経済生活のひとに生活指導してくれるらしい。 まえから気になっているのでパッケージを手にしてしばらく 考えこむが、7000円も出せないのでやめる。このお金でジーンズでも 買おう。
とりあえず今日は日が暮れる前に寝るべし。はやく暑くならないかなあ。 こんなの、夏じゃないよう。やだやだ。本物の夏を返せよう。わーん。
天気と頭の調子の関係を実感する。
授業から帰ってきて夜は料理プレイ で楽しむ予定だったが、諸般の事情により スーパーに行きそこねたので、 ふらりと祇園の店に入ってみる。
イスが6、7ぐらいしかないカウンターだけの ほんとうに小さな店で、料理も惣菜風のものだけ。 おでん、クリームコロッケ、おひたし、ポテトサラダ、豚の生姜焼なんてものを ビールといっしょに食べるとウマい。ごはんもなにやら 感動するほど旨い。 いや、ほんとにおどろくほど旨いごはんだった。 勘定が気になっていたのだが、 安いじゃないか。なんだか村上春樹のエッセイの 「うさぎ亭」に来たような感じであった。うーむ、そういう店が実在するんだなあ。
これまで祇園は恐くてぜんぜん利用していなかったのだが、 これを機会にお店をさがしてみることにしよう。
まずまず。やっぱり天気は重要。デパートでジーンズを買う。 やっと今年の普段着ができた。実は、今、ふつうの はくズボンが全然なかったのである。 (すべて大きな穴があいていた。)
表ページはほとぼりがさめてから秘かに復活の予定。
スーパーでは青梅と氷砂糖とビン(壷?なんていうだ?)が並べて売ってある。 挑戦しようかと悩んだが、今日は見送り。 梅酒を作れる生活ってのは、かなり豊かな感じだよな。 いや、経済ではなく気持ちが。
最近、夜もなかなか時間がとれなくて書き殴れない。むう。
爆眠。看護学校は毎週授業があるわけではない。やはり、週休2日と3日の違いは でかい。
ひさしぶりに、自転車に乗って烏丸鞍馬口の至誠堂という洋書屋へ。 いろいろ欲しい本があるが、全部買うわけにはいかない。 やっぱりこの生活はだめだ。
これまた懸案であった市府民税について相談しに区役所へ。 2年分20万近くをためこんでしまっていて、 何度も督促されていたのだ。前に一度行ったときと 同じように小部屋に通され、冷汗をかく。 とりあえず2万円まきあげられる。しくしく。 ああ。しかし、借金というものは、時々でも 一部を返して誠意を見せることが重要なので、 いたしかたなし。やっぱり今年も苦しいなあ。
買物ついでに鴨川将棋会館で2局。初段と2段に連勝。やっぱり、あそこは 段級認定がかなり甘いなあ。
ひさしぶりに夜時間がある。 うれしい。掃除しようか、 久しぶりに 酒のみに行こうか、 あの本を読もうか、寝るか、などと 思案しつつ時間が過ぎていく。
(☆)
とりあえずトイレなんかを掃除しちゃったり。
WWWによる掲示板はたいてい使いにくい。 かといって、fjやjapanあたりでグループを作るのも これまたちょっと面倒だし、余計な人々にも読まれることに なる。 いっそのこと、ローカルなニューズサーバーとか 立ちあげることはできないもんじゃろか? いや、やはりメーリングリスト程度で我慢すべきか。
もう、かなりの数の蛍が飛びかっている。悪くない。
一日ゆっくり授業ノートを作ったり、本読んだり。
少し時間があるときは、とりあえず『断腸亭日乗』なんかをぱらぱらめくって、 そういう余裕のある気分になっておく。 たとえば(季節がちがうけど)
秋海棠植え終りて水を灌ぎ、手を洗ひ、いつぞや松延子より送られし 宇治の新茶を、朱泥の急須に煮、羊羹を切りて菓子鉢にもりなどするに、早くも 蟋蟀の鳴音、今方植えたる秋海棠の葉かげに聞え出しぬ。かくの如き詩味ある 生涯はけだし鰥居の人にあらねば知りがたきものなるべし。ということらしい。
どういうわけか、モリエールの『人間嫌い』の文庫本が出てきたので 読んでみる。高校生のときに読んだ記憶があるのだが、筋を思いだせず なんとも新鮮。とくにこの本は、その私がかつて読んだやつではなく、 これで卒論を書いた昔のガールフレンドのもので、いろいろ 書きこみしてあっておかしい。彼女は元気なのだろうか。