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ふと感じたことの書き殴り

最新はhttp://www.yonosuke.net/~eguchi/papirer/ にあります。


2005/07/01 (金)

なんとか起きる。梅雨らしい。

授業2個。終った。


2005/07/02 (土)

徹夜で準備して新幹線に乗り東京へ。道に迷い、汗だくになってはじめての東大。「すげえ、これが赤門か!」。「ここが宇宙人たちのいる東大医学部なのね!」「そうだ、ここが日本の大学の頂上だ・・・ルールを作る側の人間たちがここにいる・・・」(『ドラゴン桜』風)

時間があるので喫茶店でコーヒーを飲む。東京人はものの味を知らん。 本郷というのは悪くない町だとは思うが。

学会。どうでもいいが、ちかごろの大学の新しい建物ってのはどうしてカー ペットとか貼るのだろうか。音響がデッドすぎて声が通らなくて教室として使 いにくいと思うのだが。自分のところの校舎もそうなのだが、大学を知らな い人間が部屋を設計しているようで非常に気になる。殺風景な壁も問題。

三四郎池も見る。本郷は百万遍より環境がよい。

秘密の「殺すリスト」に新しい名前がふたつ加わる。ひとつは以前から記載されている。

宴会。若い人々は元気でいいねえ。ブログな人にも会ったり。酔っ払って徹夜ハイで余計なことをしゃべったような気もする。

とってもらった旅館は修学旅行用。風呂はついているがトイレがなかったり。 次はもうちょっとまともなところにしよう。


2005/07/03 (日)

ふたたび道に迷いつつなんとか帰る。地図が読めないってのはどういうこと なんだろうか。だから旅行とか移動するのが嫌いだ。

久しぶりに新幹線に乗ってふたたび思ったのだが、なんで人々はこんなに速 く頻繁に遠くに移動する必要があるんだろうか。どっかおかしいんじゃないかなあ。 荷風なんかは生涯に2、3回しか京都に来たことなかったのに。

夏は毎年蚊に悩まされる。マラリアが心配。


2005/07/04 (月)

熱帯な感じの雨(熱帯だからしょうがない)。衣笠。補講を入れてあと3回もある。


2005/07/05 (火)

いかにも梅雨な感じ。昼前に起きる。昼から大学。自転車で坂を登るだけでぜいぜい。体が重い。なまっている。 この時期ウォーキングやジョギングは無理なので、 早急にスポーツクラブに入会しよう。

打ち合わせ。

ぼやぼやしていると日が暮れる。


2005/07/06 (水)

梅雨空。なんとか起きて3回生ゼミ。これで今熊野は授業終了。

会議。

ちょっとアスペルガー症候群に興味があって 見つけた 「パパはアスペルガー!」 なんというか、おもしろすぎる。おもしろいと思うのが不謹慎なのかどうかも よくわからない。並の筆力ではない。卒論はJ.S.ミルだとか。それにしても、人間の生活はほんとうに多様で困難に満ちていて、時に滑稽 だ。ブログはまだまだ可能性があるなあ。

さらに掲示板読んだりして、我々は人間性について20世紀とはぜんぜん違う理解に たどりつこうとしているのではないかと思った。 「医療的な目」とかそういうんじゃなく。 男性であるのはどういうことかとかについてもぜんぜん違う理解が必要になるかもなあ。


2005/07/07 (木)

昼研究室。学生と相談。

百万遍。


2005/07/08 (金)

わりと早起き。七条京阪のところの喫茶店で買ったコーヒー豆があまりにまずくて (古くなっている)非常にQOLが下る。

七条京阪にプリンセスラインが停車するようになっていたので乗ってみる。

会議。

名古屋の先生からちくま新書が届く。良書。そこそこ評判になるだろう(ジャンル的に大人気になることはないだろうが)。これで名古屋の先生も有名人だ!

研究室の片付けをしようとして余計散らかる。

アスペルガーについてwebをブラウズ。おもしろいなあ。 まあアスペに限らず、 世の中「まとも」な人間というか、なんらかの欠点を持たない人間なんてどれくらいいるんだろう。 (もっともアスペからそういう一般化をしてはいけないのかもしれない) 大学関係の知り合いを思いうかべても、教授会を見回しても、バイト経験からしても、 マトモな人間なんか見たことがないような気がする。 「人間というねじまがった素材からまっすぐなものなど作られたためしがない」?

衣笠から「来年は契約しないかもしれないからね」という手紙が届く。クビになるのかな。非常勤の組合とモメているという噂あるが、勤務態度が悪いからかも。


2005/07/09 (土)

衣笠補講。学生さんはけっこう来てくれた。

終了後いったん研究室へ。

某クリシン本を読んでぜんぜん関係ないことを思いだしたのだが、私も大学 のなかに生きているわけだから、臨床心理士まわりのゴタゴタとプロパガンダ についてもうちょっと詳しく知っておく必要があるのではないかという気がす る。うちの大学でも臨床心理士の資格とか売り出しているわけだし・・・。あ れは疑似科学なんじゃないのかなあ。学生になんらかの注意をしておく必要は ないのだろうか。どうなんだろうか。腫れものには触らないのが政治的に正し い態度なのかどうか。ここらへんクリティカルシンキングな人にちゃんとつっ こんでほしいと思うが、それじゃ他人まかせでだめで、自分でクリティカルシ ンキングしてみるべきなのかどうか。ちょっと力と動機が足りない感じだなあ。 でもいま大学関係者にとって一番クリシンが必要な話のような気がする。心理 学関係の学者たちの自浄作用を期待したいところだが、そうもいかないのだろ うか。どういう学問分野でも、以外に歴史的偶然というか少数の政治的な力を もった人がいるかいないかとかで全体が影響を受けたりするわけでなあ。

倫理学とかって学問にしても、少数の「書ける人」がどういう人であるかってことに 全体の論調がひっぱられている感じはあるしなあ。クリシンクリシン。


2005/07/10 (日)

昼起きて研究室。

まだアスペルガーブーム。アスペルガーの息子を持った父親のブログとか もあり、ネットでときどき見かけるタイプの読みにくい一方的な書き方。 おそらく彼自身その傾向があるのだろう。うーむ、なるほど。

あんまり関係ないが、道徳的非難てものはどの程度効力があるのだろうか。 → けっこうあるのだろう。他の人びとの怒りその他は、 そういう人びとを社会へ適応させる誘因の一つになる。

臨床心理士にもまともな人がいるようだ。 別にああいう政治的な組織だからといって、その資格にかかわる 人びとツブツブがおかしいということはない(あたりまえだが)。


2005/07/11 (月)

衣笠。 あと1回。

歯医者で検診と歯の掃除。不精髭に白い歯が輝く男になる。

授業中の私語についてメモ。(参照

以前から、せっかくブログにしたのに1回もトラックバックをもらっていない人を見て、 一回トラックバックしてみよう と思った。 しかしトラックバックというのはどうやってするのだろ うか。ていうかそもそもトラックバックとは何だろう。ただのreferer環境変数? 試してみるか・・・と思ったが、そのブログはすでにトラックバックを表示し なくなっていた。とりあえず試してみる。いまどきトラックバックがなんであるかを 知らないってのは恥ずかしいことなんだろうなあ。


2005/07/12 (火)

トラックバックというのは単にブラウザのreferer環境変数を使ったものじゃ なくて、「トラックバックping」とかを使ったもっと動的なものらしい。「送 る」という表現はやはりそういう仕組を反映しているわけだ。つまりこの日記 のような原始的ベタHTMLとは関係がないことがわかった。余計な迷惑をかけたなあ。

朝から。会議。

プロレスだのプロボクシングだの、やっている人びとはどの程度のリスクを 自覚しているのだろうか。直接にケガや死亡する確率そのものは他のスポーツ と比べてもそれほど高いとは言えないだろうが、最近読んだ記事では他にもさ まざまな重い障害や後遺症が出るとか。たとえばボクサーにはその後性的不能 に苦しむ人が多いとか。まあリスクがあるから避けるべきだというわけではない。 例えば冬山登山のような非常に危険らしいスポーツもあるし。 ボクサーは危険についてどの程度知っているのだろうか、ってことで。まあ 当然われわれよりは知っているのだろうな。

自分の人間性を反省すべき点あり。しかしどうにもならんのだなあ。道徳の問題としてではなく、合理性の問題としてとらえた方がよいのだろう。

名古屋の先生のクリティカルシンキング本の第4章、 どうもよく理解できない部分があるのでうだうだ考えている。

どうでもいいが、これまでの科学の歴史のなかで、「それを(その方法を) 知ることが倫理的に問題があるから」という理由で科学研究を社会的にストッ プさせたことってのはあるのだろうか。素粒子研究にあんまり金がまわらなく なったとか、アポロ計画が終ったとかまだ火星に行けないってのは倫理的な理 由からじゃないよなあ。


2005/07/13 (水)

床屋へ。再度坊主頭に。三分刈。同僚たちからは「生臭坊主」と呼ばれる。 たしかに顏が丸々として油ぎっていて自分でもそういう感じ。体がたるんでいるので どうしてもスポーツマンには見えないのも一因。

教授会その他の会議。

大学教師は性格的に向いてないような気がする一件あり。・・・少なくとも 女子大は向いてないよな。 てのは、今年5月12日の江口、女子大生ヘイトスピーチ?の一件について、 授業評価に書いている学生が複数。「失言があってショックだった」とか。 まあやっぱりヘイトスピーチなのかなあ。やっぱりそうなんだろう。 厳しく反省するべきだな。

あるグループによくある属性(この場合はすぐに私語する)を憎むてのはどういうことか。そういうのは個々の人びとの属性というよりは、あるグループの 統計的な傾向に見えるからややこしい。 とにかく言動には注意すること。しかしあまり注意しすぎるのは息ぐるしい。 徳を身につける必要があるわけだが、難しい。この場合は、 私語する学生(あるいはその心性)を憎み、しかしグループには拡大しないってのが必要なのか、そもそもそういうのをグループでとらえることそのものがいかんのか。

・・・別の考え方をしてみると、そこで個人に非難を集中して、いつも通り 「出てけ」とやればよかったとも思えてきた。微妙に甘くなって(その時は犯 人を特定までは行けなかったのかもしれない)、「女子大生は(一般に)いつまでも私語 していて嫌いです」のような言わずもがななことを言ってしまったのが問題で、 「この」特定の学生、まで絞ればよかったか・・・そうするべきなんだろう。 なぜなら、女子大生一般なんて連帯感はないわけだし、 静かな学生は私語する学生の行動について責任はないわけだから。

なんでわれわれはあるグループの統計的な性質について考えるんだろう。 思考の経済? 野蛮な心性?

うーん、あの瞬間には私はかなり不愉快になってたんだよなあ。(先日書いたよう に、「てめーらダマレ」と(いう意味のことを)言っているときに横の友人と かとごちゃごちゃやられると本当に腹が立つ。しかし人の前に喋る人間は腹を 立てたりしてはいかん。

まあとにかく私に「女嫌い」なことは認めなくちゃならんなあ。それはなる べく直そう。認知的心理療法が必要?

某講師が来て某協会の仕事。ごくろうさまです。


2005/07/14 (木)

百万遍。読書会と授業。前期終了。久しぶりに某助教授らと飲む。ヘイトスピーチやら アスペやら臨床心理士やら最近関心のあることについて語る。

さすがに「サーバーが見つかりません」な人が心配になってきた。


2005/07/15 (金)

真夏到来。昼前に起きて研究室。卒論相談1件。もう1件。

鬱やADHDや自閉症や高機能発達障害や性同一性障害などが注目されるように なったというのは、まあ一つにはそういうものを「問題だ」「異常だ」と見る 見方が定着したのだとも言えるのだろうが、 それよりも、環境要因(しつけや教育、文化その他)がわれわれの性格 その他心理的特性に与える影響が、戦後〜70年代の終りぐらいまでに思っていたよりも小 さかったという認識に対応しているのではないだろうか、とか。思えば私の子 ども時代は環境万能主義というかそういう感じだったような気がする。性格も 精神疾患も、ほとんど環境のせいにされていた、というのは私の理解が浅かっ たのかどうか。

というか、性格その他に与える先天的・遺伝的要因影響を過小評価し ていたというか。そういう遺伝や先天的要因とかを考えることがほぼ隠されるか禁じら れていたかしていたのではないだろうか。60年代以前には、子どもが(生まれ つき)ある程度親に似るのはあたりまえと考えられていたのではないかとも思 う。

まあ自閉症や統合失調症のような症状が道徳の問題(「親の育て方が悪かっ たのだ」「愛情が足りないのだ」)ではないとされるようになってきたのは悪いことではないような気 がする。「道徳」の問題として扱うってのはけっきょく世論の非難とかそういうこと で問題の解決をめざすってことで、かなりコストがかかる。それが無駄なコス トだったのなら避けられた方がよいに決まっている。まあわからんけど。

昼間学生とアスペ児童に対するいじめの話をしていたのだが、そういうタイ プのいじめっていうのはある種の「道徳的」なかおりがするものだ。そういう いじめは、「世論による非難」の原始的なタイプなんだよな。いじめる方は、 おそらくいじめの対象が「非難や制裁に値する」と信じているし、その裏には、 「こいつの性格やふるまいは変えることができるはずだ、変わるべきだ」ってのがある。 今思えば私が 時々いじめられたりしたとき(特定の子どもや特定の教師にいじめられた)と いうのは、私の他の人びとに対する無関心や敬意のなさや、好かれようと努力 しないことや、隠しもっていた(かもしれない)軽蔑が非難されていたのだろ うと思う。単に変わっているとか目立つとかだけでいじめられるわけではない だろう。(もっとも当時の私は他人に関心をもったり好かれようと努力することができなかった わけだが。)

(「いじめる子どもは他人の痛みがわからない」、とかってのはおそらく うそっぱちだろう。 むしろ、相手が痛みを感じるからいじめるのではないのか。)

ところで、私自身について考えれば、いろんな点で(心理面でも身体面でも) 年をとればそれだけ両親との類似点を強く感じるようになってきた。もう20年 以上離れて暮し、ほとんど影響はなくなっているし、生活スタイルもまったく 違うはずなのに。(まあそれは必ずしも悪い感じだけではない。)

われわれの性格はどの程度変えることができるんだろう。いや、こういう問 いそのもののフレームがおかしいのだろうか。どうすれば、どの程度世界とう まくやっていけるのだろう、と問うべきなのか、もっと別の問い?

深夜コンビニに行くと、祇園祭に出た若者たちがうろうろしていて殺伐。パトカーと救急車がパープーパープー。恐いから祭が終わるまで外に出ないようにしよう。


2005/07/16 (土)

昼前に起きて補講の準備。

衣笠補講。けっこう出てきてくれていた。 とにかくやっとのことで終了。羊頭狗肉な授業、竜頭蛇尾な終り方が好きである。

ついに夏休みだ。と、これをたまたま読んでしまった学生さんのために書い ておけば、大学教員にとって「夏休み」は休みじゃなくて授業とは別の重要な仕事をする 時期である。 教員にとっては一年で四毛作(前期、夏休み、後期、春休み)とかしている感じなのだが、私の仕事ぶりではわかっても らえないかもしれないなあ。全国的に大学教員はこの時期を「夏休み」と言わずに 「夏仕事」と呼ぶことにしてはどうか。


2005/07/17 (日)

午前中に起きる。午後大学。心を落ちつけて。


2005/07/18 (月)

ここしばらく寝る時に足〜腰のあたりがムズムズして寝にくい。運動不足?

昼前に起きて大学。クーラーつけたまま寝てしまったせいか、お腹ピーピー。

昼前に起きて大学。国民の祝日だが試験日としているらしく、学生さんがうろうろし ている。3回生の発表相談1件。

学生から価値の哲学の見取図のような本はないのかという意味のことをたず ねられ、答に窮する。日本語で読めるやつはないねえ。どうにかならんのかな。 高校や大学で哲学とかの教育が必要だと主張するつもりなら、 教材も開発する必要があるんだよな。哲学・思想系の新書とかも 一部の例外を除いて現象学だのポストモダンだの難しくて役に立たないものばっかりだもんな。もっと基本的で誠実なのが欲しい。

食欲なし。


2005/07/19 (火)

どうも睡眠が浅く、意に反して早起きしてしまう。

ジョギングして朝から研究室。しかしイスの上で寝たり。 起きてからも頭がぼーっとしてぜんぜん動かない。

午後、某講師らが来て某協会事務。

質問があったので書いておくが、 下のリストの「ジョギング」や「散歩」のあとの「1」とか「2」は、 いつも走っているコース(鴨川左岸丸太町〜今出川)の往復2.4kmの周回数である。 ちなみに「徒歩」は家〜大学(距離不明、徒歩35〜40分)の片道である。保守的な男は同じコースを同じように走る。すべての変化は敵。

「不徳とは、わたしの場合、やや過剰な近親憎悪である。 もちろんこれは多かれ少なかれ誰にでもあるもので、書かれたもののなかに 奇妙なこだわりや攻撃的姿勢が見られるとき、そこには近親憎悪が潜んでいると 想像できる。自分も落ちてしまいたいけれど何とかがんばって退ぞけているつもりの誘惑、 自分も本当はやってみたい恥知らずな振舞い、自分が自分に禁じているこれらのことを、 自意識にも苦しめられず、のびのびと行なっている(ように見える)他者に対して、 いわれなき憎悪を抱く。」高田里恵子『グロテスクな教養』ちくま新書。 それにしてもこの本おもしろいなあ。わたしもかなりの教養主義者だ。

歯医者。前歯。

飲酒禁止は19歳未満とかにしといた方がいいんじゃないかな。 なんか社会の規範に合ってないというか、欺瞞的であるというか。 全国の大学教員はどう考えているのだろうか。

あれ、障害者自立支援法案とかって、すでに衆院を通過してたのか。 けっこう重要だと思うのだが、郵政がどうのこうのの話にまぎれていたような。 新聞とかの扱いが小さくて気づかなかった。 あるいは私の関心が向いてなかった?やっぱりこういう件を考えるに、 障害者に対する視線は厳しいなあ。まあ私も関心ある方じゃないけど、 郵政云々よりは重要な話だったんじゃないかな。数が少ないと不利だってことなのか どうか。政治ってのはほんとうに難しいな。


2005/07/20 (水)

今日もそこそこ早起き。午前中から大学、打ち合せ。この夏仕事期は、 いろいろ雑用(じゃなかった本務)があるなあ。

眠くて頭がまわらない。

午後も打ち合せとかいろいろ。いろいろ考えるべきこともあり。 研究と教育以外にも考えなきゃならんことはあるなあ。

BSでやっている『チャングムの誓い』やっと筋がわかってきて おもしろくなってきた。伝統知は大事だねえ。


2005/07/21 (木)

思いたって帰省。山形は涼しい。


2005/07/22 (金)

日本酒を飲みすぎて昼まで寝ていた。

新庄市はクーラーがいらないくらい。市内を散歩。衰えた街。 城跡を歩き、資料館とか見る。


2005/07/23 (土)

寒くて朝早く起きてしまう。遅いひかり号で帰宅する。のぞみより楽だが、疲れた。

食欲なし。


2005/07/24 (日)

午前中に起きる。喉が痛い。

昼から研究室。思考がまとまらないのでさっさと帰る。

すいかを食う。やっと夏休みな感じ。夕方は湿度が低くてそれほど暑くない。


2005/07/25 (月)

早起き。午前中から研究室。卒論相談1件。

あまり調子よくない。昨日よりはましだが。


2005/07/26 (火)

雨。明け方からやっとうとうと。昼から研究室。卒論相談2件。

不愉快な不動産セールスの電話。昨日につづいて2回目。

ちかごろの「ジェンダーフリー」バッシングなるものは、たしかに、「ジェ ンダーフリー」とかっていう奇妙な(出典のあきらかでない)言葉についての 誤解にもとづいたものなのだろうが、それを単なる政治的バックラッシュだと 見てしまうとこれまた新たな誤解を生みだす原因になるような気がする。政治っ てのは難しい。

「ジェンダー」まわりについては、フェミニストの偉い人が公式に、マーガ レット・ミードの文化人類学や、ロバート・ストーラー→マネーとタッカーあたりのジェンダー/ セッ クスの分け方を2000年ごろにちゃんと批判的に精算しなきゃならなかったので はないのかなあ。精算しないままにしておくから「ジェンダーフリー教育」と かってもの(それがどんなものかは知らんが)に対する誤解がなくならないん ではないのか。

でも実際に偉い人びとはその後バトラーとか援用して「いや、ジェンダーだ けじゃなくてセックスも社会構築だし」とか言いはじめてさらに混乱させてい るような気がする。偉い人というのはたとえば上野千鶴子、江原由美子、竹村 和子あたりだろうか。どう読んでもバトラーは不明瞭で有害であるように見え るのだが、そうは思われていないのかなあ。なんでこんなに人気があるのだろ う。フェミニストの「頼みの綱」になっているような気がする。(それにアン・ ファウスト=スターリングやバダンテールあたりの「フェミニスト科学者」とか の言い分を無批判そのまんま受け入れちゃってるのではないか。もちろん、 それ以外の「科学者」を信じる理由も難しいわけだが)

もし仮に教育現場で「生殖以外には男女の間にまったく生得的な差はなく、 ジェンダーもセックスもぜんぶ完全に社会的構築にすぎません、男性の性欲や 攻撃性も単なる文化で、わたしたちはそういうのから完全に自由になれるし自 由になるべきです。つまり、道徳の問題なのです。」とか教えようっていうな ら(いくらなんでもそんなことはないだろうが)、私だって反対したくなるも んな。

そういや、あんまり関係ないが、

ラセットは、ジョン・スチュワート・ミルの『女性の隷属』を読んだダーウィンが、 婦人参政権に関するミルの見解をあざ笑い、 「この男は科学を勉強する必要があるな」と言ったという逸話を紹介している。 (江原由美子『ジェンダー秩序』勁草書房p.344)

出典がはっきりしないが、シンシア・イーグル・ラセットの『女性を捏造した男たち——ヴィクトリア時代の性差の科学』工作舎p.10だとすると

[ミルによれば]両性の間に見受けられる差異を自然なものと決定するには、それが教育や 外的環境の影響を受けた人工的なものであってはならない。当分のあいだは、卒直に無知を認めるのが唯一まともな知的立場であろう。

チャールズ・ダーウィンはこの考えに反対だった。彼はウェールズのとある丘 の斜面で声を張り上げ、そこから二十mほど下に住む夏の隣人、すなわちすぐ れた著作家であり社会改革者でもあったフランセス・パワー・コブに向って、 出版されたばかりのミルの女性に関するエッセイに関する意見を述べたことが あるという。いわく、彼の本には興味があるが、「ミルは少し自然科学の勉強 をした方がいいね。それに・・・雄に力と勇気があるのは、生存競争、ことに 雌を得るための戦いのせいなのだ。」女性の性質も男性と同様に、彼女たちの生物としてのあり方に 根ざすものなのだ。重要なのは文化ではなく自然なのである。〜」

ずいぶん印象が違う。私はダーウィンがそれほど馬鹿げたことを言っている とは思えないのだが。その「エッセイ」はたしかに『女性の隷属』かもしれな いが、ラセットの記述では、ダーウィンは直接に婦人参政権の問題に文句つけ ているわけじゃないし。男女に性差があるかどうかという話についてダーウィ ンが科学的になんか言えるんじゃないかてことを示唆したという文章に見える。 ミルはミルらしく慎重で、ダーウィンはダーウィンらしく野心的だ。こういう 印象操作(あるいは意図せざる誤解)がフェミは怪しいと思わせる原因になっ てると思う。(もっとも、ラセット自身の書き方もミルにもダーゥインにもフェ アでなくていやな感じがする。もちろんミルもダーウィンもその時代のバイア スの影響下にあったことは疑えない。)

フェミニズムもこれからはなんとかダーウィニズムなり進化心理学なり社会生物学なりを無視し たりインチキ科学呼ばわりするのをやめて、それなりに折り合いをつけていか ないと長くは持たないかもしれない。倫理学もしかり。

あと、インターセックスとかトランスジェンダーとかの存在もどうも政治的に利用 されているような気がしてなんかおさまりが悪いな。ここらへんはよくわから ん。

まあ「ジェンダーフリー」について言えば、この言葉が意味不明な和製英語 なのにあまりにもキャッチーすぎて、内実不明なままで独り歩きしてしまったの がアレだな。「「男女についての偏見をなくす(教育)」ぐらいにしときゃい いのに、これじゃキャッチーじゃないんだな。「ジェンダーバイアスフリー」 でも長すぎてわかりにくくてだめだったんだろう。ふたたび政治は難しい。

一日バッハのチェンバロ曲。昔からチェンバロの音が 好きではなかったのだが、ここ数日、それほど気にならない。

ちなみにフェミニズムのいくつかの主張についての私の立場は、

ぐらい。保守的で平凡だな。もっと他にも論点があるな・・・。

2005/07/27 (水)

午前中起きて大学。まだ喉が痛い。喉から顏の右半分にかけて痺れる痛み。

教授会。打ち合せ。


2005/07/28 (木)

早寝したので早起き。朝夕の暑さはちょっと楽になったような気がする。 この時期が一番好きな季節だよなあ。

朝から大学。いろいろ相談。


2005/07/29 (金)

午後から大学。

某協会の事務が混乱している・・・。

落ちつかず。だめだめ。早々に帰宅。

胃腸の調子が悪い。ヨーグルトを食べよう。


2005/07/30 (土)

午前中大学。オープンキャンパス開催中。なかなか盛況。道行く高3生たちに どうか受験してくださいおねがいしますとおねがいしたくなる。

明日北海道で行なわれる研究会も行きたかったのだが、業務のため動けず。 かわりに、午後、同志社で開かれている某研究会を見学しに。 時間に余裕があったので久しぶりに「ほんやら洞」でお茶を飲むが、だめだめ。

研究会ではおとなしく している予定だったのだが、やっぱりちょっと暴れてしまう。 もうちょっと質問うまく できないかな。私の質問の仕方は、過剰に攻撃的に聞えるんじゃないのか(そういう意図はあんまりないのだが)。 いつも反省はすれども難しい。まあこの年になってから新しい徳を身につけるのはむずかしいか。

まあ私はこの年までオリジナルなことができなかったから、これからも オリジナルなことはできないだろう。おそらくなにかにちょっとした「ひねり」を加えることさえ できないだろう。しかしもうそれはそれでかまわん。 最近、わたしの人生は、これまでは気になってきた奇妙な考え方の落し穴から なんとかして 脱出するためだけにあるのではないかと思いはじめている。ネガティブだけど、それはそれで 自分にとっては意味があるかもしれない。オリジナルでなくていいから正統派の広い教養を身につけた人間になりたい。

そういや、「〜という結論をデリダやレヴィナスからひきだす」とかって表現を聞いて、強い違和感を 感じた。そういう発想をするひとは、誰かの思想とかそういうのをなんらかの装置かブラックボックスのように とらえているんだろうか。同じように、今日の研究会(合評会)でも、皆、議論の筋道や論理的整合性より、 提出された結論の方に関心があるようなのが気になった。そういうのは哲学じゃないような気がする。もっと チマチマしないと。でもそういうチマチマさが他の人びとには理解してもらえないんだよな。 私のケツの穴が小さすぎるのだろう。っていうか、チマチマしているだけではだめなんだろう。だめだ。

若い女性に浴衣がはやっているようだが、街中で昼日中に見るとかっこ悪い と思う。あれは外出着ではないのではないか。どうにかならんか。まあお金が ないだろうからしょうがないのか。

中西準子が環境ホルモンやナノ粒子な人たちから名誉毀損で訴えられているのか。おもしろいなあ。ジュディシャルハラスメントってやつかな。


2005/07/31 (日)

早起き。7月も終り。朝から大学。研究会というか翻訳打ち合わせというか各自作業というか そういう日。

ファイルのバージョン管理に失敗し、フラッシュメモリが壊れていて途方に暮れる。

そろそろ落ちついたようだからOS 10.4にしたいような気がする。 (10.3.9ではgccの最適化オプション -fastでエラーが出るのだ)

ちょっと前にボクサーのリスクはどれくらいなんだろうと書いたような気がするが、 ボクサーの6人に1人は50才までにパーキンソン病かアルツハイマー病にかかる、っていう記述を見かけた。 ほんとうだとすると、パーキンソン病の頻度が10万人あたり50〜100人とかと比較すると、 かなりのリスクだな。サッカー選手も年とると記憶障害とか。

日本女性学会が「「女性学/ジェンダー学」および「ジェンダー」概念バッシングに関する日本女性学会の声明」 ってのを出してたんだな。ふーむ。 「Q & A -- 男 女共同参画をめぐる現在の論点」によれば、この学会は「ジェンダー・フリー」とい う言葉も認めているようだ。なるほど。それにしても、「ジェンダー・フリー」じゃなくて、 「ジェンダー」という用語そのものも使用制限しようとする動きがあるのかな。 (どういうグループがそれを主張しているのだろう。「ジェンダーフリーの方は どこぞの教育委員会が「使わないように」というお達しを出したようだが)

それにしても、この学会の「声明」は、この文脈でみずから「ジェンダー」 の意味を明確に定義していないのは致命的だと思う。それに、学会として、 「ジェンダー概念や男女共同参画の理念を曲解した「ジェンダーフリー」批判 が強まっている。」としてそれが意図的な「曲解」や、単なる「バッシング」 だとするのは一方的すぎるんじゃなんじゃないかな。また、そういう批判が 「学問の自由」の侵害だとかってのもどうか。ジェンダーフリー批判の人びと の側が、誰も主張していないことをフェミの主張だとしているのとまったく同 じように、典拠なく「ジェンダーフリーバッシング」をつくりあげて批判しているように見えてしまう。 そもそもその「バッシング」なり「使用規制」なりが誰が行なおうとしている ものかも不明だし。こまかいことを言いはじめれば、男女共同参画基本法には 「ジェンダー」なんて言葉は一回も使われてないし。そういう「声明」に 政治的な意味以外の意味があるんだろうか。ここらへん政治的にあぶなっかしすぎるんじゃないだろうか。)

ところで、「ジェンダー・フリー」という用語は、 「アメリカのバーバラ・ヒューストンが「性別に関して存在する決めつけからの自由」、 すなわち性別による偏見からの解放という意味で用いているのを、日本では東京女性財団が 紹介し広まったもの」なのか。 ちゃんと出自があるんだな。 でもなんかこんな変な和製英語のようなのは納得いかんな、ともうちょっと サーフィンすると、山口智美というひとの こういう文章がみつかった。 なるほどふむふむ。これなら筋が通る。納得しそうだ。 ちとリンクがおかしくて読みにくいので、その文章の 「続き」にもリンクしておこう。誤解を解き、言いがかりを回避するには、こうして出典しらべたりする チマチマした作業が重要なんだよな (私はこの件についてはただサーフィンしただけで終ってしまうわけだが)。 この人はブログや他のページも持ってるようなので一応リンク。「ジェンダー」を「社会的・文化的な性差」としてしまうおさまりの悪さ(私もそういう 教えかたをしてしまうわけだが )についてもそれを理解するヒントが得られた。

しかしあたりまえのことだが、フェミニズムってのはまずは政治的な主張・態度なんだよ な。政治ってのは難しい。私はほんとうに政治音痴だし。その音痴さは不道徳 かあるいは犯罪的かもしれん。わたしがdisinterestedな立場をとってるようにも見えてしまうかもしれん。


EGUCHI Satoshi <eguchi.satoshi@gmail.com>