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ふと感じたことの書き殴り


2005/12/01 (木)

なんとか起きる。英語。

4回生ゼミ。年内あと1回しかないらしい。足りないので今月個人指導しまくることになりそうだ。今熊野女子大でもやっと授業回数についての議論。いやだけどやっぱり14回は必要なんじゃないだろうか。ていうか、今多くの大学で実施しているセメスター制度ってのはダメダメ。

しかしまあ、大学での教育をそんなにいっしょうけんめいやる必要はないという意見もありそうな気もする。制度をいじろうってのは悪い発想かもしれん。だいたい私自身が学部ではたいした教育を受けてないような気がするし。もちろんそれは先生方が悪いんではなくて私が悪い。

色々事務的な仕事。

百万遍。あと2回あるようだ。

やっぱりフラッシュメモリは小さすぎると使いにくい。

最近、若者文化とかそういうものにまったく触れなくなっていることに気づく。紅白出場者でさえさっぱりわからないようになってしまった(さらに悪いことにゼミ学生とかもそういうのを教えてくれない)。そういうものに理解あるふりをする中年男というのはいやなものだが、世の中どうなっているかまったく知らないというのどうなんだろうか。

う、文献リストをいじっていたら、FilemakerProが欲しくなった。旧バージョンは持っているわけだから、会社に問い合わせよう。


2005/12/02 (金)

皆に遅い仕事を怒られている夢を見て跳ね起きる。

自宅のCDプレーヤーの音飛びが激しい。フタを開けてピックアップを掃除してみるがダメ。寿命か。最近の安価なプレーヤーはほとんど消耗品だよな。

ゴリゴリとmiのβ版を使っていると2回続けて落ちたので、安定版に戻す。あたりまえ。自然言語を書くにはやっぱりemacsよりMacらしいインタフェースのものの方が調子がよい。WORDがもうひとつ気にいらんのだよなあ。WORDで感心するのはリアルタイムのスペルチェックと校正機能だけ。うーん、皆これで満足しているのだろうか。miはなかなかよいのだが、もうちょっと機能が欲しいような気もする。シンプルなワープロが欲しいですよ。AppleのPagesは文章書くのには使いものにならんのですよ。

ていうんでやっぱりlatexに戻ってしまう。bibtexの使い方に悩んだり。無駄なことはしないこと。>

朝から。

懸命に準備して講義。

(キーボードとエディタを変えたせいか、文章を書くのが楽しい。例のものはこの週末かたづけます。すみません。)

夕方、なぜかSPI対策で算数の問題を解いてみたり。意外に計算量が多い。 これはたしかにうちぐらいの大学だと苦労する子がいるなあ。でも「〜割 引〜割増し」をすぐに計算できないのは人生的にまずいよなあ。ていうか、こ ういうことの手当もしておくべきだったことに今ごろ気づく。一期生は優秀だっ たし、二期生は優秀ではなかったがそこそこ口がまわる人びとだったから気づ かなかった。ていうか、大学にはいって多くの学生は頭使うことなくぼーっと 生きているわけで、なんか頭動かすようにさせないとならんわけだよなあ。こ ういうところが放っておいてもよいというか放っておくべき百万遍の学生なん かと違うところだ。

ネット古本屋で現代倫理研究会訳『現代英米の倫理学』福村書店全5巻というのを入手する。実はSellarsとHospersの名編集のReadings in Ethical Theoryの訳本。横書きだったり、なんか全体的に訳文が生き生きとしていて、訳者たちの気合いが感じられる。訳者たちは「俺たちが新しい倫理学紹介するぜ!」ってな感じだったんじゃないだろうか。ところでこの本は前世紀前半の倫理学の入門にはとてもよい本だと思うのだが。本屋さんもへんな本とか出してないでこういう真面目な倫理学の本を出してほしいものだ。ていうか自分でやらねばならないのかな。本には某「明治大学図書館」の磁気タグがついているが、だいじょうぶなんだろうか。これがなぜ佐賀まで流れていったのだろうか。

あいかわらず小谷野敦のブログがおもしろい。なにがおもしろいかというと、いろんなことに非常に正直であり(これは文筆家として最大の徳だ)、そして倫理判断をするときにわれわれが落ちいりやすい落し穴にことごとくはまっているところだよなあ。 たとえば、

「嫌煙家がタバコの煙が嫌であるように、私は匿名での批判が嫌なのだ。タバコの煙は健康に悪い? 匿名での批判も精神の健康に悪いのだよ。まあ現に匿名で私を非難する嫌煙家ないしは禁煙ファシストは多いわけで、彼らは当然ながら匿名での批判がマナー違反だとは思っていない。残念ながら、この議論には調停者はありえないから、いくら議論しても水掛け論にしかならないのだ。」

最後のあたりのシンプルな倫理的ニヒリズムがよい。ちょっとkallikles君につついてもらうかなあ。

寝る前に松原岩五郎『最暗黒の東京』岩波文庫おもしろいなあ。なんで新仮名にしたのかな。そのまま出してくれればいいのに。


2005/12/03 (土)

昼から。日は射しているが、もう冬。お茶を飲んで心を落ちつけよう。

心を落ちつけすぎてノーマン・レブレヒトの『だれがクラシックをだめにしたか』とか読んでしまう。おもしろいなあ。

けっきょく昼はなにもできず。夜も研究室。

HTMLってのは脚注・後注が付けられないのが最大の弱点だよなあ。

last.fm、クラシック曲には相性悪いが、けっこうおもしろい。音楽が本当に共有できればもっとおもしろいんだけどな。

あら、HyperBibDBの後継にBibCompanionてのがあったのね。これはクールだ。すばらしすぎる。これで完全にEmacsから脱出できそうだし、FileMakerを買いなおす必要もない。


2005/12/04 (日)

朝帰宅。夜まで寝るつもりだったが目が覚めてしまい午後遅くまた出てくる。合言葉は「商いはあせらずコツコツと」。

小糠雨に落葉が京都の初冬。

あれ、井上達夫って1954年生まれなのか。影響力が大きいように見えるから、もっと年上なのかと思っていた。一人強力な人がいると、下の世代はそれを下敷にせざるをえないからな。

AquaSKKの入力文字をいじりたい場合は、

  1. /Library/Components/AquaSKK/Resources/kana-rule-listを~/Library/AquaSKKにコピーして
  2. kana-rule-listを編集してログインしなおす。

どんどん時間が過ぎる。


2005/12/05 (月)


2005/12/06 (火)

氷雨。冬の匂い。と思ったら初雪になった。

短大。

遅れに遅れた原稿、今度は字数オーバーで怒られる。 やはり人に迷惑をかけないように隅こで生きていくしなないよなあ。 とにかく締切守れないんだからやってる資格なし。締切のある仕事はしないこと。 ていうか、そういう締切とかなければ書かないんだろうか?

でも毎年適当になんか書いて紀要でアリバイ作りをするってのはよいことかもしれんが、 はたしてそれでなんか書く動機があるかどうかは不明。なぜ人は書くのか?

自分の性格や気質に合っていないことをすると人間は不活発になるとミル先生も言ってるよなあ。 もっと自発的になんかしなきゃならん。学生にお説教している場合ではない。

短大、2回生ゼミ。年内終了。


2005/12/07 (水)

なんとか起きて荒神口。

3回生ゼミ。

どうでもいいが、京都市の交通行政について考えたり。

会議。

今年もエントリーシートとかの添削とかする時期になった。これって、大学で一番教育効果があるんではないかとか。実際これ見ただけで学生(と大学で指導している教員)の能力がわかっちゃうよな。

国会の不動産関係者の答弁おもしろいなあ。どいつもこいつもキャラがちゃんと立ってる。ビデオにとっておけばよかった。それにしても、なぜこんな事件に税金を使うのだろうか。他にもいろいろ泣き寝入りしている人びとは多いだろうが、なぜこの事件の被害者は特別なのだろうか。単に人数が多いから?わたしにはわからんなあ。

西の方の大学の消えたブログの人はどうなったんだろうか。ああいうのは一回はじめると完全にやめることはできないような気がするから、そのうちどこかで復活するんだろう。

ちょっとしたテキスト処理をやるのに今まで通りperlを使うか、rubyを覚えるかってのは微妙なところ。やっぱりperlの方がライブラリが揃っていて楽なような。


2005/12/08 (木)

なんとか起きて英語。

4回生ゼミ。 これは補講しなければならん。

百万遍。

学生さんからチケットをもらったので、実に20年ぶりに百万遍大学音楽研究 会器楽部の定期演奏会に。アルティははじめて行ったが、音響も配置もなかな かよくて気にいった。途中から聞いたが、最後の二組のベトベンのヴァイオリ ンソナタ8番とリストのカンパネラとかを聞いて圧倒される。ちゃんと芸術になっ てる。ああいう人びとを作るために何代かかって何千万使ってるんだろうと思 う。私が2、30年かかって近づこうと努力しているが、しかし絶対に手の届かな い豊かな世界を二十歳やそこらで知っている奴らがいる。正直うらやましいと いうか嫉妬を感じる。なんか理不尽だと思う。ルサンチマン。会場も賢そうな 人びとでいっぱい。高学歴大学でクラシック音楽を弾いたり聞ける人びと。と りあえず人生の勝ち組が約束された人びと。(ただし高学歴だけど育ち悪そうな 人びともいる。)日本はすでに階層社会だ。 CD聞いて喜んでいるクラオタなんて大衆というか下賎の民草。金でCDは買えるが、育ち(と失なわれた時間)は買えない。

ショックでしばらく庶民について考える。私は庶民的教養主義者なので自分 に教養をつけるべく生きてきていて、よい趣味とかいうものも、まあ手の届く 範囲で身につけあるような気がする。しかしその結果が、自分の手の届かない ものに対する苛立ちのようなものだ、ってのはいったいどういうことなのか。 なんか腹がたってしょうがない。

それにしても、この「(文化的に)豊かになりたい」という強い衝動のようなものはどこから来てるんだろうか。そういう理想を誰かから教えられたりしたおぼえはない。田舎の高校生が、適切な先達なしに勝手に抱いた妄想なんではないんだろうか。他人との比較がなぜ問題になるんだろうか?


2005/12/09 (金)

昼から。滞納していた巨額の税金やら巨額の奨学金返還金を納める。日本を支えているのは私だ。

NHKビジネス英会話によると、よいオフィスではどんな書類も3分以内に出て くるのだそうな。机のかたづき方と昇進の間にも相関があるそうな。たしかに 私の一日を見ても、多くの時間が書類や本の探索に使われてしまってるもんな。 秘書欲しい。1週間に1回来て、本と書類をあるべき場所に戻すってのをやって くんないかな。日給1万円出すけどな。

まだクラオタについて考えている。18世紀だったら音楽家なんてのは単なる 使用人。19世紀前半だったら有産市民様が芸人として、せいぜい対等の存在と して聞いてたはず(イタリアオペラとかは別かな)。19世紀後半から20世紀に かけて、観賞する人間がどんどん下層にひろがっていって、いつのまにか音楽 家の方が聴衆より偉くなっちゃってる。・・・と、そう単純でもないかもしれ ない。ウィリアム・ウェーバー, 『音楽と中産階級:演奏会の社会史』(法政大 学出版会, 1983)を読んでみよう。

操作ミスでこのファイルの一部を消してしまう。CVSで前のバージョンを取り出す方法をいまごろ知る。cvs update -p -r (version) で標準出力に出る。cvs log filenameで履歴がわかる。両方とも使ったことがなかった。

講義。

これらのファイルから自動的に連用日記を作りたいとか、bibtexのファイルをHTMLで公開したいとか考えたりしてperlやrubyのライブラリを見たり。そういうライブラリを使えばやりたいことはすぐにできそうだが、冬休みの工作課題にしよう。

石井宏『帝王から音楽マフィアまで』新潮社。なるほどこれは音楽之友社からは出せまい。クラシック音楽と金と陰謀ってのはやっぱりおもしろいなあ。

まあスポーツ選手やらクラシック演奏家やらロックスターやらが、一人では 1000年かかっても使いきれないほど巨額の金をかせいでいる、ってのはなんか おかしいような気がするよな。とりあえずクラシック演奏会は高いのは行かな いことにしよう。地元密着で三流の演奏家でよし。

私が好きなのはイーホームズの藤田社長だね。もうダントツ。ビリビリ来るですよ。


2005/12/10 (土)

前日NHK BSの『ヴァイオリンの芸術』を見て夜更ししてしまう。昼から。

宇治で『漂流教室』のような事件。うなされそうだ。

本が本棚に入りきらない。完全に収容量オーバー。いま9棹あるのだが、これ以上増やすと部屋の真中に立ててしまうことになる。どうしたもんかな。

SPI相談とか卒論相談とか。

夜まで。

某医者に誘われ久しぶりに飲む。木屋町のみや本。いろいろ興味深い話を聞く。 「専門医」という概念についてとか。恥ずかしながらそれがなんであるかは理解していなかった。


2005/12/11 (日)

午後ちょっと研究室に。調子悪いのですぐに帰る。どうも体内脂肪が増えて血が濁っているような気がする。


2005/12/12 (月)

早起き。朝から大学。いろいろ事務。ほんとうに秘書ほしいのだが、実際に雇うとなると予算がないよなあ。

最近Adobe GoLive!の使い方をおぼえつつある。持ってたけど使ってなかった。意外に便利。特にtableを書くときに。

出られるかどうかわからないが、3月12日の京都シティハーフマラソン大会にエントリーする。

先日書いた「専門医」だが、これを名乗るためにはいろいろ面倒な手続きがあって、学会発表したら何点、研究会に顔を出したら何点とポイント化されていて、一定ポイントがないと受験資格がないし、いったん取得しても毎年ポイントを獲得していなければならないそうな。やっぱり医者集団はプロフェッションとしていろいろやってて偉いものだ。「倫理学研究者」を名乗るためにもそういうのあってもいいんじゃないか、とか。わたしとか受験資格なさそうだが。ていうか、大学教師も形だけでも「専門大学教師」とか制度つくってみたらどうか。

今日も本を探して残された人生の貴重な時間が過ぎていく。いかん。さらに、探しているうちに今まで手元にあった本まで消えていく。ムキー。

衣笠。

非常に邪悪な貼り紙を読む(ネットのどっかに全文掲載してないかな?)。ス トライキを決行したゼネラルユニオン組合員に「文句があるなら専任教員に応 募してください」ってたって、あんたのとこそんな募集してないんじゃないと か。逆に言えば「あんたが優秀だったら専任にするけど、だめだから非常勤な んだ」というメッセージにも読める。非常勤講師がいなきゃどの大学もやって いけないのに(特に語学)、そういう言い方はなんだかなあ。ストライキが学生 の学ぶ権利を冒すものだとかってのもなんだかな。労働者の権利じゃろ。なん だか他人事(?)ながら腹が立った。がんばれゼネラルユニオン。

しかし慎重にゼネラルユニオンの主張を見ると、年限つき採用が問題なのか。ううむ、けっこう微妙かなあ。 外国人教師に特有の問題という見方もあるなあ。ふつうの日本人講師は1年の年限つきで雇われているわけだしなあ。うーん。

寝る前に高島俊男の『三国志きらめく群像』とか読んだり。なるほどこれがマンガの『蒼天航路』のネタ本だな。


2005/12/13 (火)

昼まで寝てしまう。寒い。マフラーをひっぱり出し、コンビニで手袋を買う。(いままで去年コンビニで買った指先が空いてるやつを使っていたが、これでは対応できない)

今熊野は早くも冬休みに入っている。(補講は残っているが)

算数教えたり卒論直したり。

なんかイライラして落ちつかず。注意散慢。本や書類もちゃんと見つけることができない。心を落ちつけるにはどうしたらよいか忘れてしまった。

どうにも落ちつかない。いったん帰宅して本を探して(見つからなかった)、軽く飯食って夜も出てくる。あまりに寒いので下ズボン(ズボン下/パッチ)も着用。しかし歳をとってくると、体温が低くて厚着しただけでは暖かくならないようだ。女子大生はタイツや生足でたいしたものだ。

どうも本に関しては、ついにある一線を越えてしまったのではないかという気がする。数年前まではだいたいどこらへんにどの本があるかの見当があったのだが、ここ数か月で破綻はすさまじい。毎日本を探して時間のほとんどを使っているような気がする。家の本棚もなにがなにやら。本の著者とかの固有名が覚えられななくなっているのも数年前にはなかったことのような気がする。無駄な本を買ったり読んだりしすぎているのか。

(一方で増えつづけるCDの方は、いまのところiTunesのおかげで把握できているような気がする。)

つい本棚から見つけたアドルノの『不協和音』とか読んでしまい、あまりの馬鹿らしさにあきれたりする。こういうのは今どう扱われているのだろうか。

夜中になってやっと落ちついてくる。なんだったんだろう。

自分に残された時間のことを考えると、なにを勉強するべきかとかどういう本を読めばいいかとかどういう音楽を聞くかとか考えてしまうわけだが、そう迷ったり考えたりする時間も馬鹿にならない。なるほど、これが「合理性」とかいうものの問題のひとつなのだなあ。まあ難しい話は別にして、あんまり時間を貴重だと思ってもいかんなあ。

クリティカルシンキング本をありがたくいただく。 なかなかよい本のようだ。しかしこの手の本で3400円は高い。大学教員向けということになるよなあ。

企業へのエントリーシートとか書かせていると、どういうわけか「人間ってのはself-interpreting animalじゃなきゃんらん」とか強く思うわけだが、それとエントリーシートを書くことの関係ってのはうまく説明できない。


2005/12/14 (水)

荒神口。

一眠りしてから大学。会議。

看護の授業についてさらに考える。私がやりたいのは、看護師なら看護師としての自己解釈というかそういうものを可能にする教育というかそういうもの(それほど偉いものじゃないが)がやりたいのだな。 "I know what I am doing."とかそういう感じ、自分たちがどこから来てどこに行こうとしているのかを知るというか。 クリシン教育もそういう意味でなら意義がある。 まあ私自身がなにをしているかよくわかっていないのだから、そんなもん教育できるはずがないのだが。


2005/12/15 (木)

なんとか起きて、4回生ゼミ補講。低血糖のようで頭がまわらず苦しむ。

なんか今週は姿勢が悪いのが気になる。姿勢はいつも悪いわけだが、ここ数日歩く時も腰が曲っているようだ。腰が悪いのかな?

百万遍。その後忘年会。


2005/12/16 (金)

昼まで寝てしまう。銀行で新札を入手。

火曜日からもう冬休みなのが、回数をそろえるため金曜だけ離れ小島で講義。出席は半分ぐらい。年内終了。

シラバス書かなきゃ。 「研究」と言えるほどのことはなにもしていないわけだが、 「研究」と「授業」は十分にリンクさせなきゃならない、ということが今年学んだ一番重要な教訓。 ついでに「研究」と「業績」もリンクさせなきゃならん。

あたりまえのことだが、まともな大学教員は、自分が現在研究していることを授業でやり、かつ、それを発表しなければならんようだ。 大学非常勤とかの仕事を教養科目ではじめたことも原因しているのか、自分の専門とは違う学部にいるという意識からか、恥かしながら私にはそういう意識が十分ではなかった。どうも授業と自分のための勉強は別のものだという意識があったような気がする。そしてそういう「手加減して授業をする」という感覚が私をダメにしていたようだ。

ゼミでも(「入門」以外の)講義でも、自分が今関心をもって勉強できることをやり、その研究というか勉強の成果を学生に見せることが必要なのだ。そうでなければ教育効果も上がらない。理想的には授業を1個やると本が論文2、3本、または(出版できるかどうかは別にして)本が1冊できるような内容を目指さなきゃならんのだな。

もちろんそういう授業ができるためには、学生の質も高くなきゃならんわけだが、うちの大学だってそこそこ優秀なものだ。スローラーナーの不惑は近いかどうか。

夜ちょっとブックファーストに行くと、忘年会らしき学生でいっぱい。雰囲気が20年ぐらい前にバイトしながら見ていた風景と似ている。なんか景気よくなってるんじゃないかなあ。

そういや、耐震偽造事件とかってのもバブルのはじまりの感じがするんだが、うまく説明できない。これからあちこちでドカンドカンと建物が立つんだろう。っていうかすでに私のボロ家の町内でもどんどん新築改築が進んでいる。バブル憎むべし。

五嶋みどりはすばらしいなあ。


2005/12/17 (土)

高校時代の友人の結婚式のために、早朝に家を出て、雪の降る山形に帰省。

新郎新婦ともに中学教師で、皆から好かれ信頼されているようでなにより。結婚式は開宴から乾杯まで1時間もかかる長大なもので、来賓挨拶、お色直し、ビデオレター、詩吟、中学生のダンス、教師のダンス、カラオケ、寸劇、メルヘン、花束贈呈とひさしぶりにてんこ盛りの結婚式。中学校対抗演芸大会の趣もあり。中学教師たちの集団を見て、このひとびとが地域や国を支えているのだなあと感じる。地の塩ってこういう人々なのかな、とか。

同級生たちと飲み直し。皆いっちょ前のオヤジになった。


2005/12/18 (日)

二日酔い。大雪のなか9時台の新幹線で帰る。福島あたりから雪が少なくなる。ほんとうに雪は不公平だよな。家にiPodを忘れてきてしまう。

夜研究室で授業準備。また本を探して時間を無駄に。


2005/12/19 (月)

起きたらノドが痛い。

午前中研究室で授業準備。

衣笠。これで授業は年内終了。でもここは新年に補講を入れてあと3回もある。

前から気になっていたのだが、衣笠大学の学籍番号は1111223333-4という形。調査の結果、1111は学部・学科・専攻を表現し、22は入学年度、3333が学生番号らしい。最後の4はチェックサムかなにかで人間には余計。いったいどこの世界に10桁をぱっと見て理解できる人間がいるのか。学生によっては最後のハイフンを入れずに11桁そのまま書いてくるやつもいて、とてつもなく把握しにくい。100億なんて数を把握できるやつなんていない。せめて1111-22-3333-4とハイフンでも入れてくれればまだ読みやすいのだが。あるいは学部・学科をアルファベットにするだけでも視認性がずいぶん上がるはずなのに。だいたい学生が1000人越す専攻があるのかとかも。「文05A-999」で十分なのに。この大学は学生を10億人ぐらいまで増やす気なのかもしれん。

さらに、学年が番号のまんなかに入っているのに、登録簿や成績表がまず学年別になっているのが許しがたい。かつ、紙の途中で学年が変わる。さらに、その表が1回生から順に並んでいるのがたまらん。後に行くにしたがって途中の桁が突然減ることがあるなんてのが神経をすり減らす。こういう学籍番号にしているなら、成績表も学科・専攻順にしてさらにそのなかで番号が若い方(上回生)から並べるべきだろう。こういう非人間的なことをやらされるのはたまらん。つい(どうにもならんのはわかっているのだが)事務の人(アルバイト?)と某教授をつかまえて文句を言ってしまう。こういうのはなんだか人間の尊厳とかいうものを傷つけられているような気がする。私は人間であって機械ではない。控え室の片隅にバーコードリーダのようなものがあるようだが、どう利用するか見当がつかない。あー腹立つ。今年は採点拒否しようかとも考えたり。

ちなみに東鴨川女子大も去年から番号が変わってわけわからんが、たしか11222333ぐらいなのでまだかわいい。以前は11-2333という形で、11が入学年、2が学科、333が学生番号。こういうのは教務とかやっている部署か、受託のSEにたった一人でもまともな人間がいれば回避できるのに、どちらの大学も事務処理のイロハっていうかソートの仕方すら知らない質の悪いSEをやとっているのだろう。無能なSEは世界を地獄にする。人びとの幸福のためには、工学倫理とかやる前にまずふつうの事務処理教育が、情報リテラシーとかやるまえにまともな業者の見分け方が必要ではないのか。


2005/12/20 (火)

いろいろやばい。午前中百万遍生協に寄ってから大学。

部屋の片づけ。卒論添削。卒業回生が基本的なワープロの使い方も知らずに驚愕する。まずい。

めでたく就職決まった某君来訪。おめでとう。

授業準備。昨日「ぜんぶ終了」と書いてしまったが、実はもうひとつ残っていた。それにしてもなぜほとんど授業が終わってからの方が準備がたいへんなのか。

いったん帰って飯を食い、また出てくる。ぼやぼや。


2005/12/21 (水)

荒神口。終了。

一寝して、百万遍研究室の宴会に。偉い先輩に久しぶりに会いちょっとうれしい。 勉強しよう。


2005/12/22 (木)

雪。昼前から大学。静かだ。

卒論指導。たいへん。唯一の指導らしい指導のようなものなのだから、まじめにやる。

まさに無駄な履歴書とか業績表とか書かされる。どうせ等級が変わったりするわけじゃないのに。こういうの、書式を埋めろとか言わずにwebのコピー一発にしてほしい。せめて文科省の資格審査の様式なら一発で出せるのに。ていうか、ReaDとかで一括管理するわけにはいかないのか。(まあ微妙な情報だから無理か)

京大生協。

岩波の「1冊でわかる」シリーズ、今日は『ヨーロッパ大陸の哲学』。このシリーズはどれも立派だ。

と思ったが、『ポスト構造主義』は読む価値がなさそうだ。

「ラカンは途方もなくよく本を読んでいて、きわめて知性が高かった。彼は折に触れてたとえば絵画、建築、悲劇などにコメントしているが、ずっと重々しい学問的著作何冊かにそのコメントが匹敵することも珍しくない」
とか
「デリダを読むのがむずかしいのには、三つ理由があるわ。まず 最初は、彼が(大陸の)哲学者だってことね。この伝統の外ではあまり行きわたっ ていない対象に幅広く言及するの。彼のとりわけ不可解な言明の多くは、わかっ てみるとプラトンとかヘーゲルとかハイデガーに間接的に触れていて、わたし たちの大部分とは違って彼らの著作に精通した人には、全然難解ではないのよ。 つぎには、たいへん細かいところにこだわるということがあるわね。繰り返し が多くて気取りすぎだと思えることがあるかもしれないけど、それは厳密さを 求める欲望から来ているのよ」
とかって馬鹿な文章をこのシリー ズで読むことになるとは。

ついでに、ちかごろ時々見かける「パフォーマティブ」とかってものがちと気 になるので、デリダ『有限責任会社』をいまごろよむ。キチガイ。精神的有害。 「サールの「反論」に対するデリダからの反応として、サールのほとんど全文 を引用しながらの徹底した「理論的」反批判であると同時に、そのエクリチュー ルそのものがサールの「論」の限界を示す「実践」である点で、デリダの数多 いテクストの中でも最もテンションが高く、狡知に満ちたものの一つといって よいと思うが」とかって訳者のあとがきの文章も笑わせる。


2005/12/23 (金)

午前中から。あら、休日なのか。百万遍の講演会に行くかどうか迷った末にやめる。

心を落ちつけて色々。

けっこうよく聞いてい たChinesePod、最近多様化して面 白くなくなってしまった。成長に失敗したな。ある程度ウケたら、その路線で つっぱしるべきで、他のことやりたいなら新しい番組を作ればよかったのにね。 ESLpodはそこらへん正しい方針をつらぬいていると思う。

やっぱりbibtexデータベースの記入はemacsが最高ということになるのか・・・

スローラーナーは今日も行く。 本を読んでいると自分はほんとうに頭が悪いと思う。

大庭健『「責任」て何?』とか。責任ってのは語源からして応答可能という意 味で、「**だから**責任を負うということは、そのつどすでにすでに呼応可能 な間柄において生きている者として、その事実を与件として間柄を引き受けな おしていく、ということに他ならない」とか。こういう主張ってのは、「責任」 という語や概念の分析なのか、新しい用法の提案なのか、規範的主張なのか、 私には理解できない。頭悪いなあ。

同じようなことを言う人々にはヨナスとか高橋哲哉とか瀧川裕英とか佐藤義之 とか数えきれないよな。ていうか奇妙なことに倫理学分野ではそっちの方が主 流。

私はハートとかの分析がまともだと思っているので、「責任」という語の用法 の一番中核の意味は賠償責任だと思うのだが。でもこういうことを言いたい人々 が本当に言いたいことをわかってあげる必要があるんだよな。早急にわかって あげよう。

ひとつは義務や責務。

ひとつはコミットメント。上の数人が考えているのは「責任」というよりも社 会生活を営む上で必要になるコミットメントで、コミットメントから生じる責 任のことを「責任」と呼んでるのかな、とか。コミットすることと責任を負う ことってのはたしかに概念的に分別することが難しいものな。少なくともコミッ トメントすることは責任を負うことを約束することを含む。逆に「責任を負う」 ことがコミットメントすることを含んでいるのかというと、そう簡単な関係じゃ ないようだ。頭悪いからちゃんと分析できない。

大庭健「倫理とは、現にわれわれがそうであるような人間というあり方を可能 にしている、もっとも基本的な規範の相対だから、である。したがって倫理は いわゆる道徳よりも広い。」

この人は「倫理」という語を定義しようとしてい るのか分析しようとしているのか新しい用法を提案しているのか。自分がなに をしているのかどう自覚しているんだろうか。

ていうか概念を分析するってのはどういうことなんだろうな。「分析的に真」 になるようないくつかの命題を発見することなのか(ちがうだろう)、おおま かなパラフレーズを発見することなのか、用法を分類したりすることなのか。 ちゃんと勉強しておくべきだった。

だいたい、「応答責任」とか言っている人々ってのは、そういう曖昧な責任っ てのがインフレしちゃうことについてはどう思ってるんだろう。

ちなみに佐藤さんの本はゆっくり読んでみると、なにを考えているのかはわか りつつある。

どうでもいいことだが、日本の人文社会学ってのは学会よりも少数の出版 社が方向を決めてしまっているような気がするが、 気のせいだろうか。私はもっと学会誌を読むべきなのかもしれん。まあ私は学 者じゃなくてディレッタントかもしれないからそれでいいのかも。ナチュラル ボーンディレッタント。

げ、AquaSKKが使えなくなってしまった。言語設定にどういうわけかAquaSKKが二つ現れ、選択するとメニューバーの表示が乱れる。うーん。またOSをクリーンインストールしたいという邪悪な欲望を感じてしまう。だめだめ。だいたい内蔵DVDドライブの調子がわるいし。いらいら。帰ろう。

大庭本の後半、これはもう哲学ではなく、政治学でもなく、かといって歴史学でもなく、つまり学問ではない。意味不明なぼかし、論拠の偏り(「やくざ」については猪野健治にべったり)。なんだかなあ。まあこの人がほんとうに書きたかったのはこういうことだったのかもしれないな。長い屈折した哲学修行を経て、ついに躊躇なくアジ文を書けるようになった、ということなんだろうか。 でもまあ、色々評価すべき点も多数見つけた。

科学の目指すものは心理と説明である。現代の科学者が何より望むのは、 新たに重要な真理、法則を発見し、説明を工夫し、しかもそれが将来、教科書 に載ることである。現在、物理学者、生物学者、あるいは経済学者のなかで、 自分の書いた論文が百年後にもそのまま読まれることを予想したり、ましてや それを期待する者など一人もいない。これらの科学論文は、直接読んだり触れ たりしてもらうことを意図しているのではない。・・・これに対して、芸術や 文学作品が作られるのは、それに直接ふれてもらうことを意図してであ る。・・・だがこうした芸術作品(は)・・・真理や説明を与えようとするも のではない。・・・さてしかし、真理や説明などを与えようとする一方、単に 他人の著作の内に組み込まれるよりは、読者が直接本文を読んでくれるいこと をも意図した一群の作品がある。政治哲学、社会理論、道徳理論、宗教思想、 その他多くの哲学の名著がこれに入る。こうした名著の作者は真理を追究し、 またそのことを重視していながら、しかも自分の作品がそのまま読まれ、肉声 が伝わるよう意図して書いたのである。 (ノージック『考えることを考える』下巻、pp.494-495.)

2005/12/24 (土)

昼から。

馬鹿らしいが、どうもうまくないので205GBのディスクの方から起動することに。

  1. ホームディレクトリを丸々コピー。sudo ditto。ふむ、便利なコマンドがあるな。iTunes Musicディレクトリに注意。
  2. FinkとFink COmmanderを入れる。
  3. あ、X11が動かない。ネットからダウンロードはできないのか。
  4. む、Adobe製品も起動ディスクを変更すると動かなくなる。/Libraryあたりに登録情報があるんだな。腹立つ。シリアル番号なんてどこに行ったかわからん。
  5. 他のシェアウェアは大丈夫のようだ。Microsoftのものも大丈夫。
  6. あ、TeXもインストールしなきゃならんのか。
  7. w3mも入れなきゃ。
  8. あ、その前にXCodeも入れなきゃならん。
  9. finkでgc、rxvt、wget、ncftp、eb、lookup、skkその他を入れる。
  10. ここまで2時間強。ばか。時間の無駄。でも2時間程度ですんだのは幸い。
  11. Adobe製品のレジスト情報は/Library/Application Supoort/Adobe/Adobe Registration Databaseにあった。コピーすると動いている模様。まあAdobe製品なんて滅多に使わないのだが。
  12. あら、Roxio Toastも動かん。まあ年末の部屋掃除書類整理のときに出てくるだろう。

心を落ちつけて勉強。

研究室に段ボール4、5個分のCDがある。もう本棚には入れておけないし、聞 くものはだいたいiTunesに読みこんでいるから、家に持ち帰るべきか。しかし 家でも置場はないんだよな。

うどんが食いたくなるが近所はぜんぶ休み。

1冊でわかるシリーズ『進化』。 うまく表現できないが、 ポストモダンとかいうものと、ちゃんとした学問の本を読み比べると、学問の 方の文章からは文章に奥があるのがわかる。1パラグラフに書いてあることには ちゃんと裏づけがあって、疑問に思ったり、もっとちゃんと知りたい場合はそれを調べる道がある。 学問じゃない文章にはそれがない。 ニセモノと本物の違いというか、ヴァーチャルリアリティーとかと現実の違いというか。 裏や細部があることが保証されているのは安心感を与える。 正統派倫理学とかってのはどうなんだろう。

以前は太平洋戦争はずいぶん昔だと思っていたが、戦争から60年の うち40年生きてるんだということを考えればつい最近だな。 200万年とか1億年とかってのはたしかに気の遠くなる時間だが、世の中には 1億円稼いでいる人もいることをお思えば、到達不可能な数でもないような気が してきた。

いったん寝て夜中に起き出す。


2005/12/25 (日)

朝から。コンピュータ室の電源工事かなんかでネットワークが切れていて往生。

スローラーナーはまだポストモダンしている。

「あらゆる決定や判決は正義を目指して行われるが、それは同時に特定の名あて人に向けて なされてたものである。その意味で、決定や判決の形で現れる正義は、常に単独的・個別的なものである。しかし、正義が法の形をとって現れるとき、それは一般的で普遍的なルールという形を取らざるをえない。したがって、問題は次の点となる。 「個々の個人、集団、かけがえない存在、他者、あるいは他者としての自己といった、単独性とつねにかかわらざるを得ない正義の行為と、(中略)一般的な形式をとる正義のルール、規範、価値、命令とを、どうすれば和解させることができるのか」(『法の力』)」中山竜一『20世紀の法思想』p.172

わけわからん。なぜここに和解がアポリアがあるのか。個別と普遍ってのがなんか対立したりするもんだって前提があるのかな。 デリダも中山も自分が何を言っているのか理解しているのだろうか?

あるいは、これは、この前八幡さんが言ってた「いまだに普遍性と一般性を区 別してないやつらが多い」という一例なのか。意外にこの解釈はよいものかもしれない。

「過去に下された決定や判断に現れた正義は、たとえそれが普遍性を標榜して いているようでも、実はつねに単独的・個別的な他者に向けてなされたもので あったこと、これを想起しなければならなない。というのも、そうすることで はじめて、普遍性の名のもとに固定化した正義を、単独かつ個別的な他者への 公正に向けて、流動化させていくことが可能となるからだ。」p.173

どうもそういうことなのかな。単に「あんまり法の一般性に固執すると、マイ ノリティとかが視野に入らなくなってくるから、細かく行きましょう」という ことのように見えるな。そういうことなら理解できる。

この中山さんの本のハートやドゥオーキンについての解説は明確で勉強になる。 ドゥオーキン直系のようだ。でもまあドゥオーキンみたいなちゃんとした学者 に習った法哲学の専門家がデリダなんかに騙されてちゃだめだ。・・・いや、 ドゥオーキンに習ったからこそデリダのああいう調子に魅かれるところがある のかな。

デリダにしても高橋哲哉にしても大庭健にしても佐藤さんにしても、なんかあ る種の人格の価値とかそういうのにコミットしてるんだよな。その衝動はわか る。でももっとクリアに行けないのかな。

「哲学には擬似問題などというものは存在しない。もしなにかが哲学的な混乱 をもたらすなら、その混乱の原因を発見しそれをとりのぞくことが哲学者の任 務である。わたしのスイス人の友人は偽善者ではなかった。彼の問題は、 哲学的にナイーブだったため、彼が本物の道徳的問題だととらえたことは、道 徳的問題などではなく、哲学的問題だったことである。——それは解かれるべ き問題だが、それは魂の苦悩などによってではなく、自分がなにを言っている のかを理解することによって解かれねばならない。」R. M. Hare, "Nothing Matters"

またemacsに戻ってきてしまった。文章を寝るにはmiのようなMac的なカット&ペーストが いいんだけど、HTMLただダラダラ書くにはemacsの方がいいんだよなあ。emacsがMac的なインタフェースと表示行での編集を採用すりゃいいのだが。

卒論指導。時間がかかる。

大学に置いていたサーバー(サークル等)のディスクが飛んでしまう。やば い。ちゃんとシャットダウンしなかのが原因というか、ディスクの寿命という か。/etcは生きているのが幸い。っていうかそこさえ生きてればあとはなんと でもなる。しかしマシンを一台調達せねば。1日つぶれそうだ。

フィギュアスケートとか体操とか、音楽に乗せて演技する競技は、もっと 音楽に気をつかったらどうだろうか。 私だったらシェーンベルクで表現主義フィギュアとか挑戦してみたい。


2005/12/26 (月)

午前中から。喉が痛い。

研究会の会場設定でバタバタ。人来るのかな。

研究会。けっこう集まった。

いろいろ考える。

懇親会。いろいろ反省する。


2005/12/27 (火)

なんとか起きて研究会2日目。どうも若干遅れたせい で発表者に迷惑をかけてしまったようだ。 っていうか、いっちょまえの大人がコピー機の電源を自分で入れることができないはどうか。 バタバタ走りまわる。責任の有無は微妙だと思うが、いろいろ反省。 やっぱりバイト雇うべきだったな。

研究会は全体としてまずまずおもしろかったと思う。元気な若い人びとに発表してもらうのは大事だ。ラオスの話もホンモノな人格を感じさせてくれる方でとてもよかった。発表者ならびに関係各位に感謝。

サーバー落ちたままなのが気になる。


2005/12/28 (水)

午前中から。いったん京大ルネでハードディスクとVirtual PCを購入。

午後まじめに卒論指導2件。疲弊する。

サーバー機のディスクを入れ換えようとするが、ネジ回しが見つからない。 必要ないときは非常によく目にするのだが。

なんとかネジ回しを見つけ、作業開始。コンパクト型だから ディスクを2台入れることができない。裸のまま接続。それでも電源コードも足らんな。 ううむ。ミニタワー型にしときゃよかった。FreeBSD 4.9のCDを見つけたので、これでいいや。

思えば三十代をこんな無駄なことをして過してしまったのだなあ。いったい何回OSをインストールしたことだろう。四十になっても まだやってるというのもなあ。もしPCやネットワークがなかったら私の青年期 はもっと有意義で充実したものになったのだろうか。70年代に生きてたらどう だったのかな。そういう想定はばからしいとわかっていても考えちゃう。まあ pcsや草の根BBSを経験しなかったら今の私の性格や考え方は根本的に違ったも のになってたろうな。

2日続けて飲んで調子悪いので年内は禁酒。

「日本の古本屋」は便利だ。

テレビドイツ語会話、しばらく見ないうちにずいぶんおもしろくなってるな。

ちょっと早いが2005年に買ったCD。 今年の発見は新ヴィーン楽派とストラヴィンスキーの「結婚」以降。 ベストCDは内田光子。1曲となるとラヴェルのシェラザード。ベートーベンとショスタコで四重奏にめざめた。なんか難しい音楽を聞いた年だったな。それにしても莫大な額を投資してしまった。まあテレビも映画もヴィデオも見なかったし、小説も読まないし。

まだポストモダンしている。高橋哲哉の『デリダ』。イライラする。なんでこんなもの読んでるんだろう?

「デリダの読みの重要なテーマになったテクストは、哲学、文学、思想関係に 限っても厖大な数にのぼる。プラトン、アリストテレ ス、〜カント、ヘーゲル、マルクス、〜〜ジョイス、マラルメ、〜ハイデガー〜〜レヴィナス〜〜〜〜〜〜〜・・・(計30人)。すぐに思い出せる有名どころだけでも、ざっと こんな具合だ。デリダを読むことは、これらのテクストを読むデリダのテクス トを読むことでもある。だから、デリダを読むためには、ある程度、これらの 著者を同時に読まなければならない。」p.2

ばからしい。一人の生身の人間が本当にそれだけの本を読んで理解できるは ずがない。デリダを読むためにそういう本を読まなければならないのは、デリ ダが本当は読んでないからだ。おそらく、ポストモダンとかいうものの背後の 一番重要な部分は、「おれは本を読んだ」という威嚇なんだろうと思う。そう いう威嚇におびえるのはバカらしい。ちかごろ目につくところでは、ではバト ラーとコーネルが同じ威嚇を使っている。ヘーゲルとデリダとフーコーを読ま なければバトラーはわからず、カントとラカン(変な組み合わせだ)を読まな ければコーネルはわからないらしい。わからないのはお前の勉強が足りないせ いだ。高橋もこういう文章を書くことで読者を威嚇する。もちろんよい古典を 読むことは重要だが、古典を読まねばわからない現代ものは価値がない。少な くともポパーもヘアもサールもドゥオーキンもハーバーマスも内井惣七もそう いうタイプの威嚇は使わない(と思う)。おそらくウィトゲンシュタインやク リプキも。プラトンやヒュームやカントやヘーゲルを読むときでさえも、議論 の本当の核心の部分ではそういうのは必要ない(と思う)。

そういう威嚇が成立するのは、やっぱり「頭がいい」人びとに対してわれわ れ凡人がなんか尊敬や嫉妬や恐怖を感じているからなんだろう(たしかに頭がよい人びとってのはいる)。さらにその奥 には、「自分もそこそこ頭がいいはずだ(でも勉強が足りないからわからな いだけだ)」という自負心がある。

良識については、誰もそれが自分に不足していると不平をもらすことはない。 (デカルト)

2005/12/29 (木)

午前中から。口の端が切れそう。胃が悪くなってるのね。飲み過ぎだ。

小春日和。

サーバーをもとの場所に戻す。

学生の面倒見1件。

夜厳しく冷え込む。はやく夏が来ないかな。

ダイアモンドの『文明崩壊』おもしろいなあ。(『銃・病源菌・鉄』ほど衝撃的ではないけど)


2005/12/30 (金)

昼から。

某芸能ユニット来訪。遊ぶ。

早々に寝る。


2005/12/31 (土)

早起き。・・・とスパゲティ食ったら眠くなり午後まで寝てしまう。

午後大学へ。

寺町で蛍光灯を一台購入。

自宅でも増え続ける本はどうにも片づけようがない。 段ボール10〜20個分を預かってもらう貸し倉庫とか貸し本棚とかどれくら費用がかかるのだろうか。・・・1月7千円ぐらいかな。もうおそらく読まない本とかは捨ててしまう方がよいのかもしれないが、それもなかなか勇気がいるよな。

十字屋にも寄るが買うべものがない。オペラDVDは3000円以内じゃないと。

ジャスコでも買うものがない・・・年末年始は苦手だ。

来年は憎むべきバブル経済の再来の年になりそうだ。

master.passwdはコピーしたが、pwd_mkdb -p master.passwd しておくのを忘れていた。

『文明崩壊』読了。環境問題は難しいな。

早々に寝る。

  1. 研究室用スピーカー購入。
  2. はじめて胃カメラを飲む。

EGUCHI Satoshi <eguchi.satoshi@gmail.com>