ほんとうのファイルはhttp://www.yonosuke.net/~eguchi/papirer/papirer200602.htmlにあります。
朝から業務。空き時間に保健センターでステロイド軟膏(ケナログ)をもらう。 ステロイドは強力だ。一気に直りそう。
シラバス、シバラス。 ちゃんと計画立てなきゃならんのはわかっているのだが、そんな先のことはわからない。やっぱり適当に書いて提出。 適切なリーディングスがないのがやっぱり困るよな。
おお、ついに http://www.happycampus.jp/からわざわざ金出して購入したらしいレポートが! http://www.happycampus.jp/data/data_view.hcam?no=4413&br_code=1のやつ。もちろん課題と全然合ってない。 いくらするんだろう。どうやって辱めるかなあ。
と、これ書いて思ったけど、このタイプの不正はへたするとセクハラや性暴力の被害者となる遠い原因になる可能性があるな。ずいぶん昔に近い話を聞いてこの日記に書いたような・・・
しかしアレだよな。レポート課題の出し方はよく考えるとして、こういうのは、「どうでもいいから通ったらラッキー」と思って提出する学生もけっこういるわけで(というかコピペしてくる学生はたいていそうだろう)、なんのペナルティもなければどんどん増えてしまうよな。
正直なところ、不正をする学生ってのはどういう顔をしているのか見てみたいなあ。 逆に見ると、顔をアイデンティファイできないような授業でレポート書かせるのは無理だってことでもあるよな。顔を知られていりゃそういうことはできないような気がする。ほぼ匿名で授業受けられてしまうのが問題なのかも。大人数授業はだめだ。
うだうだ。まあ、どうでもよいという気もする。大学の授業は消費者に対するサービスなんだから。真面目な学生さんはちゃんと指導して、ほうっておいて欲しい人には単位ぐらいばんばん出せばいいんじゃないのか・・・いやいや。
うだうだ。私の授業がそんなに価値があるわけじゃないから・・・自分のルーズな態度が・・・自分自身正しく生きているわけじゃないのに・・・大学関係者もどんどん逮捕されているわけだし・・・いやいや。
大学教員歴6年(非常勤から入れれば10年超)の人間の考えることじゃないような気がしてきた。
昼から。レポート採点がほぼ終ったので、バイトさんに採点転記してもらう。予算がない。それにしてもこの時期に採点が終っているとはすばらしい。すばらしすぎる。
滞っている事務作業を叱責するメール1件。なんとかします。
心落ちつかず書類探ししたり。まずい書類を見つけてしまったり。
編集作業ほぼ終了。LaTeXのマクロなんてのは時間を置くとなにがなにやらわからんようになってしまう。バッドノウハウ。
京都のジャズピアニストの市川修死去。くも膜下。56歳。 それほどよく知っているわけではないが、いろんな場で隣で酒を飲む機会があった。 まあCDも出してスイングジャーナルで推奨だか金賞だかももらって、そんなに悪い人生じゃなかったろう。 いかにも不摂生な感じの人だった。体には気をつけよう。
調子悪いのでお休み。
桐野夏生『グロテスク』読んだり。フィクション読むのは久しぶり。女子校恐い。前半はおもしろいが、後半以降はちょっと。 前半読んでいるときは、「小説家ってのはよく人間を見ているものだ。哲学者なんてのはたいてい人間も世の中知らんよな」とかふと思ったりもしたのだが、だんだんおかしくなってきて、 全部読み通してみるとそもそも人間というものをまったく勘違いしているような気がする。女子校内のああいうのはわかるが、セックスがからむととたんにリアリティがなくなってしまう。構成もあれだし。 偉大な小説ってのはほんとうに偉大なんだな。でもまたフィクション読むかね。そういう読書には通勤電車や旅行なんかがいいんだけどね。
とか思いつつ『我が秘密の生涯』めくったり。主人公はほとんど変化も成長もせず、 どこをめくっても延々同じことをくりかえし、いつまでたっても終わらない。全12巻、ほとんど田村先生のコピペなのではないかと思わされる。ボルヘスの『砂の本』のようだ。生きるっていうのはそういうことなんだろうか。
家のPowerBookのフタがちゃんと閉まらなくなってしまった。ツメがおかしい。しかし修理に出すほどではないような気がするのが半端な感じ。
昼から。なんか春だ。もう節分。
作業して。fancyhdr.styは便利だ。
ちゃんとしていている某講師来訪して作業続き。ぼろぼろミスがあるが、終りにする。これで一日終ってしまう。
2月は比較的時間があるから有意義に過したいが、なかなかうまくいかんものだ。
いろいろ文献検索。便利な世の中だよな。
口角炎はステロイドで急速に治りつつある。魔法の薬だよな。
夜冷え込み雪。吉田神社の節分祭へ。今年は厄年なので護摩木を納め、厄除守を買う。もう学業だの就職だのでなく、健康一本にしぼって祈念。毎年吉田神社の火炉のまわりを一周していると、なんだかそこが人生の基準点であるような奇妙な感覚を覚える。神籤は吉。
新春の目標。
この冬も毎日同じセーターで過してしまった。 しかし、服装ちゃんとしているとなんだか女子にウケようとしているナンパな人間になったようで、なんか居心地が悪いんだよな。この感覚はなんなんだろう。natural-bornバンカラ? 違うよな。
あと、今年は積極的に間食してみようと思う。私は間食の習慣がないのだが、どうもお腹が空くと脂っこいものを大量に、という選択になってしまう。むしろ間食してそれほど血糖値が下らないようにした方がよいのではないか、とか。
朝から。研究会というかミーティングというか作業日というか。
本当に本や論文は読んでも読んでもキリがないな。
起きたら昼過ぎ。
夕方書類の整理に研究室。書類の整理のはずがemacsの整備とかhowmの整理とかしてしまう。 馬鹿馬鹿。(pukiwikiは遅くてメモをとるには向かないようだ)
あたりまえのことだが、奇妙なことを言う人々がいる場合にも、その人の言い分の一部にはなにか正しいところや聞くべきものが含まれていると考えねばならない。 小谷野敦や林道義の文章が奇妙なのは、他人の文章を文字通りに受けとってしまい、それを分析したり解釈したりすることがないからなんだろう。
なにか色々と重要なことを忘れているのではないかという不安。
森岡正博はほんとにおもしろいな。Let's take Morioka seriously.
おやつにはフルーツがよいのではないだろうか。バナナとか。
夜明け前に目が覚めてしまう。軽くジョギングして朝から。
Blackburnって文章が難しいというか、読むのに必要な語彙が異常に多いよな。 辞書ないと読めない。
昼から雪、のち霙。夕方採点表を提出しに百万遍。生協で本を買う。
東横インの社長に爆笑。 こういうひといるよな。 コタツでうたた寝したら喉が痛い。早く寝よう。
なんかダメな日。
昼まで寝てしまう。午後から。なんか目がしょぼしょぼする。
もっと新鮮な音楽が聞きたい。なにかないだろうか。去年、一昨年とクラシックの年だったが、今年の音楽的鉱脈はどこにあるのか。もう四半世紀音楽聞いているわけだから、もう新鮮なものどないのだろうか。いやそんなことはないだろう。とにかく最近のR&Bを調べるか・・・
ジョージ秋山おもしろいなあ。「ふーあーゆぅ?」。一回でいいから実物 を見てみたいなあ。新宿ゴールデン街通えば会えるんだろうか(行ったことな いけど)。巻末のインタビューで秋山は「ホリエモンは蒲郡風太郎(銭ゲバ)だ」って言っ ておられる(捕まる前だと思う)。ほんとうかどうかは知らんが、たしかにそうかもしれんな。このマンガに出てきたキャラで私が好きなのは毒薬仁太郎。「オリの名前を言ってみろよぅ」。
柳沢きみおはなぜジョージ秋山になれなかったんだろう? ルサンチマンが足りなかったのか、教養に対するあこがれが足りなかったのか。
「わたしは今日までなんの悔いもないけどね。ただ、未だギターを弾けないこととドストエフスキーを読んでないことだね、悔いているのは。 今でもいつも思っている、読まなくちゃあ弾かなくちゃって・・・ あの頃、ドストエフスキーを読んでいたら、ギターを弾けるようになってたら、 わたしのなにかが変わってたと思うんだ。」
もちろんギターも弾けるしドストエフスキーも読んでるんだろうけど。
ここ読んでいるひとは、 http://www.fukkan.com/vote.php3?no=11038 で一票入れてください。なにとぞおねがいします。ウルフ大佐のその後が知りたいのです。
秋篠宮夫婦なんか御苦労だな。「んじゃうちが国民のために一肌脱ぐよ、喧嘩やめろよ」って感 じかな。性選択したかな、っていうか当然もう分かってるわな。
脂質もニコチンと同じように中毒になるんだよな。というか中毒になっていることにやっと気づいた。どうやって脱出するか。食生活を改善すると人格が変わってしまいそうで恐いのもあり。Du bist was du isst.
意外にプログレロックあたりに鉱脈があるかもなあ、とピンクフロイドのDarkside of the moon聞いたり。うん、この1枚は好きだね。他にMeddleとatom heart motherとwish〜持っているが、あまり好きではない。
朝寝て昼起きて。風はあるが春の日射し。
やっぱり今年の可能性はコンテンポラリーなジャズとかそこらへんにあるような気がするのだが、なんかいいのないかな。
それにしてもあれだ。一時期のパンダやトキのようだ。やっぱり皇室関係者とかってのはたいへんだ。天皇制は人権を保証するために廃止したらどうか。
いろいろ急ぎの仕事があるのだが、『サミュエル・ピープスの日記』とか読んだり。だらだら延々続く日常。生を記述するってのはこういうことだわなあ。
なんか時間がびゅんびゅん過ぎていくのだが。おそらく余計なことをしているのだろう。いったい人は一生に何冊の本を読め、何曲の音楽を聞けるのか。
早く寝る。
昼過ぎまで寝てしまう。午後から。
あら、焦燥感。落ちつかず。 また本を探して時間を無駄にしてしまう。
夜も研究室。落ちつかず。仕事しなきゃ。
サミュエル・ピープスの日記、5巻ぐらいから期待していたエロネタが出て きてやっと読めるようになってくる。6巻はペスト、7巻ロンドン大火。このひ との日記は完全に外的なものの記述に始終していて、自分の心のありかたをふ りかえることがない。内省や自意識のようなものを十分身につけてないような 感じだ。中学生の日記を読むようでもある。風俗を知るにはいいのだろうが、 文学的価値はどうか。このひとがそういう人だってことなのか、このころの一 般人(知識人?)がそうだったのか。まあ文学者じゃないし、ほぼロックと同 時代だからな。19世紀ヨーロッパは非常に近く感じ、へたすると江戸時代より 近いわけだが、17世紀ってのはあまりにも遠すぎる。世界には戦争と病と死が 満ちてたようだが、内面生活はわれわれより健康で平和だったかもしれん。そ れにしても、こんなものを延々訳し校注つけた人々ってのはどういうひとなん かな。学者っていうのはたいへんだ。日本人でこの全10巻を通して読めた人は 何人いるんだろう。英文学の人は読むものなのかな。 googleでひっかけても実際に「読んだ!」とか「好きだ!」という人はほとんどいない。
ちなみに英文はblogで更新中(!)のようだ。 いろいろ感想や励ましを書いている人もいる。なんかおかしい。誰か一茶や啄木でこれやってくれないかな。
実はしばらく前からみぞおちの右がしくしく痛いことがある。肝臓がいかれ ているのでなければ(肝臓が痛むようなら人生終りだと聞く)、ついに胆石持 ちになったのかもしれない。やだなあ。そのうちエコーとってもらわなければ ならない。
朝帰宅して寝て。
http://www.th21.jp/diary/kayoko/ 2月9日 こういうふうに世の中を見ることができれば。まあまだ若いようだからこれでいいのか、それともやっぱりこういうのではダメなのか。私は二十過ぎでこれではやっぱりだめだと思うのだが。うちの学生でも3、4回生になるとこういうことは考えなくなる。
百万遍で読書会。難しい。っていうか細かすぎ。
人間失格1件。だめだ。
シセラ・ボク『秘密と公開』部分的におもしろいのだが訳が悪すぎる。 告白の強制。告白したいという普遍的欲求。web日記をなにか一種の告白として使う人びとがいる。
ところで、「コクる」という表現。彼ら彼女らはそれが「告白」だと思ってるんだろうか。 「君のことが特に興味があるわけじゃないけど、とりあえずせくーすしたい」 だったらたしかに「告白」だろうな。
ついオリンピック開会式とかテレビで見てしまうが、なんじゃこら。事故でも起こって誰かケガでもすりゃいいのに、と思ったささくれた心をもった人間は少なくないんじゃないだろうか。選手入場の音楽が米国製なのも気にくわない(もちろんChicは好きだが)。ささくれ。
ささくれ立ったまま、上の女性日記についてふと考えたり。 そういうひとはこれからいずれ非常にイヤな目にいろいろ 会わなきゃならないんだろう。しかしそれも人生、なのかどうか。女性の人生ってのは よくわかんないよな。男の人生もわからんが。
朝寝て昼起きる。夕方研究室でダラダラ。 毎日研究室に来て「研究」しているのかというと、そういうわけではない。自分の家にいるのとほとんど変わらない。だらだらしているだけ。この時期は学生も来ないので右のようなおなじみの状態に。
例のミルグラムのアイヒマン実験では、どの程度被験者にインフォームドコンセントとったのだろうか。まあ当然問題になったわなあ。あの話をするときに、インフォームドコンセントの問題に触れないことは教育上どういう影響があるか。
夜も研究室。
まだレポートの剽窃について考えてる。
Purdue大のはなかなかプラクティカルでおもしろい。アメリカの実用主義の力を感じる。それに比べると立命や早稲田のはまだまだだな。もちろんうちの大学ではなにもない。
同じ事象を研究していても、社会学研究者と心理学研究者の間の距離ってのはとんでもないものがありそうだ。なぜこんなに距離があるのだろう? 心理学の論文の生産が主に英語で行なわれているからのような気がするが、気のせいかな。
秦澄美枝『二次セクハラ清泉女子大学裁判:大学の責務と文科省セクハラ規程』社会評論社2005。名古屋の先生は同じひとの名著『魂の殺人』WAVE出版2001を読んで「もともと壊れた人だったわけじゃなくて」と書いているが、それはどうだろう。勝訴したのは立派だが、。でももうちょっとうまいやり方があったんじゃないだろうか。壊れぐらいは前著と同じくらい。
社会学をバックグランドにしている人々は道徳的規範のとらえ方が倫理学やってる人間とはまったく違うのだなあ、とか。法哲学や政治学やってる人々にはあんまり違和感感じないんだが。 とくに強い違和感を感じる場面では、ほとんどといってよいほどルーマンの名前が注とかにつけられている。うーん。 大庭先生の書いたものに感じる強烈な違和感もそこらへんにあるのかもなあ。
ふと名古屋の先生の本で社会学理論の流れについて勉強したり。役に立つなあ。 しかしこの本、いったい何人の人がまじめに読んだんだろうか。 第6章で社会学に生物学からちょっかい出そうって話あたりおもしろいし有用で、社会学者がちゃんと読むべきだと思うんだが、ほとんど紹介されてないね。 なんというか、とんでもなく高いということの他に、タイトルが悪いんじゃないかという気がするんだが、まあより大きな図版を描きたいっていう思い入れがあったんだろうな。 いずれ広まるんだろうか。早めにもっと社会学の哲学に特化した本を書いた方がいいんじゃないだろうか。 p.246、「約定6」がないけど、誤植か省略か。いや、約定3もないから省略か。このCollins のConflict Sociology読んでみたいけど古書でもとんでもなく高いな。邦訳は図書館にあった。 社会学っていう分野も出ている本はかなり偏ってているよなあ。
夜半過ぎてから まじめに仕事。
もう自発的でない場合は、いかなる仕事も引きうけないこと。約束もしないこと。 特に翻訳は絶対にいかん。気ばかり使ってなにも得るところがない。 もともと日本語が不自由なんだからこういう仕事ではできない。 自分の文章を書くのに四苦八苦している人間が翻訳などできるものか。自分の馬鹿馬鹿。
机の上はこんな感じ。
朝帰り。高校では入試らしく、塾関係者が応援に集合している。
「モーグル」とかって、いかにも大怪我しそうないやなスポーツだな。
夕方起きだす。翻訳。
あれ、開会式でイマジンなんか歌いやがったのか。やだなあ。
ほんとに翻訳は苦手だ。 だいたい、この日記を見てもわかるように、私は語彙が極端に少ない。 skkの辞書を見ると25000語ぐらいしか語彙がないようだ。
なんらかの期待をして子供を作るのはだめだとか、 子供の将来を決めちゃうのはだめだとか主張している人びと (一部の生命倫理学者?)は、やっぱり天皇制とか反対なんだろうな。当然か。
早起き。朝から。会議。書類書き。いろいろいらいら。 なんか最近性格が悪くなっているというか、気が短かくなっているような気がする。 年をとるにつれて「傲慢」「怠惰」「嫉妬」「暴食」「憤怒」と主要な悪徳が揃ってきた。足りないは強欲 avaritaぐらいか。 wrathはgreedとともに一番縁遠いつもりなんだけどな。 pride / vanity / self-esteem は生産的な方向にもっと強化したいのだがうまくいかん。
校正。面倒。
卒論書きなおし。
レポート作成指導。 ちょっと部屋を片づけてもらう。
日が暮れても調子上がらず。やっぱり雑用が入るとだめだ。まあ私が調子よく仕事できるときなんてないけど、集中できるときとそうでないときはある。
最近「われわれは、自分が最も得意なことに一番価値があると思う傾向がある」という文章を読んだような 気がするのだが、誰の本か忘れてしまった。
老師が研究室に来て、テーブルに山積みになっているピープス日記を見て、 「お、江口君ピープスなんで読んでるの」。ふむ、この世代の人には有名なの かな。老師は最近ローマ時代が好きで塩野七生を読んでいるそうな。キケロや セネカとかじゃなくて塩野になるところが老師のよさというか自由さ闊達さを 表しているのだと思う。
衣笠の先生から電話があり、「コピペしている学生がいたので注意してくれ、もう一度その学生のをチェックしてくれ」とのこと。調べたらたしかにコピペ。NHKの「シャベリ場」掲示板の書きこみだった。これはわからん。
うう、今日はだめだな。
キース・ジャレットがお休みしてたのは「慢性疲労症候群」なのか。欝病だ と思いこんでいたが、発熱があるのが違うのかな。彼ほど成功した人間でもい ろいろ苦労はあるわけだな。あたりまえだが。マイルスとほぼ同じ道だよな。 カメレオンしつづけ、疲れて急速して復活したらもうカメレオンじゃなかった。 となると、ハービーハンコックの特異さってのは注目すべきかもしれん。
部屋片づけたもらったせいで研究室の鍵が見つからず帰れず。私が悪い。
ピープスの日記の存在は教養人なら知っているらしい。岩波新書チェック。 岩波新書の存在は知っていたが、そんなに読まれていたとは知らなかった。 図書館でもすぐには見つからなかったのでそのまんま。 ちなみに老師は、部屋の片隅にこれまた山積みになっている『我が秘密の生涯』全11巻については特に言及されなかったが、趣味人だからご存知だろう。これも読み切れん。こっちの方が岩波新書で誰か解説してくれるべきなんじゃないかと思う。 それにしても人間の生は読むには長すぎる。読むより生きる方が早い。いや、読まれるより書かれる方が多い、と言うべきなんだろう。 キェルケゴールの遺稿を掘り起こしている人びととか、自分をどう理解しているんだろうか。 けっきょくそういう情報の足りなさ、情報取得の実践的な不完全さが、人間の知的な営みの本質だ、とか言いたくなるが、われながら意味不明な文だ。
寝坊して教授会その他に遅刻。 会議長い。 お腹すいて死にそうになる。 長すぎて百万遍読書会には参加できず。
うーん、今日もだめだ。心落ちつかず。帰るか。しかし仕事が。
コーヒー飲んだら少し落ちついてきた。カフェインにも依存してるのか。
http://blog.livedoor.jp/ld_opinion/。 へえ、おもしろいことするもんだな。これから世間からの御批判を堂々と受け いれながら犯罪を繰り返す集団とか出てきたらおもしろそうだな。まあ各種 blogやmixiにも犯罪者はたくさんいるんだろうが。
けっきょく帰る。夜もずいぶん暖かくなった。
もらったメール。
(略)わたしはある私立大学の(略)3年生です。(略)この大学はとても教育 熱心で剽窃については学生に厳しく指導があるのですが、熱心過ぎて(?)先 生が学生に「あなた、これはコピーしましたね」と決めつけ、学生が自分で書 いたと抗議しても受け入れてくれないということがたまにあるのです。(実は わたしも被害者のひとりです。)わたしの質問は、先生が学生に対して「剽窃 したのではないか」との疑問を口にする場合の注意点や、無実の罪を着せられ た学生が取るべき態度について書かれたサイトはないものでしょうか。また、 剽窃に違いないと感じた場合、先生は学生に確認しないでそれを評価に加味す るのでしょうか。(安易に疑惑を口にするもの困りものですが、口にせずに自 分だけで思い込んで評価を悪くされるのも別の意味で困ると思うのです。)
なるほど、正直なところまったく考えたことのない視点だ。勉強になる。よく考えてみよう。
すべての不正行為に共通することですが、まずは防止することが先決です。 論文の書き方についての指導を行う際、あるいは論文の課題を配布する際など の機会をとらえて、剽窃とはいかなることか、そしてそれがなぜ許されない重 大な不正行為なのか、を説明しておかなくてはなりません。
しかし、不幸にして剽窃の疑いのある論文(学生が書いたとは思えない表 現が多用されている、そっくりな論文が複数見つかった、など)が現れたとし ましょう。困ったことに、それがどこから取ってきたものなのか、あるいは誰 が誰に見せたのかを突き止めるのは困難です。しかし、なにもしないで放置し ておくというのは望ましくはありません。
万能の方法はないのですが、学生を呼び出して面談するというのが、おそ らく最良の解決策ではないかと思います。論文の内容について簡単な質問をし たり、表現の意味を尋ねたりします。実際に剽窃をした学生のほとんどは、こ うした面談によって剽窃したことを認めます。あとは、剽窃がいかに不正なこ とであり、本人にとっても有害なものであるかを説明し、しかるべき対応を伝 えます(単位を与えることはできないとする、あるいは書き直しを命ずる)。 (http://www.cshe.nagoya-u.ac.jp/tips/basics/grade/index.html)
まあ『ティップス先生』とか読んでいると、日本の(まともな)大学はあと数年でちょっと前とはまったく 違う場所になるだろうという気がしてくるよな。大学教育のありかたも、研究者・教員のあり方も。 FDにはいろいろ批判もあるようだし、だめなFDも多いように見えるが、やっぱりまじめに考える必要があるんだろう。研究者としての大学教員と、教師としての大学教員ってのの齟齬の問題って、ある「べき」ではないかもしれないがやっぱりあるよなあ。
翻訳とか、自分が好きなものをちまちま翻訳するぶんには楽しいんだろうな。
留置所、読むものさえあれば3週間ぐらいなら楽勝で耐えられるような気がするな。 っていうかそういう生活がいい。毎日会議だと3週間は無理だろう。
オリンピック出場の今井メロ、改名へ。どうも2ちゃんねるの「名前」系スレッドの常連だったようだ。 名前はやっぱり一回は自分で選択できるようにするべきではないか。 成人するときとか。あるいは戸籍の名前をいろんな局面で重視するのもやめたらどうか。 あるいは雅号とか屋号とかを一般人にもちゃんと復活させるのはどうか。 実名主義は中国を宗主とする文化のものではないような気がする。
午前中から。春。手袋もマフラーもいらない。啓蟄はまだ先だが、この冬も生きのびたよ、ママン、と全国の熊がつぶやいているのが聞こえるようだ。他にもエゾシマリスやニホンヤマネやキクガシラコウモリも冬眠していたらしい。鹿や狸はしないのだろうか。
影法師も復活。そういや小学生6年生の春休みにはじめて東京を訪問したときに、久しぶりに自分の影法師を見たときの印象がいまだに残っている。雪国の冬は影法師にとっても受難の日々。
老師が臼田昭『ピープス氏の秘められた日記』岩波新書をお貸しくださる。 文句なしにおもしろい。この臼田というひとは文人だな。語彙にも圧倒される。 私の前後の世代でこういうものが書けるようになるひとってのはどれくらいいるのだろうか。
岩波新書の編集方針は黄表紙と赤表紙で変わっているような気がする。赤で使われている語彙はよくいえば平明、悪く言えば奥行きがない。
レポート添削。
ブログなどを見ていると、大学関係者の多くがジムに通っていることに気づく。 そういう階級なのだ。
「汝らのうち罪なきものがまず」とかっていう発想がキリスト教の中心にある。 イスラムはどうなんだろう。
わりと心静かに翻訳。やっぱり午前中から助走に時間を使えるとよい。
ティップス先生のWeb版を読みなおし。 2000年4月、大学になんとか職をもらえた時に読んで感服しているのだが、水は低きに。ここらへんの意識の低さがいかんのだな。大学教員ってのはけっきょくちゃんと客観的に授業評価されることがないから、自分でちゃんとやらにゃならん。もういちど読みなおし、来年度は心を新たにやりなおそう。全面的に依拠して半期実践してみるか。 4月の授業準備はもうはじまってる!なんちゃって。
スタディ・ティップスや「ティップス先生からの7つの提案」も増えているのね。「ティップス先生」本体に比べるとキレと多面性がもうひとつかな。
どれも答えられない。【チェックリスト】
- 今、自分にとって最も重要なゴールは何ですか?
- あなたが勉強しなければならない理由を3つあげてみて下さい
- あなたにとって今日真っ先にしなければならないことを3つあげて下さい
- あなたは、自分の生活パターンをだいたい把握していますか?
- あなたがなかなか勉強に取り組めないときがあるとしたら、その原因は何だと思いますか?
カーリングとか、最初は単純な決めごとだけではじめた(おそらく)子供じみたゲームが、 技術と戦略の軍拡ゲームによってあっという間に高度な読みあいゲームになり、おもしろくするために ルールがさらに細かくなっていくわけだな。(もっともこのゲームが多くの人をひきつけるほど おもしろくなったのかどうかは不明だが) しかしこれがオリンピック種目なら ビリヤードもゲートボールもゴルフも、チェスや囲碁やバックギャモンでさえもOKなんではないのか。 ビリヤードしたくなった。こうして並べてみると、カーリングは魅力の点でまだまだだな。オリンピックがなければ滅ぶだろう。
カーリングだけでなく、冬のオリンピックの競技の多くは どれも国籍のバラエティーが乏しいなかで、「おもしろくしよう」とルールを色々工夫して実はなかなか おもしろくならないという苦しみを背負っているような気がするな。報道関係者や選手自身もそれにはっきり 気づいているような気もする。なんか全体に実質的な価値よりインフレ。地味にクロスカントリーやってりゃいいのになあ。そういうもんでもないのか。
朝まで寝られず、寝坊する。レポート指導。
昨日からSafariがぼこぼこ落ちるようになった。
頭がまわらずだめ。今日は帰ろう。
『我が秘密の生涯』の作者はピープスとちがって、自分の来歴と性欲について はずいぶん内省の力を身につけているが、他人への共感ができず、そのため道 徳的な反省を行なうことができない。彼にとってクラスが下の人間は人間以下の動物的な存 在でしかなく、女性はセックス以外には彼の関心を惹かない。ピープスが平凡 な(そして実務的には優秀な)俗物であるのに対して、『生涯』の作者は一流 のサイコパスだ。
ピープス自身に内面がなかったから他の登場人物にも内面がないのだが、 『生涯』で内面をもっているのは主人公だけ。
その結果、『生涯』は優秀な子供であるピープスの日記よりはるかに disgustingになっている。特に彼が「ジェントルマン」として社会で一定の地 位を獲得し、中年の坂を下りはじめてからは、中年初期までもっていた感受性 や驚きを失なってしまっているのがわかる。
早く寝るが夜中に目が覚めてしまう。Stevie Wonderは"My Love is on Fire"が好きだな。ベースラインがよい。あんまりタイトじゃないのが新鮮に聞 こえる。思うけどネイザン・ワッツかな。偉大だ。細かい音使いに専門性を感 じる。5弦ベースなのか低い方の音域に延びてるのがコンテンポラリー。
京大アメフト集団強姦犯、起訴。「実行犯」は一人。そいつは同様の余罪あり。 なるほど。なぜ止められなかったんだろうか、と考えはじめると好みのタイプ の問題になる。残り二人も同様の気質だったのか、サイコパスを実は恐れてい たのか。平気で犯罪を犯すことができない人間を目の前にしたときには、恐怖 が先に立って止められないのかもしれない。あるいは赤信号を平気で渡る奴が いて、かつ、自分も渡りたいと思っていれば、渡ってしまう、ということなの か。戦争中とかも最初はそうなんだろう。次にはそれを学習した奴が他を学習 させることになる。
京大生付属図書館で集団でアダルトビデオ観賞、図書館員に叱られる、とい う事件もあったらしい。こっちはただの馬鹿なのかどうか。「学生証忘れた」 とか「あとで勉強するつもりだった」とかってこどもっぽい言いわけしたと報 道されているところが私のイメージの京大生らしくないと思うのだが、どうか。 おそらく当局や報道もそういう感覚をもっているんだと思う。この学生たちは、 集団でなければ学生証見せただろうか。学生諸君、もっと粒々になろう、とか。
けっきょくうまく寝られず。朝から。
小銭貯金を銀行に。入金なのに両替で金をとられるってのはなんなんだ。腹たつ。
翻訳。寝不足で仕事しようとしても能率が悪い。
BSで『ビューティフル・マインド』を見るが途中で飽きる。これのどこがアカデミー賞なんだろう。ストレンジラブ博士にでも出演してもらえばおもしろくなったかもしれんが。 ・・・ははあ、アカデミー賞ってのは最近そういう傾向(?)がはっきりしている賞なのね。私とあんまり関係のない賞のようだ。恥ずかしながら知らなんだ。
民主党の永田某、馬鹿すぎる。民主党は前もこういう緊張感のないことしてるよな。 もちろんその相手方もいつもながら緊張感がない。 なんだか自分のなかにもあるダラけた部分を見せつけられているようで不愉快なものだ。 世の中がだらけていると、人びとよ怒れとか国民の誇りをもてとか戦争でもしたらどうだとか言う人びとの感覚もわからんではなくなってきてしまう。でもローカルにせよ平和なことはよいことなんだろう。ここ数年は、のちに平成の太平と呼ばれ、懐しまれることだろう。
午後まで寝ている。
『ビューティフル・マインド』にどんでん返しってほどのものがあったかなあ。最後が「自分をナッシュだと思いこんでる大学院生の話ですた」だったら驚いただろうけど。百万遍にいた人たちは元気かな。
三条の十字屋。ジャズ売り場の担当が変ったのか、なんだか主張のある並べ 方になっている。ヨーロッパ系ジャズが好きな担当なのか、Steeple Chaseとか が目につく。売り場に主張があるのはよいことだ。でなきゃAmazonの方がずっ と使いよい。R&B売り場はだめだ。
Beging, or being made, anxious, hostile, tense, and angry per se does not count as harm or being harmed. Sometimes ... emotional distress is in the long haul good for us. (Alan Soble)
とにかくAlan Sobleはなに読んでもおかしい。キレてる。アメリカの林道義?いや違うな。 むしろ極左。森岡正博や小谷野敦もこうなれたらいいのに。 こういう人をフェミバックラッシュ全盛の現代日本に紹介しないでいることはできんなあ。 しかしこういうものを訳出したりすると大学関係で生きていけなくなるかもしれんなあ。
夕方大学。いったん帰宅。夜また出てくる。
どうでもいいことだが、最近女性一般は男性一般の実際の心理をまったく理解していない かもしれないということにやっと気づきつつある。たとえばモーニング娘。や その他のアイドルを男性視聴者がどう見ているかということに、「本当に」まったく無知なのかもしれん。
「あれ、これ手に入れたまま読んでないなあ」と思って読みはじめた本や論文に自分が赤線引いてるのを見ると恐怖を感じる。まあそういうのは印象薄いのだからそれでもいいのかもしれんが。
英辞郎は今144万項目かあ。3年ぐらい前に入手していまいちだったが、また入手してみるかな(どうもこの辞書については2、3年おきに関心をもっているようだ)。 ふつうはいらないんだけど、翻訳するときは定訳が知りたいときがあるんだよな。 とくに2単語で一フレーズになっているような語の。
あらーもう2月下旬。
朝帰り。夕方まで寝る。
迷ったが夜研究室。翻訳は終りにしなければ。
でもダラダラ。
mixiで「メルカレ」という新しい言葉を知る。
「高校生の間では、彼氏・彼女とは別にメルカレ・メルカノがいるのが当たり 前のことらしいんです。 彼が聞いた女子高生は、メルカレは本当に中身を知って好きになった人で、彼 氏や友達、家族に話しにくいことや本音を言えたりするって。メルカレとは会 うつもりはなく、メールだけで繋がっていたいんだそうです。 メルカレの存在 はとても大切らしく、いないのがありえないらしい。クラスのほとんどがいるっ て。 」
なるほど。大学生女子でもこういうのには抵抗があるようだが、私はたしかにありそうな話だと思う。これほどまでに「彼氏」がいないのはおかしい、 恋愛していないのはおかしいという圧力が強いと、本来はインティメットなはずの関係が 公的でストレスフルな関係になってしまうんだな。 もっとも、男の子の側がそう考えているかどうかはうたがわしいところ。
オリンピックは日本勢がメダルをとれなくてなかなか盛りあがらないらしく、 2ちゃんねるではカーリング女子に人気が集っているようだ。おかしい。
図書館のILLのシステムが落ちていてイライラする。
諸般の事情により、もう1年近くジュディス・バトラーを読んでいるわけだが、 いつまでたってもさっぱりわからん。英語として悪文なのはまちがいがない。 気づいた特徴をあげておくと、
なんでこんなもん読まなきゃならんのだ。(それなら読まんでもよいと 言われるだろうが、まあそこらが諸般の事情。)
おそらく日本で(アメリカでも)このひとをもちあげている人々は、 その政治的な主張(「クィアでゴー!」)の新奇さに魅力を感じたんだろうが、 「理論」の内実にはさっぱり興味がないのだろう。
法学・政治学・文学の人々には「哲学の人だから」と大目に見られ、 哲学の人々には無視されるコウモリ。
サラ・サリー『ジュディス・バトラー』という本では、バトラーはほんとうは 哲学者なのに、レトリックや比較文学の業績はないのにレトリックと比較文学 の教授職だということを指摘している。しかしもちろん哲学の教員にはできな いよな。レトリックの先生というのは、へんなレトリックを実践しているとい う点では適職なのではないか。
ヘアは「哲学者が、哲学者の立場から、 実際的問題を解決するために唯一手伝うことができるのは、 さまざまな立場から主張された議論を検討し、 どの議論が優れていて、どの議論がダメであるかを示そうと試みることだけである。」 と言うわけだが、どの程度本気でダメな議論を調べたのだろうか。 ダメな議論にもクリアだけどダメなやつと、クリアじゃなくてダメなやつがあるよな。 そういうものには触る必要もないのだろうか。
ヌスバウムなんかはクリアでダメな議論を提示してくれるから好感もてる。
フェミニズムの社会学が一部でははじまっているようだな。日本でも 誰かやらんかね。
・・・ううん、バトラーとかは「実際的問題」を扱っているフリをしているだけで 実はぜんぜんそうじゃないのだから、読んでみる必要もない、と考えてよいのかどうか。 どうせ実際的問題に対してたいしたことを言っているわけではないのだから、 そういう問題にかかわっている人々がバトラーを権威として援用するのをやめてくれれば 読まずにすむわけか。
ドゥルシラ・コーネルとかにもバトラーに似た不誠実を感じる。なぜかこのタイプの人々は権威主義的なんだよな。勝負所で大哲学者たちの名前を使う。議論ではなく、単に名前を、有無を言わさぬ権威として。そして日本のフェミニスト学者たちも。まあ世代が入れかわれば変わるだろう・・・か。
世の中にはいろんな「実際的問題」があるわけだが、こういう奇妙な議論が平然と行なわれてたまま咎められていないのはフェミニズムまわりというかセクシュアリティまわりだけのような気がする。偏見?
まあ頭が悪いんだから、へんな問題には首をつっこんじゃだめだな。おとなしく生きよう。
朝帰って寝て夕方起きてふたたび研究室。
採点表できてたのに締切まで提出できなかった。事務仕事。
民主党の馬鹿は国会欠席、カーリングは決勝進出に望み。平和だ。
明け方目が覚めてしまいカーリングを見る。これ、男子女子に分ける必要あるのかな。もしこれがスポーツだとすれば、カテゴリ分けする必要ない数少ないスポーツなんじゃないだろうか。トップレベルの試合で、男子チームの方が強いということがあるだろうか。
オウム麻原、「偽痴呆性の無言」。ほんとうかなあ。鑑定医は西山詮。 他の事件でも同様の鑑定を提出。どういう人なんだろう。顏を見てみたい。 弁護側は野田正彰他5人ぐらいの医者に会わせていたようだ。
会議。
朝から。事務。時間が足りない。
Safariが落ちまくってイライラする。キャッシュのクリアは何度もしたのだが。 「Safariのリセット」してしまうとパスワードとかも忘れてしまうから ちょっと恐いんだよな。
ポジションペーパーという言葉を知る。
授業についてのアイディア。 「質問発言シール」をつくってみたらどうだろう。レポート提出時に貼りつけてボーナス評価とか。ちょっと操作的すぎるかな。
バトラーが重要な思想家であるとすれば、それは彼女のアイディアが たしかに独創的だからなのだろう。しかしその独創性はどこにあるんだろう? それを探してやらにゃいかんわなあ。 おそらく「セックスも文化」「クィアで大丈夫」。
「あなたは自分の読者を馬鹿だと思ってもよいのですが、 あなたが議論している哲学者やその見解を馬鹿だと思ってはいけません。もし 彼らが馬鹿なら、わたしたちは見向きもしないからです。もし あなたがその見解によいとこがなにもないと思うのなら、おそらくそれはあなたがその見解について考えたり議論した経験が十分になくて、その見解の提唱者たちがなぜそれに魅力を感じているかを十分に理解していないからかもしれません。彼らを動かしている動機をもっと考えてみましょう。」 http://www.princeton.edu/~jimpryor/general/writing.html
「萌え」にはあんまり興味ないけど(「萌え」という単語をこの日記ではじめて使ったようだ。)、「萌える絵のかきかた教えてくれ」。すばらしい。なるほど、マンガというのは非常に高度な観察とノウハウに裏付けられているのだなあ。とにかく立体の認知能力が私には想像できないほど優秀なことがわかる。 私なんかものを見ているようで全然見てないのだな。ひとの顔とか服とか私にとっては単なる記号だもんな。
音楽なんかもぜんぜんわかってないこともわかっている。 んじゃ、私は哲学的な議論とかだと普通の人々より細かいところに気づけるかというと そういうことはぜんぜんないわけで、無能ってやだなあ。もっと世界の濃密さを堪能したいような気がする。無念だ。せっかく人間に生まれたのに。
百万遍研究室の予餞会に遅れて出席。20年目か?フグ。ちょっと飲んだだけでよっぱらい。一次会のみ。
2時まで寝てしまう。体調悪く、頭も悪い。
会議。長い。
調子悪くて何をする気にもなれず。帰ろう。
夜雨。
女子フィギュアスケート、新体操と同じ雰囲気。高級奴隷市場とも似ているのかもしれない。
BSで上原ひろみのライブを見る。こういう高速な曲弾ける人は聞く方も ぜんぜん違うんだろうな。そういや大西順子はいまいずこ。
朝から。今月は28日までしかないのか。閏年だと思いこんでた。
午前中会議。昼も会議。
午後も会議。修論発表会。
夕方になっても落ちつかず。帰って寝るべきか。
いらいらするのでSafariをリセット。
だめだ。禁煙しよう。禁酒も。
早々に寝る。
昼過ぎに起きる。オリンピクはやっとメダルもらったらしいがどうでもよい。 小川珈琲で豆を買って大学。
事務仕事していたらイライラしていきなり禁煙失敗。
何を食うか非常に困って帰宅。なんか飯のことばっかり考えているような気がする。夜出てくる。
Safariはまだ落ちる。となると、またOSのインストールからはじめたくなるわけだが・・・ 消耗機器予算もディスク1台分余ってるしな。3月に考えよう。
心を落ちつけて。あんまり落ちつけてもいられなくなってきたのだが、落ちつけないことには なにもできない。
あ、そうか。SafariやめてFirefox使えばいいか。忘れてた。しばらく使ってみよう。 ・・・おお、速い。最適化バージョンにしたらさらに速い。
某研究室ではいまだにHTMLべた書きという伝統がひきつがれているのを確認してなんかおかしい。ブログにすりゃいいのに。
最近、もっとテレビ見たりした方がいいんじゃないかと思う。世界を知るに はどうしたらいいか? 一般に男性は中年になると関心の範囲が狭まる傾向があ るのではないかと思うが、偏見だろうか。40才越えてまだまだ興味関心を広げ、 新しい体験を欲することはできるのだろうか。もちろんその人がどういうひと であるかによるわけだが。
少年のころから私は一定の性格を持ち落ちつきたい、自分というものを確立 したいと願ってきたような気がするが、実際にだいたい一定の性格を持ち、ある程度自 分の考え方がもう動かしがたいものになってしまっているのを感じるとそれを不満だと思う。人間は奇怪だ。
Winnyのキンタマウィルス、すばらしい破壊力。まあウィルスでさえないただの 実行ファイルがこれほど強力だとは、winnyの開発者もキンタマの開発者も予測していなかったろう。 海底図や暗号関係まで流出したらしいが、これで偉い人びとの首が 飛んだという話を聞かないのがなんともすてきだ。ふつう首相辞任とか、防衛庁背広制服全とっかえとか、みせしめのため公開処刑とか、それくらい 大きい話なんじゃないのかな。民主党のメール騒ぎはこの防衛庁の大チョンボを隠すための 陰謀じゃないかとか病的な思考に陥りそうになっている人間は多いだろう。まあ、たいした機密のない世界はよい世界だ。エシュロンとかいらんし。世界は大友克洋の『アキラ』とかとは全然違う方向に進んでいるようだ。よきかな、よきかな。
それにしてもこういうの、いわゆる平和主義の人びととか左翼の人びととか、どういう態度をとるべきなんだろう。 よくわからんよな。そこらへんがよくわからないのがメディアの追及が甘い原因なのだろうか。激高老人なにか書いてくれないかな。
仮眠して、学生と約束していたので午後ふたたび出てくる。 桜が咲きそうな上天気。
なんというか、学生の指導をするには私にスーパーバイザーが必要なのではないか という気がする。うちはゼミの独立性が高くて、誰がどういう指導をしているかは さっぱりわからん。まあ老師に時々相談したりはするのだが。
だめ。早く帰る。
LaTeXで画像貼りこみ、文章を回り込ませるメモ。滅多に使わないのでいつも忘れてしまう。 JPEGをEPSにするにはGraphicConverterが一番早い。 ちなみに右のバルドゥンググリーンの絵、上から見て呆れているアレックス君がかわいい。 「先生〜・・・。」 この事件がなかったら世界史は変わっていたのだろうか。 画像はhttp://www.ibiblio.org/のもの。そういや、こういう画像データの扱いの著作権とかマナーとかどうなってたのかな。
\documentclass[dvips]{jsarticle}
\usepackage{wrapfig,graphicx}
...
...
\begin{wrapfigure}{r}{60mm}
\begin{center}
\includegraphics[width=50mm]{aristotle-phyllis.eps}
\caption{アリストテレスとフィリスの歴史的プレイ}
\end{center}
\end{wrapfigure}
いったん研究室に寄って、久しぶりに東京へ。 あえて、「ひかり」を選択。
某研究会に参加。いろいろと勉強になった。 論文や発表は、発見の喜びを表現するものなのだなあ、とか。 暴れて迷惑をかけたかもしれない。 なんだか京都関係の人間が多くて(発言も多くて)、研究室が出張しているようでもあった。 京都のゴロツキが関東に進出しつつあるようでもある。懇親会にも参加。
旅館に荷物を置いて、某助手と後楽園で飲む。 なんかえらく眺めのよいバーで最強のデートコースだろう。 自分がネオンライトを好きなことを確認した。すべての装飾はハロゲンライトや発光ダイオードは廃止し、ネオンにするべきである。
旅館は鳳明館台町別館。風情があってよろしい(風情がありすぎると見る人もいるだろう)。風呂も共同だが広くて24時間。混浴らしく、「鍵をかけてはいってください」。2度入る。
旅館は朝飯なしのコースだったが、なんだかうまそうな匂いをさせていた。 次は頼もう。 ギリギリにチェックアウト。ひかりで午後京都着。会議のためそのまま大学。
落ちつかず。頭のなかが散慢でだめ。
しょうがないので百万遍生協へ。
"alternative"をわざわざ「オールタナティヴ」と訳すのは恥ずかしい。 (コーネル『イマジナリーな領域』仲正昌樹監訳) かっこつけるなら「アルターナティヴ」だろう。
新雑誌『RATIO』。最後の交換日記のやりとりしか 読むところがないというのは、現代の哲学とか思想とか ってのはいったいどうなってるんだ。ゴミでも生産しないよりはましなのだろうか。 数年後にはなにも残らないであろうことが確実なものを書いたり読んだりする ってのはどういうことなんだろう。 ああいう難しいものも、一部の人は知的なエンターテイメントとして読めるんだろうか。 一般読者向けの、もっと軽くてわかりやすくておもしろくてタメになる哲学的雑誌というのは無理なのかなあ。 http://www.philosophersnet.com/ のような。 唯一読めた交換日記は、なんだか仲よすぎておかしい。業界人には勉強になるけど、 あれじゃ売れないんじゃないかな。罵倒しあったりリアルで仲悪くなったりすればいいのに :-)
それにしても、 思想系の本を楽しむってのはどういうことか。 思想系の商業誌読んでいる人びとはほんとうに楽しんでるんだろうか。
個人的には一部の哲学はたしかに楽しみのために読むことができると思う。 デカルトやカントやショーペンハルエルといった人びとはたしかに楽しめると思う。 ロックを楽しむのは難しいがヒュームだったら楽しめる。 パスカルやモンテーニュだったら、楽しみが先に立つ。 ヘーゲルは楽しめないがキルケゴールならそこそこ楽しめる。 いや、ヘーゲルでも『法の哲学』はいやだが、『精神現象学』なら楽しめそうだ。 ニーチェやウィトゲンシュタインやフーコーも楽しめる。 ムアやヘアやエアやスティーブンソンもパーフィットもネーゲルもウィリアムズもおもしろい。 論語や荘子だって楽しめる。 ここらへんまでなら、職業的関心や「勉強」や虚栄とはまったく関係なく読める、 というか、まあ実際楽しい。 まったく別の職業についていたとしても、日々の糧の一部や暇つぶしとして、そういう楽しみを求めたかもしれない。
んじゃ、デリダとかバトラーとかも楽しめるのだろうか。(っていうか、 楽しいと思って読んでいるひとがいるんだろうか。いるんだろうな。) 私にとって楽しい哲学と楽しくなくて読むのが苦痛なやつの違いは?
今年度はほぼ毎日研究室通ったなあ。 完全にオフにすることも必要なんじゃないかな。 大学教員にとって有給休暇とは何か、とか考えたり。
朝から。2月もおしまい。
ドゥルシラ・コーネル。権威主義的で奇妙だ。 ラカンだのカントだのロールズだのスキャンロンだのを引きあいに出すが、彼らの思想なり なんなりをまじめに考えたり批判したりするのではなく、 お勉強して「使う」だけ。教科書的な理解で、 はたしてどの程度それぞれの論理を理解しているのか疑問。 ジュディス・バトラーがデリダやフーコーやフロイトやラカンを「使う」のとよく似ている。 コールバーグがメタ倫理学〜ロールズを下敷にしたのと 同じような憧れとそれと裏腹の劣等コンプレックスを感じる。 彼ら彼女らにとってそういう哲学者たちの「理論」は権威によりかかって「使う」もののようだ。 この権威主義はいったいなんなんだろう?
「パパがそういってたから」「オジちゃんがそう言ってたから」とかって 文章が頭に浮かんだ。
もちろん先人の知惠を借りるのは非常によいことなのだが、コーネルやバト ラーが奇妙なのは、なんか他の目的のために都合のよいものを無批判に借りて きているように見えるところなんだよな。カントやロールズを「使う」のであ れば、彼らの理論のステップの一歩一歩を確認し、理論が含意する彼女らにとっ て都合の悪い部分に対してなんらかの手当をしないとならないと思うのだが、 そういう気遣いが感じられない。なんというか哲学して苦しんでいる息づかい というのか。あるいは、独立に議論を進めて、「いろいろやってくると、この 点で昔のおじさんと同じ結論になったから安心」というのもあると思うが、そ ういうわけでもない。
どうしても印象批判になってうまく表現できないな。まあここらへんの勉強は生産的でないか、あるいは私には歯が立たないかのどちらかであることがわかったのでそろそろ終りにした い。
一流のフェミニスト学者、というか、真面目な検討に値する人々はどれくらいいるのだろう。 マッキノン(たしかにオリジナルな思想家であり偉大な活動家だ)とヌスバウム(哲学者としてちゃんとしている)ぐらいなんではないのか。少なくともヌスバウムには 哲学をちゃんと感じることができるし、マッキノンがオリジナルなことを生みだそうとして苦しんもがいているのはわかる。
と。
鈍重で禁欲的で難解で時に意味不明なフェミニストたちの文献を読んで悩ま されたあと、カミール・パーリア(「ジャンクボンド論文」)を読むと明快で気が晴れ衝撃を受ける。主流派のフェミ ニストに欠けているのはこの軽さと明るさだよな。そして澄んだ洞察力と諧謔 と皮肉。それに比べると主流派フェミニストとそのとりまきの野暮ったすぎる (もちろん野暮は道徳的に悪いことではないが)。このひとはもっともっと取 りあげられ、真面目に考えられてもいいだろう。まあマッキノンはベティ・フリーダンのように 世の中を変えた人として記憶されるだろうし、 ヌスバウムはフェミニストとしてではなく20世紀後半のリベラル哲学者として 時々読まれるかもしれんが、昨今流行のジュディス・バトラーは何も意 味がなかったことになって残らないかもしれないし、ドゥルシラ・コーネルは 流行りさえしないだろうが、このひとの書いたものは残るかもしれない。へた するとフーコーより重要だとみなされることになるかもしれん なあ。少なくとも性というテーマについては、『性の歴史』より『性のペルソナ』の方がよ く読まれるようになるだろう。 正直なところ、 人文学研究全体に対するパーリアの重要性を今まで理解していなかったのが 恥ずかしい。 デートレイプ論文読んでから気にはなってたのだが。 たとえば数少ない本物のセックス哲学者Alan Sobleは、90年代はじめに発想と文章の書き方が大きく変わる(よく言えばふっきれて自由になった)のだが、おそらくこのひとの影響だな。コーネルやバトラーがああいう主張をするようになったのもこの人に対する反応かもしれない。ぜんぜん引用されないけど。ううむ。 (『性のペルソナ』一発屋というのもアレだけど)
こういう人があっという間にもてはやされ、ただのエッセイ屋になって落ちぶれてしまう、というところはやっぱりアメリカ社会の怖さだと思う。でもこれはまあヴァンパイヤ読んでから判断しよう。
パーリアを読んで、私は決して標準的な学者としての最低ラインをクリアできるようにはなれないということをはっきりと確信した。 半人前の学者にもなれない。とにかく学者にはなれない。べつの生き方を見つけなければ ならない。おそらく「教育者」なのだろう。まったく2月は有意義な月だった。 ・・・いやいや、そう悲観的になる必要はない。日曜日の研究会では「修士1回 生の気分です」と自己紹介したが、それは本気だった。回り道をして学者にな る人々もいるのだから、いまからはじめると思えばよいだろう。10年もまじめ にやれば、半人前ぐらいにはなれるだろう。 私は運よく、よい環境で何ひとつ文句言う筋合いのないような生活をさせてもらっているのだし。 まったくあの年の2月は有意義な月 だった、と数か月後、数年後には言えるようになりたいものだ。 まあ、こういう読書体験が時々あるからこの商売はいいんだよな。
パーリアにとって自分の音楽はストーンズやドアーズだったようだが、私だっ たらなんなのかな。ちょっと前に「ロックは俺たちの音楽だ!お前たち学者の じゃない!」とかって意味の 文章を見たが、たしかにロックは私の音楽ではな いし、ロックを自分の音楽だなんて思ってる人間は信じられんよな。 やっぱりプリンスなのかなあ。でも最近のプリンス様はもう私の音楽じゃないよな。 おなじように、時代の哲学や自分の哲学ってのがあるはずだ。広い意味での。 ムアの時代もあれば論理実証主義の時代も実存主義の時代もあったろう。 私とかどうなのかなあ。
「テキストはできればなるべくちゃんと読みたい、読むべきだ、読まねば ならん、読めないから私はダメだ」という私の嗜好と、フェミニズムや現代思 想まわりは非常に相性が悪かったんだな。あたりまえだけど。
レジュメ1枚提出。法社会学会レジュメ