そういやBCLからアマチュア無線とかってものを私もやってた時期があったな。 小学3年の秋に電話級、4年生で電信級だったかな。 28MHzと50MHzと144MHzだったと思う。『ラ製』や『CQ』読んだりして 工作したりもあった。 あ、アワードのときにキャンプ行ったり、 同級生の親とかとアンテナ立てるオフラインミーティング(とは言わなかったような気がするが)したり もあったな。 5年生のなかばには すでに飽きてたように思う。ログをとったりカードのやりとりしたりするのが管理できなくて面倒だったのと、 なんといっても私の方に誰かと話すべき中身がなかったんだと思う。まわりは高校生から大人だったし。 まだ人間に「中身」とかってものがあるとさえ思わない時期だったと思う。 電子工作も手先が不如意でイライラするのでやめた。
そういやカブスカウトだのボーイスカウトだのって活動もしてたような気がする。 へんな世界だったなあ。苦手。なんでやってたんだろう。
そのあとは持ってもいないのに パソコン雑誌を読んでたような気がする。中学のころには吹奏楽とかに興味がうつっていて、 実際にPCを手に入れたのは大学院になってから。もしああいうテクノロジーに対する趣味を 育てていたら、全然違う人間になったろうと思う。もっとましな生活してたかもしれんとも思うが、 まあ人生そういうもんだろう。
それにしてもあのころは1年が長かった。いまは一瞬のことにすぎない。
「えぐち君、顏むくんでるわよ」と厳しく指摘される。太っているのかもし れないがとにかく養生しなければ。ほんとうに健康のありがたみはそれを失なっ てわかる。健康は幸福の必要条件のひとつ。どんなに知恵があったり金があっ たりモテモテだったり名声があったりしても、健康でなければひとは自分を幸 福だとは思えないだろう(わたしはどれも持ってないがおそらくまちがいな い)。しかしでは老いたら幸福ではないということになるだろうか?老いて老 眼で入れ歯でも、記憶力判断力抜群、顏ツヤツヤでハーフマラソンも走れ鯨飲 馬食に耐えられたら健康だろうか?
ちょっと自分探しの旅に。
湖のまわりをウォーキング。帰宅。
今回はPCも持たずに旅行に出かけた。 2、3日メールも読まず、テレビも見ず、新聞も読まずって生活をしてみたが、 ぜんぜん困らないものだな。さすがに電子辞書がないと困ったと思うが。
デンマークはタバコ大国。全員歩きタバコ、どこでも店内は紫煙。どうなってるんだろう?
まあとりあえずタバコもいらん。飯食うときにアルコールは欲しい。
五嶋みどりのテレビインタビュー見て圧倒される。
昼から。たまっている事務仕事をひとつひとつ片づける。
最近またまた断腸亭日乗読んでる。いったい一生に何回読むんだか。 今回は電子辞書ひきひき、索引も参照しつつ。読めない漢字があるのがつらい。 もっと読まなきゃならんものがあるわけだが。 「人生の事若し大小となくその思ふやうになるものならば、精神の修養は無用のことなり。」 さようですね。
昼すぎまで寝てしまう。研究室へ。
ライブドアってなんだか恐い会社だよな。そのうち 経営うまくいかなくなり事件になるのだろう。 業界の人びとは皆そう思っているに違いない。
ひさしぶりにピアノ30分。当然ながら指がぜんぜん動かない。 ・・・クラシックピアノも一度先生について習いたいねえ。 バッハと、ブラームスの小品が弾ければいいな。
なんというか、自分は隠居するために生まれてきたんではないかと思う。 いや、違うな。そういう財産がなければ隠居などはできない。 いくらお金をもっていれば隠居できるんだろうか。 これからも隠居をめざしてジタバタするわけか。
採点。
えんえん断腸亭日乗を読む。 昨日メモした 「人生の事若し大小となくその思ふやうになるものならば、精神の修養は無用のことなり。」。 ちょっと反省してみると、私は「精神の修養」(それがどんなものであるかは別として) とかってものにそういう目的があるとは 思ってないような気がする。もっと自己目的なんじゃないか。
昼すぎまで寝てしまう。春。帽子も襟巻もいらない。 クマさん、ヘビさんカエルさん、どうやらなんとか冬越したようですよ。
なんだか昼の陽気に救われた。今年の冬もきつかった。 かろうじてサバイバルといえるのかどうか、もう破綻への道をゆっくり歩いていると 認めなければならんのか。
十字屋へ。 CDと春秋社のインヴェンションとブラームスの楽譜を購入。
もうレコード会社にクラシックの新譜を録音するインセンティブはないんじゃ ないだろうか。少なくとも買う方としては、こういうちょっと古い録音が廉価 で手にはいるから、2000円を越すCDなんか買う気になれない。70年代のビニー ル盤の廉価版ってのは録音やっぱり悪くていかにも廉価版だったが、70〜80年 代に録音されたものは十分だもんな。
しかし、あちこちのライブをDATでワンポイントマイク1発どりのを192kぐら いのストリーミング配信、1時間分300円、とかだとまだけっこういい商売にな るんじゃないか。もうちょっと品質が高くないとダメかな。非圧縮で送れるよ うになればずいぶん変わりそうだ。
いそぎの採点。
サッカーの応援でへんな歌を歌うのはやめてくれないだろうか。
夜雨。何度か聞いてみて、ショスタコの交響曲でよいのは5、8、10、14の4 曲のようだ。弦楽四重奏はどれも名曲なんだけどね(特に8番)。あれはそのう ち評判のよいボロディン四重奏のやつも注文しよう。
まだまだ荷風日記読む。 昭和15年ぐらいからの日記は読みごたえがあるが、しんどい。 おもしろいのはやはり昭和ひとけたから戦前の景気がよい時期。 このひとは政府と大衆がばかげた戦争をはじめたことを逆説的に喜んでいたかもしれない。 還暦前から特定の女と深い関係になることがなくなっているのだな。
けっこうまじめに読んでたおかげで、漢和辞典のつかいかたがずいぶん上達した。
曇。また綿棒でつつきすぎて左耳が痛い。
採点。会議。会議。
学生サークルにつきあう。はじめてバイオリンに触る。 そういや弓奏楽器ってこれまでまったく縁がなかった。 アップライトベース欲しい。
早くに寝る。
15時間以上寝てしまう。なんなんだ。
暖。手袋もいらない。
研究室。
さすがに寝られず、夜明け前市内を散歩。狩られたり殺されたりしないように 気をつけよう。
松田良一『永井荷風オペラの夢』。ほんとうに荷風という奴はダメなやつだ。 川本三郎『荷風と東京』。
キルケゴールと荷風ってのは全然関係なさそうで類似点が。 都市生活者、散歩者、独居者、貴族主義者、耽美主義者にして倫理家、 落伍者、ダンディ、皮肉屋、日記作者。裕福な父親の財産を若くして相続した利子生活者。兄弟との不和。 生活の狭さ、人格の狭量さ。女嫌い。 病弱。失敗と敗北。生活の芸術化。「やつし」。
人間の生活の幅ってのはそれほどないということ なのかもしれん。 もっとも、好色度とかモテ具合とかはぜんぜん違う。
朝から昼過ぎまで寝てしまう。
寒い。高島屋でコーヒー豆を買う。最近木屋町三条の小川珈琲が閉店してしまい、 豆の購入に困っている。ブルーマウンテンブレンドはよい品だったのだが。 近所にあるスタバは変な匂いがついていてまずいし (あれを本当にうまいと思っている人がいるのだろうか?)、ドトールは 店のコーヒーはぼちぼちだけど豆はもうひとつだし。小川珈琲は偉大だった。
研究室。
ちょっと思うところあって、emacs-wiki.elを試してみるが、私には不要だな。 HTML手書きの方がいい。 それにしても、私もそろそろHTML書きはじめて10年目。 第一世代の「Web日記作者」たちが皆そろそろ10年目に到達しているはず。 なんか、やっぱりめでたいよな。 (私はタイトルを一度も変えてないのが自慢だ :-) あと休止もしてないのも。)
ショスタコ7番ってのは、なんか景気はいいけど全体に形式感も薄くてよく わからん。第1楽章が皮肉で滑稽すぎるし。それを楽しむものなのだろうなあ。 深い。
OS Xをだんだんアップグレードしてきたら、 なんかメモリは1GBじゃ足らんようになってきたような。 しかし予算 は全部使ってしまった。
川本三郎の本も読了。今荷風関係をおもしろく読んでいるのは、 十代の終りに村上春樹に代表される小説を大量に読んでいたのと同じ動機に よるのかもしれないと思った。ライフスタイルの模索の一環というか。
深夜寝静まった市内を歩く。若い人々は遅くまで酒飲めていいねえ。
そういや 知りあいの学生(他のゼミ)が奈良女の大学院に合格。めでたい。
夜明け前に寝て昼過に起きる。研究室。
日記作者たちに共通なのは、自分の生活や人生を物語として 理解したいという欲望。あるいは理念にしたがって解釈したいという欲望。 物語からはずれる部分、過度に感傷的な部分、 みっともない部分、恥かしい欲望、邪悪な願いなどは書かれないこと、 書けないことによってなおさら意識されることになる。 それら意図的に隠蔽された部分、意識されない部分は澱のように溜って 日記にさえ書かれない二重化された内面をつくりあげることになる。
キェルケゴールがドイツ語会話できなかったという話 (のでベルリンでは得意の話術も使えず散々な目にあった)、 荷風もフランスでは得意の女遊びもなにもできなかった話 (おそらくフランスでは東洋人だというだけで厳しい目にあった) とかってのは、本人のなかに屈託として残るわけだ。
まあ、荷風にしてもキェルケゴールにしても、そうやって物語として自分の人生を解釈し、 なにかを装おうとして果たせず出てくる歌は美しい。 「詩人ってのは、口の作りが常人と異なっているため、苦悩の呻きが歌になって聞える人間のことだ」
いじってたらいろいろ混乱したのでCVS repositoryを作りなおす。 ディレクトリの消去がからむと難しい。まあ年ごとに作りなおすのは 悪くないだろう。
最近若村麻由美のようなお姉さんが相手をしてくれるようなお店に行ってみ たいような気がするのだが、年のせいだろうか。
夏目鏡子さんの『漱石の思い出』。狂人に悪妻。破鍋に綴蓋だが、 漱石先生が追い詰められたのはこの人も貢献していると思う(貢献度一割〜二割)。
病院からもらった胸焼け止めの薬は即効で恐いくらい効く。 漱石先生もこれもらってたら少し楽に生きられたのに。
早起き。やっと昼夜逆転がなおる。会議。教授会。
百万遍生協へ。G5 Macのメモリ増設。2GBになる。 SafariとAcrobatとWordとX11とemacsとMailを同時に立ちあげても ぜんぜんスワップしなくなって快適。G4だと1GBで十分なんだが、 G5だとこれくらいが適量なのかな。iLifeも入れる。
卒論事後相談。チョコ2個入手。なんか久しぶりにもらった。
やっぱりうちの校舎の3階に不審者がナイフ持って入ってきたら 私が対応に当たらねばならないのだろうか。確認しておくかな。
けっこう早くに床についたのに夕方まで寝てしまい、さらにコタツで 夜まで寝てしまう。いかん。夜研究室へ。
佐藤卓己『言論統制』。力のある人だなあ。 荷風とは違う面から戦前を見ていた軍人の評伝。 軍隊や軍人というものについてこれまでとは違った知見を得る。 佐藤によれば軍隊というのは財力のないものが成りあがるための 唯一の経路だったらしい。なるほど。私もきっと入ってたな。
森岡正博『感じない男』あいかわらずきちがいというか恥ずかしい。しかし そこがこの人の長所。私はとりあえず制服にもロリコンにも興味なく、 ゲイ男性にももてない男だからあんまり関係がないようだ。
小林和之『「おろかもの」の正義論。なんかこのタイプの本は読みあきた感じがする。
上田紀行『生きる意味』だらだらしていて読む価値がない。岩波新書ってもっと アカデミックなものじゃなかなったんだろうか。
郵便局のキャッシュカードをしばらく使わなかったら紛失したので 届けを出す。→しかし夜中に机から発見。
ひさしぶりに研究室に泊まり。最後の採点。
一日の歩行時間が足りないと太腿がむずむずする。 スクワットでもするべきなのか。
採点は全部終了。
採点終了。
自分が汗臭くて死にたくなる。冬は常に厚着の私はこの時期時々汗をかく。 髪もおかしいし。この年になったらやっぱり身だしなみは重要だ。 鬚は最低3日に1回は剃ること、モミアゲにも気を使うこと、シャツは毎日替えること(大学に泊まるときは必ず替えをもっていくこと)。
うちの研究室のドアには「講義」「会議」「学内」「一時外出」「出張」 「退出」という表示があるが、やっぱりこれはどうか。いる、いないもその場 でわかるわけなので「ヒマ」「忙しい」「いないけどまた戻ってくる」「今日 はもう帰った」「しばらくいない」のを表示するべきではないかと思う。無意 味なのでいつも「帰宅」にしている。
丸善へ。
また15時間以上寝てしまう。なんなんだ。
ブックファーストに寄り大学。他人の予算をルーズに使ってしまう。
雑用。なかなか春休みにならない。夜まで。
朝起きる。
どうでもよいことだが、バレンタインデーにチョコを送るのは 日本だけの風習だってのはほんとうだろうか? スキポール空港のチョコ売場でも「バレンタインだ!」って広告していたような気がする。
京都中信にたまった小銭(うちには「貧乏の象徴」と呼んでいる小銭溜めがある) を入金しに行くと、どういうわけか手数料を取られる。 腹が立つ。なぜ銀行は貧乏人からそうして小銭をかすめ取るのか。(ATMの料金も腹立つ)
業務のため早起き。しかし連絡ミスがあったようで、そんなに早起きする必要は なかったようだ。昼まで業務。
突然、習字セットがほしくなる。小筆でものを書いてみたい。 筆、墨、硯、紙、下敷、筆置き、水滴、文鎮とかか。 習いに行きたいような気がする。
1日中寝ていた。断腸亭日乗を読んで過ごす。
シェーファー/アンドリュー・ダイビス/ロンドンフィルの 3幕ものの方の『ルル』をDVDで見る。第3幕もよし。こういう退廃して不健全なものに対する反動としてナチスのような ものが出てくるのは当然かなあという演出でよし。ベルクは天才。シェーンベクルとかと 関係を持たなきゃもっと天才だったんではないか。
夜ちょっと飲みに出る。喧嘩を一件野次馬 (荷風先生も盛り場では喧嘩の一つぐらいないと寂しいと書いている)。 一人でおちついて飲める店をもうちょっと開拓しないとなあ。
ヘタな店で飲んでしまうと厭世の心が刺激されてしまう。 まあ家で飲んでりゃいいわけだが、それでも厭世心が時々出てくるわけで。
そろそろ木屋町を捨てて、祇園に進出するかね。 若村麻由美のようなのがお酌してくれるクラシック音楽クラブとかないかな(ない)。
昼すぎに起きてだらだら過ごしてしまい、これではいかんので夜研究室へ。
丸善で買物した本が届いている。どう処理すればいいのか。 ルーズな予算執行のせいでこの時期いつも悩んだりあわてたりしている。
でも荷風の『ふらんす物語』とか再読したりして。
日常的にけっこうな量を読んでいるような気がするが、ぜんぜん身についていないのは なぜか。まあ生涯一書生でぜんぜんかまわないような気もする。 毎日読んでいる本をメモしていったらどうなるんだろう?
ジョナサン・マークス『98%チンパンジー: 分子人類学から見た現代遺伝学』読みにくいし つまらん。保守派。ただし左派。っていうかこういう話で保守/革新と右左は 別の軸だ。類人猿の権利について反対しているが、あまり話を理解していないように見える。
冨田恭彦『観念論って何?」つまらん。下手な対話ものは冗長で面倒。途中で投げる。
戸田山和久『科学哲学の冒険』これはよく書けている。時々はっとするよい解説もあり。 内容も高度でなかなかたいへん。大学生が最後まで読めるのかなあ。
渡辺裕『マーラーと世紀末ウィーン』。マーラーとシェーンベルクが喧嘩したっていう エピソードをアルマの回想録で調べること。図書館にある。 野口冨士男『わが荷風』。まあこんなもん。さすがに『日乗』からの引用とかは ほとんど記憶にある。イデスは存在せず妄想ではなかったという推測に同意。
朝帰って寝て夕方出てくる。 やっぱりクリーンに生活しないと死ぬ。禁酒禁煙。
荷風『あめりか物語』再読。屈託してるなあ。英語ができないのと東洋人差別に 完膚なきまでやられているって感じ。ここらへんの劣等感が以後すべてを決めている ような気がする。
湯山光俊『はじめて読むニーチェ』。紋切型で読む価値なし。二木麻里とかのグループ。
工藤綏夫『人と思想キルケゴール』清水書院。古いね。40年前の本だもんな。
漢和辞典をひくスピードがかなり上がってきた。
漱石の「私の個人主義」に感じるところあり。
ラトル/ロンドンフィル/トレバー・ナン演出/ウィラード・ホワイトの『ポーギーとベス』を観る。 シリアスでよくできた脚本、見事なプロダクション。もちろん音楽にも圧倒された。 恥ずかしながらこんなおもしろいオペラだとは知らなかった。 この力のある台本と音楽が、退廃して一本調子の『ルル』とほぼ同時期なんだもんな。 とりあえずここまで昨年末からずいぶん見たオペラDVDのなかで総合でダントツのベスト。絶賛。 (第2位は『こうもり』か『アラベラ』か)
途中まで見ていた クライバー/ウィーンフィル/ドミンゴの『カルメン』の第3、4幕を観る。演奏は立派だと思うが、 好きな話ではないし、4幕が短かすぎる。
寝られず、朝から。明窓浄几を目指しましょう。
VAWW-NET JAPAN『裁かれた戦時性暴力』。問題のDQN。
大野茂雄『荷風日記研究』。これだ。求めていた人間関係についての情報がわかりやすく まとめられている。自分で一覧表を作る手間がはぶけた。
アルマ・マーラー『マーラー愛と苦悩の回想』。シェーンベルクとの喧嘩の話はあったが、 シェーンベルクがマーラーの4番をピアノで弾いたって話は見つけられなかった。
『科学哲学の冒険』読みおわって、 私はもうちゃんとした哲学にそれほど興味ないのだということを確認。 倫理学にもない。 いまのところ興味あるのは生きることだけ。実存主義的な意味ではなく即物的に。 だめだめ。
ところで倫理学の入門書というのは、 最近のよく書けている科哲関係の入門書と同じ程度の内容となると、 どの程度の内容のものになるんだろうかとか考える。
会議。ひきつづき委員会。
A Slow Learner
ひとは皆壊れたところがある。というか、普通の言い方をすれば欠点がある。
私は長い間完全な人間、というより欠点のない人間になろうとしてきたような気がする。
ずっと他の人々に恥ずかしくない人生を遅ろうとしてきたような気がする。 いや、もっと積極的にいえば、 それは樹木のように個性の枝葉を伸ばして、 一定の木陰を持ち、 しかし一本の樹木として解釈できるような美的な均整がとれているような人生で、 音楽で言えばソナタ形式なり変奏曲なりロンド形式なり、フィ・ボナッチ数列形式なり、 一定の時間的な均衡とテーマの統一があって、いつの時点から見返っても美しいようなそういう 人生だったのだが、そういうものを求める意識がまちがってるんだわなあ。そんな よくできた文学作品のような人生というものはありえない。 人生は芸術ではない。
実際、私は実生活で見習うべき完全な人間を見たことがない。 現実の人間はすべてどこかが壊れていて、その壊れ方が 致命的なときもあれば些細なときもあるが、 「あのひとのように生きたい」と本気で思ったことはないではないか。 (もちろん、「あの人のこの部分はまねたい」は多数ある)
もちろん荷風にも漱石にもキェルケゴールにもなりたくない。 (もっとも彼らが生きていた息遣いを文章から感じるのは、私に文芸的な快楽をもたらすが)
経済はさっぱりわからんが、フジテレビやばいのではないか。これは ライブドアといっしょにあぼーんか。ホリエモンがネクタイ1本締めてれば株価が 変わるのではないかとか。
雨。なんとか起きて朝から教授会。午後委員会。
紀田順一郎『日記の虚実 永井荷風』。
どうでもいいことだが、「one dropでもはいってたら黒人」とかって見方も あるわけで、見ただけで顏の色や頭の形からそのひとがどういう「人種」にアイデンティティ を感じているとかまわりのひとからどうアイデンティファイされているかなんてわ からんのではないか。
荷風全集で『腕くらべ』、その他の随筆。
澤田直『新・サルトル講義』。サルトルでもまだがんばろうとしている人がいるのね。
団まりな『性のお話をしましょう』。擬人的すぎるような。「進化」の解釈もどうなんだろう。
石原千秋『漱石と三人の読者』。
島内景三『文豪の古典力』。
夕方大学へ。夜まで。早寝。
朝から。それほど寒くないが雪がちらほら。
荷風全集。ちょっとピアノ.
夜某医者とライブを聴く。
岡田温司『マグダラのマリア』中公新書。いま新書でまともなレベルを 維持しているのは中公新書だけだよな。
延々と寝る。
秋庭太郎『新考永井荷風』をだらだら読む。たいして学ぶところはないが、考証文学ってのはヒマつぶしにはいいかもしれない。老年の楽しみだな。
ゲルギレフ/キーロフの『ボリス・ゴドノフ』(日本語字幕 なし)を見る。先日見たソ連時代のボリショイのやつよりはるかに豪華で、カッ ト演出などがまったくちがって違う話に見える。それにしても、ムソルグス キーってこれと展覧会の絵と禿山以外に聴ける曲はないのだろうか。ピアノ曲 とか興味あるのだが。あ、「蚤の歌」か。
深夜散歩。
お休みはおしまい。仕事しよう。
「吉岡は目の醒めたやうな新しい心持になつて、 世にある快楽は一ツ余さず貪り取らねば気がすまないと云ふ様な猛烈な 欲求をば再び胸一ぱいに感じ始めた。」(『腕くらべ』) 元気なひとはいいねえ。 美学ってのは感性の学っていうか、けっきょくは快楽についての学問だと 解釈していいのか。
寝られず、朝から大学。
Neil Levy, What Makes Us Moral?読む。
研究室でもつい荷風全集読みふけってしまうのはいかんな。
時々ベッドがわりに使っていたボロボロのカーペットを廃棄。 2月が終ってしまう。
松本哉『女たちの荷風』。ちょっと品性が。
秋庭太郎『考証永井荷風』。こっちはやはりおもしろい。なんといっても、 なんども出てくる「以上は〜〜氏の直話である。」が強い。 それにしても荷風はダメな奴だ。もとから人間が徹底的に腐っている。
特に、またたびを炊いて近所の猫を集めては殴っていたという話、 酒好きの弟子(かつ家主)の目の前で焼酎を流しに捨てたという話は許しがたい。 (親戚の猫のヒゲを切ったというのはそれに譲る)
どう見てもこれは内面、外面ともにひとが生きるべき人生ではない。 特に戦後の壊れ方はすさまじく、私も本当の老年を迎えるのが恐い。 おそらく加齢はその人のもともとの性質を強く出してしまうのだろう。