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ふと感じたことの書き殴り

ほんとうのファイルはhttp://www.yonosuke.net/~eguchi/papirer/papirer200603.htmlにあります。


2006/03/01 (水)

昼から。会議。午前中の会議を一つすっぽかしていたことが判明。

援軍とともに某協会事務仕事。ありがとうございます。

そうか。だいたい、ジュディス・バトラーの『触発する言葉』そのものが、 デリダの『有限会社』の引用であり反復でありパロディーなんだよな。いつでも「実はパロディーですた。ネタにマジレスかこわるい」と逃げられるようになってる。あんなものを まじめにアカデミックでなけれならない世界(たとえば法・政治学)にもちこもうとする人びとってのは、 冗談を解さない野暮なのかもしれない(そしてそれに抵抗しようとする人間はさらに野暮だ)。 「ええ、野暮ですよ。野暮ですとも。若旦那とちがって私は野暮です。野暮でけっこう。番頭は野暮じゃなきゃ務まりません。」粋な方々はそういう場所で遊んでいただければよろしい。丁稚は丁稚らしくしよう。でも「おいらも若旦那のように遊んでみたいなあ。きれいなベベ着ておいしいもの食べて。え、この羊羹いただいていいんですか!」という気もする。

そうか。大学教員が論文を書いて研究者でもあることを示さねばならないのは、 最新の学問的知識を学生に教えるためだという考え方があるのだな。 なんだか盲点にはいっていた考え方だ。なぜ盲点だったのか?明日考えよう。


2006/03/02 (木)

うまく寝られず。朝から。

いろいろまずいことや恥ずかしいことを発見。

昼過ぎ、当然ながら起きていられず。

あたりまえだが、一般にある議論がダメだと主張するよりマトモだと主張する方が難しいし勇気がいる。

小浜逸郎というひとは、くだらないものもたくさん書いているが、 部分的には非常に鋭い洞察を行なっているように見えるのだが、それはやっぱり私が完全にオヤジになってしまったということを反映しているんだろうな。 (たとえば『可能性としての家族』の第6章。)でもまあもうちょっと真 面目に読まれてもいいんじゃないだろうか。保守的であるとみなされてしまっ ているから評価されないのだろうか。少なくとも、社会学系の「フーコーが」からはじまる同じような話が延々続く莫大な文献を読むくらいなら、小浜を一冊読んだ方が刺激的だし、橋爪大三郎や赤川学がまじめに読まれているなら、小浜もアカデミズムの人間にも読まれてもよいのではないだろうか。

しかし小浜は優秀な評論家かもしれんが、「学者」としての資格を満しているといえるかっていうと難しいようだ。まあアカデミズムには興味がないのだろう。

メモ。統計学での3σ。99.7%。残り0.3パーセント。1億2000万なら36万。240人なら0.7ぐらい。数量的な感覚ってのは難しい。

百万遍の読書会を見学。


2006/03/03 (金)

夜明け前に目が覚める。ジョギングして朝から。この時期なにを着ればいいのかわからん。

今日もみぞおち右が微妙な感じ。

う、源泉徴収票が1通見つからない。

突然ディスクがいっぱいに。あら、なんだ? → /Library/Logs/Console にログが60GBぐらい吐き出されていた。消しておく。しばらく監視。このタイプの問題はUNIX知らない人は発見できないんじゃないかな。

3回生と面談。

NHKラジオ語学講座を聞きはじめて6ヶ月目。特にドイツ語の諏訪先生の講座がとても よくて楽しみにしている。このひとはちゃんとした人文学者だと感じる。御年70才、私はどうしたってあと30年ではこの境地には辿りつけないよな。学部5回生のときに土肥先生という方にお世話になったんだが、あの方も人文学者だったな。

将棋界の一番長い日。もうずいぶん指してないなあ。


2006/03/04 (土)

昼まで寝ている。午後から。

昨日から大学ネットワーク工事中。HTTPは通るようになったが、メール不通。全部終るのは月曜らしい。ちょっと長すぎるんじゃないか。メール2日止まるといろいろ心配になる。

小浜逸郎の『中年男性論』おもしろいなあ。書ける人だ。森岡や小谷野とは一味違うな。 非常に意外なのだが、小浜はこの手の問題についてほんとうにまじめに考えている数少ない人間の一人のようだ。学者じゃないから手垢のついた文献をまじめに読んだりする必要がないからなのだろうか。フェミの人々はこの人をまじめに受けとる必要があると思うのだが。

夜までうだうだ。だめ。おなかが空いてチョコレートとか食って気持ち悪くなる。

4月からのスケジュールを確認してうんざりする。今年も時間がない。 ついでにメモ帳について考えて、やっぱり業界で愛用者が多い某出版社の能率手帳に。ほんとうは大学が配っている学生用のやつが便利いいのだが、4月にならないともらえないのがだめなんだよな。

いまさら文献コピーはどう整理しておいたらいいのかとか考える。やっぱり 超整理法なのかな。ファイルキャビネットにアルファベット順に入れるとかよさそうなのだが。んで使ったものは学生に片づけてもらうとか。だめか。ここらへんいまだに形が決まってないところが、いまだに研究者じゃ ないことをよく表わしていると思う。まあ今年は博士課程一回生ぐらいつもりで。初心。(修士かも)人生やりなおし。

ちなみに勉強用のメモはemacsの上のhowmが気にいっている。

ショーペンハウエルおもしろいなあ。


2006/03/05 (日)

昼前に起きる。将棋を見て午後大学。資料整理。

夜、『ホテル・ルワンダ』を見に行く。恐い。 でも一本調子で奥行きが足らず、 実話型社会派映画は芸術作品としては制約が大きいかなとか感じる。怖さも攻撃側のフツの人びとに人格が感じられないからもうひとつだったかもしれない(ラジオのDJはいい!あれの本物の録音があれば、ぜひ聞いてみたい。)。 従業員がアレだったりするのを期待していのだが、さすがにそれは無理だったか。 あの主人公の行動が「職業倫理」や「商業の倫理」にもとづいたものだという見方があるようだけど、それほどはっきり描かれているわけではないようだ。彼が自分の内面と職業と家族生活と共同体生活をどの程度区別していたのかもよくわからず、 もっと漠然としたもののような気がする。 まあ、いつでもはっきりとした判断の基盤をもっている必要があるわけではない。主人公の有能ではあるがノンポリ能天気無反省が、その社会の暗さ、未熟さを示しているというかそういう感じで描いているのだろう。 民族的対立は主人公にとってはたんなる外部の出来事にすぎず、憎悪に共感することも反発することもない。 (ちゃんと描いているけど私が見落しているのかもしれないが、二度見る気にはなれない。)社会派だが、倫理とかそういうものを主題にした映画ではない。まああと2、30年かかるのだろう。ああいう複雑で大きな事件を扱うには、10年じゃ早すぎるんだな。ネクタイ締められないところがよかった。ラストのウィクリフ・ジーンの曲が効いている。やっぱり世界はアメリカから離れられないのかな。

映画に関連した悪夢でうなされ明け方目が覚めてしまう。刺激強すぎた。


2006/03/06 (月)

禁煙2日目。最初の関門はとりあえず抜けた。 これまでのおもな断煙挑戦の記録は以下の通り。 1998年2月2000年7月2001年10月2003年8月2004年12月2005年2月。

まあ今回も成功できるとは思っていない。研究室がクサくないのは素敵だ。

朝から寝てしまい、昼起きる。午後から。情報センターから 新しいパスワードをもらう。システムが安定するまで変更しないでくださいとのこと。やだなあ。

まだメールまわりが混乱している模様。

どうでもいいことなのだが、はてなブックマークの「おとなりページ」、 たしかにおとなりな人々が捕捉されているわけだが、 主観的には「この人々とはあんまりおとなりじゃないよな」「おとなりだと思われるのはいやだ」とか思うことがある。「おすすめページ」も嫌いなページばっかりだってば。

夕方、苦しくなってきた。しかし我慢して入試業務。

そろそろHTMLを書きはじめて10年を越えようとしている。

社会学の人びとにとって、90年代の宮台真司というのはまじめに考えるべき 巨大な対象だったようだ。まじめな論文を1本も書かないのに学者から注目され議論さ れるっていうのはどういうことなんだろう。社会学ってのはよくわからん。

最近もうひとつ気になっているのが、加藤尚武先生〜宮台真司という「リベ ラリズム」誤解の系譜があるように見えるとこだよな。「愚行」というキーワー ドが加藤先生と宮台を結びつけているような気がする。

それに気をとられて、90年代には倫理学者も法 哲学者も政治哲学者も社会学者もちゃんと価値の話をしなかった、ような気がする。


2006/03/07 (火)

朝から。午前中会議。午後学生指導。

チョコとかバカ食い。胸焼け。


2006/03/08 (水)

また夜明け前に目が覚める。早朝から。

コピーの類は適当に年度や時期とテーマ別に分けてコクヨのA4ボックスフォルダに入れる。おそらくそのまま死蔵されることになるんだが。 試行錯誤する修士1回生だな。レイトスターターのスロウラーナー。来年度は修士論文を書きなおすつもりで生きることにしよう。指導教授が欲しいな。老師か某助教授か。

教授会。

子どものころに、「じゃがいもの芽には毒があります」ということを知ってから、 芽をちゃんととらずに料理すると死んでしまうのではないかと恐怖を感じている。 腹こわすくらいなんだろうけどね。でもやっぱりいまだに恐い。死ぬかも。あの芽の生命力がなあ。


2006/03/09 (木)

昼前から。あれ、なんかおなかの調子が悪い。

光プレミアムに移行することにした。・・・と、色々調べるとなんかまずそ う。IPv6だから、自宅サーバーがどうなってしまうのか不明。人柱になってし まう可能性がある。やめとくか。電話対応したNTT西日本係員がさっぱり理解し ていないのも不安をさそう。

雑用。

予算全部きれいに消化。

最近テレビはほとんど見ないのだが、最近心に残った2本。昨日のボクシン グ。執拗なローブローで亀田勝利。ひどい試合。ルールがなければスポーツじゃない。試合もひ どいが番組の亀田の扱いも酷い。テレビ局やまわりの大人が、スポーツ選手だけが持てる特権的な誇りや高邁の心を奪ってしまっている。DQNだったら操作したり虐待してもかまわんと思ってるのだろうか。(亀田君は『明日のジョー』や『はじめの一歩』を読んだろうか?『ロッキー』なら見たろうか?それについて話とかしたかなあ。)

おとといのホスト番組。若い女がひとりで一瞬で何百万円も使っている。カ メラが入ったせいがあるんじゃないかな。風俗嬢だろうが社長令嬢だろうが、 50万は大金だ。50万円を紙屑のように使える人間なんてのは存在しない。どん な素晴しいキャバクラでも一瞬で50万使う男はいない(と思う。知らないけ ど)。ビルゲイツでもこの額をそういう使い方はできない(と思う)。もしい れば、そいつは次の日に死ぬつもりなんだろう。

100万を越せば、それはへたすると人が死ぬ金額なのに。あれ見ておもしろ がっている人間は、人が目の前で本当に破滅するのを見て喜んでいるのだと いうことをどの程度意識していたんだろうか。「お金もってる人はいいね」 「馬鹿だね」ではない。馬鹿が操作されてまいあがって破滅するのを見てるの だ。狂ってる。リンチ。わかって見てるなら邪悪なだけだが、わからないなら 馬鹿だ。皆が自分がリンチを楽しんでいることを意識していることを望む。

まあどちらの番組も、なにかに敵意とかイラダチとかそういうのを感じてダ ウナーだった。こいつらは親も含めて勘違いしたDQNだから笑いものにしてもよい、こいつらはホスト狂いの風俗嬢だからひどい目に会ってもよい、いやひどい目にあって当然だ、ひどい目に会うべきだという隠された感覚がたまらん。もう今のテレビ番組制作者にとっては豊田商事事件とかバクシー シ山下とかは遠いことなんだろう。というか、なんか根拠はないけど、業界内 での世代間の経験知やethicというか誇りとかそういうのの引き継ぎのようなもの がよくできてないんじゃないかなと思わせる。各分野で徒弟制を復活させてはどうか。 (もちろん私もちゃんと修行しなければならない)

夜雨。一雨ごとに暖くなる。

とか書いてると、この時期だけは毎年平和だ。 この時期になると必ずリンクする人生の小春日和。私(とこの日記の)の原点なんだろうと思う。


2006/03/10 (金)

床屋(ひさしぶりに馬町の美容室)。昼前から。

なんか胃の調子が悪いなあ。タバコは吸ってないし、酒もほとんど飲んでないのに。

げ、ヘッドホンのケーブルがコネクタのあたりで切れそうだ。高いのに。

調子悪くてなにも進まず。タバコ吸ってしまう。いかん。さっさと帰って寝よう。

情報センターから「システムが安定するまで変えないでくださいね」と言われた パスワード、やはり紙をなくしてしまった。もちろんおぼえているはずもない。殺す。そもそも パスワード変更をどうしたらいいかの指示もない。殺す。1年ほど情報システムとは縁が切れていたが、 一戦まじえる必要があるか。

BSで『恋愛小説家』。見るのは2度目か3度目だと思うが、好きだねこの映画。90年代アメリカ恋愛映画の最高峰 つかみからして超名作。隅から隅までよくできている。人間はクレイジーでも成功して金もってた方がいいだろうかとか、人格なんか成功してから身につけりゃいいかなとか、アメリカが音楽産業とハリウッドを持っていなかったらどうなってたんだろうかとか。まあたしかに Me too wanna be a better man. (ちなみに80年代は「恋人たちの予感」だと思う。この2作の距離が80年代と90年代の距離。まあどっちもリアルなわけじゃなくて、80年代と90年代にどういう人間関係が求められて たかってことなんだろうけど。特に女性によって。女性がどう男性を見るかという視点が変わっているのを感じる。あと女がどうあるべきかってのも。男の方の自己認識と妄想はたいして変わってないだろう。)(ちなみにブリジットジョーンズが2000年代の代表になることはないだろう。)

夜久しぶりに外で飲む。タバコも吸う。至上の愛のアウトテイク聞いたり。


2006/03/11 (土)

二日酔い。最低。いろいろ反省。

午後ネットの人と遊ぶ。

禁煙には完全な成功というのがない。また吸いはじめてしまうからもしれないから、禁煙に成功したかどうかは結局死ぬまでわからない。 しかしそういう意味では「失敗」もありえないことになってしまうのではないか。 禁煙に失敗してしまった、と思う必要はないわけだ。こう考えるのはなんだか混乱した思考のような気がする。


2006/03/12 (日)

小雨。暗い。何もする気になれないが、昼から片づけものをしに研究室。

各種のwebサーバになっているmelisandeが不調。ときどき止まっていたのだが、 原因は電源ユニットのファンがちゃんと動いておらず高温になり自動停止していたらしい。 箱を開けてみると、たしかにちゃんと回っていない。(どうも機械的な問題のようだ) どうするかな。危険だからこのまま動かすわけにはいかない。うーん。 たくさんサーバーを立ちあげておくような時代ではないと思うので、 学部のサーバーと統一したいのだが。相談しよう。

http://blog.zaq.ne.jp/spisin/ 下品だな。これがスピリチュアルなのか。 やっぱり人間品格が大事だ。他山の石とすべし。

本人の実感から離れてしまっていること、少なくとも一度は独力でまじめに考 えたことがないこと、自分が問題の広さと深さをどの程度理解しているかを把 握していないことなんかを書いたものは、その不正確さだけでなく、そういうもの独特の浅さ、 広がりのなさ、奥行きのなさによって読者にはっきり知られてしまう。日常会 話で話すことも同様。奥行きのある人間になりたいものだが難しい。

ちょっと興味をもった http://d.hatena.ne.jp/makotonomura/。 もと今熊野女子大講師。 文章がなんか正直でよい。やることが定まりつつある感じがういういしくてうらやましいと思う。 そういう感じを同世代の優秀な人びとに感じることが多くなった、というよりふつうのことになった。もう将来ちゃんとする人びとはちゃんとした年頃なのだということを感じる。 物理的にけっこうすれちがっていたろうが面識はない。「しょうぎ作曲」というのがおもしろそうで、機会があればお友達になりたかったような気がする。

こういうのは文章じゃ説得力がないから音源出せばいいのにと思う。セミプ ロやアマチュアバンドでもwebやblogだけもってて音源出してないバンドがけっ こうあり、まったくもったいないことだと思う。たいした手間かからないんだ から。ていうか、音源出さずに文章だけ出してるのはむしろ奇妙で奇怪。音楽 家は音楽で勝負しないとならんのだから、これほどよい時代になったのに音源 出さないなんて理解できない。正直なところ、「メジャーじゃない奴はもった いぶるな俺が聞いてやるからとりあえず音源出せお前がどんな奴か見せてみ ろ!」とか言いたくなるのだが、そりゃ言いすぎだろう。著作権の問題とかが あるのか。まあ、武満先生じゃないんだから、文章読んだだけでは、なにがし かの金はらって音源を買ったり演奏会に行ったりするほどの力を感じないとい うことでもある(iTunesで100円なら払うかもしれん)。

前にも書いたが、武満先生が文章書かなかったら、彼の音楽家としての評価はもっと低かったろう。でもそこらへんが武満先生の正当な評価なんじゃないかという気はする。 でも録音じゃ意味がないのかな。そういうタイプの音楽もある。(「しょうぎ作曲」のはてなキーワードを自分で書いているのに、どういうものかよくわからない記述になっているのはどうか。)

言うまでもないが、文系学者の場合はごちゃごちゃwebとか書いてないで論文書かないとダメだってことでもあるな。勉強しなきゃ。

部屋の掃除をするつもりが、CVSディレクトリの整理をしてしまう。いかん。帰ろう。

帰りにPCパーツ屋に寄る。melisandeは新しい電源つきケースを買って工作すれば 助かりそうな気がするが、工作苦手なんだよな。そういうのが得意な知りあいを作っておけばよかった。

ホリエモンは50日間本を読んで、なにか得るところがあったろうか。なんか うらやましい。

ジミヘンのギター壊し映像とかまたCMに使われてるようだが、あれはいかんよな。 見るたびにいやな気分になる。嫌い。タウンゼントもブラックモアも許さん。 キースリチャーズがギターで客殴るやつは許す。 クラッシュのあのジャケット写真は許す。あれ?なんでジミヘンはかっこ悪いんだろう。

お休み。だらだらビール飲む。


2006/03/13 (月)

二日酔い。ばか。 なご〜りー雪も〜降る〜ときを〜。

昼から。まず雑用を片づけねば。

光プレミアはサーバー用途には問題が起こりそうなのでしばらく見送り。 もうちょっと情報を集めてからでないと危険。

学内のネットワークはまだ落ちつかず、パスワードも初期パスワードから変 えられない。やだなあ。管理者が苦労しているようだ。 でも無理矢理変えてもらった。すまんです。でも覚え にくいパスワードを紙で持って歩くなんて絶対いやだもんね。

確定申告忘れていた。ううん、こんなにとられるのか。今年は前納しているから去年よりは楽か。しかしこれほど稼いでいるのにちっとも楽じゃない、どころか綱渡りなのはなぜだ。

聴講しなければならなかった講演会をすっぽかしてしまう。

教授会。なにかを説明するときは余計なことを言うと混乱するのでシンプルに。

大学教員と各種雑用との関係(あるいはいかにして大学教員に雑用させるか) というのは、大学行政の最大の課題だよな。たいていの私学では、事務系の人 間がやるべき仕事も教員系にまわってきているという問題もあるのだが、たし かに教員がやらなきゃだめな仕事も多い。特に教育まわりは当然教員がやらな いとまずい。まじめに教育しようと思えば、ある程度雑用行政もしなくちゃな らん。

もう議論しつくされているが、第一に、大学教員の評価なんてのは業績だけ、 せいぜい教育で、大学行政なんてのはまったく評価されないのだから、会議そ の他で時間がとられるような仕事なんてするインセンティブがさっぱりない。 そもそも教育よりも研究したくて大学にいるわけだし。卒直にいって、大学内 行政に興味のあることを示す教員がまわりから評価されることはない。むしろ 評価が下がる。

第二に、そういう仕事ができる人は大学教員のなかではほんの一部のひとだけで、 私のような無能な人間はやるだけ無駄というか仕事とミスが増えるだけ。

第三に、そういう仕事を強制する手段がおそらくないし、やりたくない人び とに仕事をまかせると余計にまわりがたいへんなので一部の人びとに仕事がか たよる。この不公平感が、まともな人びとのモラルを下げてしまう。

第四に、なにかを積極的に創造したりする仕事は望んでやる人も いるだろうが、消極的に保守したりダメにならないように配慮したりする仕事というのは どんな仕事でもつらい仕事のように見える。教員の雑用の多くは消極的な仕事で、 心理的な報酬を見だすのがむずかしい。(実は保守するだけでもたいへんなわけだが)

教授以上の職階がない、とかってのもポイントなんだろうか。

やっぱり不公平感ってのはかなり強烈だな。私自身はまあやらなきゃなら ん仕事はしょうがないと思ってしまうタイプなわけだけど、待遇に格差がある とやっぱりなあ。

一般企業でもそういう問題はあるんだろうが、ボーナスや昇進などで原理的 には解決されているんだろうと思う。こういうのが経営学って学問の対象なの かな?ぜんぜん知らないけど。どうなんかね。どの程度雑用に時間をとられた かを計量して給料やボーナスに反映するとかってのは無理なのか。大学教員組 織についての専門家というのが実はいないのが問題なのか。まあ私が考えても無駄だし 皆から馬鹿にされそうだから考えないようにしよう。

悩んだ末に、PCパーツ屋でMicro ATXケース購入。はじめてのPC組み立て。 この年で初めての組み立てしようという人間というのは実は希少かもしれない。 そういうのが好きひとはすでにやってるし、好きじゃないひとは一生やらない。

歯医者。歯石とり。きれいにしてもらったので禁煙再開。

水幡正蔵ってまだがんばってたのか。 トンデモ系ってのは、関心の対象より、思考や表現の形式に共通の特徴があるよな。 広がりのなさというか新奇な情報の少なさ、生産性の低さその他。 分裂症患者の書くものが陳腐で退屈なのと共通したものを感じるし、 科学的な論理の問題というよりは関心の狭さや自己意識の問題に見える。 我々の病的な思考にはおそらく限られたパターンしかないんだろう。 ってことは、われわれの正常な思考はかなり少数のシンプルな機能の集合ということ なのかもしれん。あ、こんなこと考えてるとトンデモに。

来年度は学生をすべて「君」づけで呼んでみようかと思ったり。 ひとむかし前のいままでは一律に姓と「君」(男子)、「さん」(女子)。 君づけにはかなり抵抗あるが、財前助教授のようでよいかもしれない。


2006/03/14 (火)

とりあえずこの公開日記を丸10年分書ききった模様。ある種の感銘がある。 書きはじめたころは10年後のことなんか 考える余裕はまったくなかったし想像もつかなかったが、 なんとか生きのびている。まあ支えてくれた人々に感謝。 10年で4MBぐらい。実際に書いたのは50万字〜100万弱の間ぐらいか。 日付をgrepしてみると実記載は3652日中の3589日。9割8分3厘。すばらしい。 いにしえの「書き殴り宣言」がなつかしい。いまじゃとても推奨できない立場だけど。世間の人々が皆ネットにそれぞれの生を書き殴りはじめ、こんなにゴミだらけになるとは思ってなかった。セカンドディケードは環境にやさしい書き殴りを考えよう。 HTML原理主義の方はweb書きソフトやblogの発展によってほぼ時代遅れになったようだ。

午前中税務署へ。前納していた分をどうするのか尋ねると「あっちで書きな おしてもらってください」とのこと。で、親切で几帳面なお兄さんに直しても らうが、これまで申告書の書き方をまったくまちがっていたかもしれないとい うことに気づいてしまう。どれくらい損したんだろうと考えると気分が悪くな る。なんでいままで教えてくれなかったんだと叫びたくなるが、社会というの はそういうものなのだろう。もう自分の身は自分で守らないとならんのだ。あ たりまえのことに気づかされる。

加熱製本カバーを買いにわざわざ百万遍まで。学生の卒論をコピーして簡易製本。コピーとか たいへんだし不器用でうまくできないから、来年は業者に製本してもらおう。

全国のオーバードクター事情がこの10年でよくなったのかそうでないのかは よくわからない。学振PDだのCOEだの任期つき採用だので景気がよくなったよう にも見えるが、それより多数のODが生みだされて路頭に迷ったり絶望したりし ているような気もするし、大学と人文系教員が金と力を持つことの弊害も生み だされたような気がする(しかし今はそれも理解されるようになってきている ようだ)。私と同時期に苦難を味わっていたひとでまだ困っている人も多数い るだろう。業績も諸能力もある人が絶望しているのに、私がなんのかんのと文 句を言いつつそこそこ楽しく生きて税務署行ったりしているのは運がよかった としか言いようがない。自分の無能と怠惰に、みぞおちのあたりに罪悪感も感 じる。私が関心をもっている人々がなんとか生き残っているのはめでたい。

勉強的には同世代の「できる」と思っていた人々は皆それなりに出世し、次 の世代が光を浴びる時期になっている。インチキだと思っていたものは相対的 に力を失なった。一時期感じていた閉塞感のようなものはなくなったと思う。 私がだめでもちゃんとした人々がちゃんとしてくれれば勉強的には文句がない。

I'm matured.


2006/03/15 (水)

10周年祝いのメールをいただく。ありがとうございます。

卒業式。午前中からスーツ来て出勤。スーツ着るたびに履く靴がないことに気づくのだが、 いつも忘れてしまう。

夜卒業パーティー。ネクタイが綻びていることを厳しく指摘される。


2006/03/16 (木)

昼から。

10年前の新聞記事。川田隆さん(30)、悲惨だ。まあその彼もいまは40過ぎ、いろいろ悩みながらもそれなりに元気に暮しているだろう。

はじめてのPC工作。というかケース交換。 面倒なのでフロッピードライブもCDドライブも載せず。 電源スイッチ等の配線がわからなくなり往生。 なんとかマザーボードの型式を調べ、MSIのサイトからドキュメントを落してきてなんとか解決したか、と思えば、スイッチが物理的におかしい。 苦労のすえ見てくれにこだわらずなんとか解決。melisande復活。

何人かから昨日の演奏はよかったわよ、と慰めてもらう。学生には もうひとつウケなかったなあ。

最近 「世界に一つだけの花」を皆で歌う、という企画があっ たのだが、ちょっと困った。「君が代」も微妙だが、一応国歌ということになってるんだから場合によっては歌えるような気がするが、「世界に〜」ほど内容がthickなやつは無理だなあ。歌っていうのは難しいものだ。マッキーは好きだしSMAPも嫌いじゃないんだけどね。 「高槻市的なもの」ってのがあるよな。

よくわからないが、君が代が歌えそうな気がするのは演奏時間のせいもあるか もしれないし、それほどthickな内容でもないからかもしれない。ううむ。 レノン好きでも "Imagine"皆で歌おうと言われたら同様に困るよな。同じようでも "Mind Games"や"Power to the people"だったら大丈夫だし、"War is over"も まあOK。

PowerBookの液晶を踏んで割ってしまう。あいたたた。いくらかかるかな。 6ケタか。

どうでもいいけど、なぜ講義概要集をシラバスと呼ぶのか。syllabusの複数はsyllabiだよな。

谷川名人挑戦へ。がんばってるな。久しぶりに将棋指したい。

なんか最近わあわあ言ってたので、ここらで心を落ちつけねば。

Camille PagliaのVamps & Trampsの MacKinnon-Dworkinに対する凶悪な精神的虐殺("The Return of Carry Nation: Catharine MacKinnon and Andrea Dworkin")を読んで震える。あまりにも効果的な対人攻撃。恐い。Truly X-Rated。 こんなに有効な悪口というか誹謗というか そういうものを書けるというのは、まったくの異文化を感じる。他には(日本語でも英語でも)似たものを 読んだことがないと思う。 文章もきらびやかというかゴージャスで、このひとほど語彙が豊富な英文は滅多に見かけない。 シソーラスを有効に使っているんだろうか。いや、地の文章なんだろうな。


2006/03/17 (金)

明け方から仮眠昼前から大学。

まあしかし、パーミラ1冊ななめ読みすると、この人がアメリカのマスコミ で急速に消費されつくされてしまったというのがよくわかる。2冊目のエッセイ にしてほぼ言うことがなくなっているし、自慢の学者魂も見る影もない。おそ らく20年かかって作ったアイディアの蓄積を2、3年で放出してしまったのだな。 なんか悲惨でもあるし、アメリカで「知識人」であるっていうのは他の国より たいへんのようだ。

しかしアレだ。90年代前半なんてのは私(我々業界人?)にとってはつい最近と、 いうか一瞬前なのだが(プラトンだのアリストテレスだのと比べたら80年代の 論文だって「新しい」方で、2000年ぐらいのは「最新」)、他の業種の人々に とってはけっこう前のことなんだろうな。

去年の卒業生来訪。


2006/03/18 (土)

昼前に起きる。

いったん研究室に寄ってから百万遍で読書会の見学。やっとどういう話なのか わかってきた。スローラーナー。

先崎学B1陥落を知りショック。先崎先生も中年の苦しい泥沼の時期に。 それにしてもほんとうに将棋連盟という組織は大学や学会と似てる。 つぶれかけて改革だーとかまで。

夜も研究室。 貴重な時間を有効に使わねばと考えれば考えるほど無駄にしてしまう。

Christina Hoff SommersのWho Stole Feminism読んだり。これに触れている webをgoogleで日本語ページを検索すると4ページ分、実質的な内容に触れてい るページはmacskaさん(中の人は誰なんだろう)を入れても3、4件しかない。 ううむ。まあSommers自身が指摘しているように、人文社会系の分野では、派手 なことうがったことを言わないと注目されないし、他人のミスをつついても業績にならない 傾向があるから、ネガティブな本は嫌われるよな。

ここらへんの研究についていろいろ考える。哲学や倫理学の訓練しか受けず に「応用倫理学」(やっぱりいやな言葉だなあ)なんて漠然とした領域の専門 家になるというのはやっぱり無理だと思う。特に先行研究が自分の基準で信用 できない場合には絶望的だな。少なくとも国内のふつうの大学では図書館の蔵 書も限られているから、能力や時間だけでなく、経済的にも無理。応用倫理学 のなかでも範囲をぐっと狭めて「哲学が出自で〜問題が専門」という形ならか ろうじて可能かもしれないけど。「モデレーターとしての応用倫理学者」って のもちょっと怪しいような気がする。いや、そういう意味では「哲学」の専門 家なんてのも、ネーゲルやノージックでないかぎり無理か。

大学でオムニバスとかの授業するときも、やっぱり責任をもって原資料に当 たるつもりでいないとまちがいやごまかしを再生産しまうことになるんだよな。 反省。自分が知ってる分野ならそういうことは少ないような気がするが、興味 はあるが十分には知らない、という領域が特に危ない。特に実証的データが出 てきたときどうするか、ってあたりでその人の教員としての価値と格が決まっ てしまいそうだ。そういう意味で研究者じゃないのは大学教員じゃない。大学 教員に指導要項や指定教科書がないのはそういうことなのだ。大学教員は自律 していなければならない。まだプロじゃないから大学院生のつもりでがんばろ う。めざせプロフェッショナル。4月からはM2ぐらいのつもりで。発表して修論ぐらいは 書こう。

ところで、恐い先生の本を眺めていたら

わたしは、哲学の世界で何とか飯を食うためにいろいろな分野を渡り歩いた・・・
とかって一文を見かけショックを受ける。ううむ、韜晦もはいっているのだろうが、 一部にはたしかにそういう意識があったのかもな。ああいう人でもなあ。

フェミニズムバックラッシュについてもちょっと考えてみたり。 日本の場合、社会問題に密接な話っていうのは商業誌や書籍を中心に行なわれているんで、 どうしても大きな話になっちゃう傾向があるような気がする。学会誌と査読が うまくいってないんだな。 それに岩波と勁草と青土社が力持ちすぎてるんじゃないかという気もする。 というか、この三社の出版方針があれなんではないだろうか。 BlackwellとかRoutledgeとかはちゃんとしてるよな。 木鐸社と有斐閣は好き:-)


2006/03/19 (日)

朝帰ってNHK将棋を見て寝る。日が暮れてから起きる。

夜研究室。3月も残り少ない。心を落ちつけるべし。とにかく机のまわりを片づけよう。


2006/03/20 (月)

朝帰宅。仮眠するつもりが本気で寝てしまい、会議と学生との面談をすっぽかしてしまう。 だめだめ。

夜まで研究室。


2006/03/21 (火)

昼前に起きて、衣笠大学某学科系非常勤講師懇談会。お昼をもらう。 ワレワレはあ、ツギの待遇改善をヨウキュウするう。

授業の質を確保するには、上の一番最後のものが重要な気がするのだが、 実際には難しいだろうと思う。まあ言っといただけ。こういうのはクビになっても 平気な立場の人間が言わねばならんのだと思うので。

衣笠キャンパスは卒業式。卒業おめでとう。まあ巨大大学の卒業式は多彩でいいよな。 (もちろん華やかさだけなら今熊野女子の方が上)

鶯が帰ってきた(とはいえ去年と同一個体かどうかはまだ不明)。今年もよろしく。

とりあえず机の上だけでもクリーンに使う方法を知りたい。百万遍に生息しているムーディー君にお伺い立ててみるか。

メールサーバー交換で、メールが読めない。

ポストモダンについてもしばらく考える。 やっぱりポイントは生産性のなさにあるような気がする。 ラカンでもデリダでもバトラーでもなんでもいいが、 いつまでたってもそれが共通知識にならず、 それをちゃんと「理解した」と主張する人びとがそれにもとづいて なに新奇なものを生みだすことができない、ってのが問題なのだと思う。 それと比べると、現象学も構造主義も論理実証主義も日常言語学派も言語ゲームも パラダイム論も枠組としては生産的だよな。 そういう意味では、フーコーの歴史主義自体は生産的だったような気がする。 だめなのはフーコーのやり方が実はたいしてオリジナルじゃないし、 彼が提出した発見の多くはさっぱり正しくなかったというところか。


2006/03/22 (水)

寝違えて首が回らない。午前中から会議。昼も会議。

送別会。その後ちょっと飲む。Princeの3121を聞く。飲み過ぎ。


2006/03/23 (木)

寝違え悪化。さらに首がまわらなくなる。困った。ストレッチとかすると さらに悪化してしまうだろうし。

午後から。調子悪くてどうにもならず。まずい。

学生の指導。

調子悪過ぎるので早帰。

岩月謙司香川大学教授に実刑判決。

この調子の悪さは、ただの寝違えや二日酔いではなく、風邪かなにかではないのか。 そういやしばらく風邪ひいてないし、季節の変わり目だし。寝込むことにする。

私も一回輪切りになりたいなあ。人間ドッグとかどうなんだろう。

アマチュアバンドの視聴とかでMMSとかで配信しているのうざい。OS Xじゃ再生できない。 もっと一般的なプロトコルやエンコード使えや。mp3にせんかい。


2006/03/24 (金)

とにかく睡眠で回復を図る。読書会はパス。 まだ首から背中がしびれたようで調子悪い。

午後遅くに研究室。

宮川泰先生が御逝去されていたようだ。2ちゃんねる速報+スレには 自分が酔っ払って書いたのかと思うような文章が多数あり(書いてないけど)。 同年代の音楽好きの一部には彼の音楽が原点になっている人間が多数いるんだろう。 The 60's kids have aged.

Pat Califiaとか、Pagliaと同じようなことを言っているようでも ぜんぜんおもしろいと思えない。格が違う。 やっぱり私は政治はわからんということか。


2006/03/25 (土)

昼帰って寝て夜また出てくる。がんばれがんばれ。

やはり安物イヤホンに我慢できず、 ヘッドホン (Senheiser PX 200)をもう1台買ってしまう。この保証書を利用して 断線したやつを直すという姑息な手段を使ってみるつもり。

CD買い物に行きづまっているのが感じられる。クラシックはもう一通り集めたので、 作曲家ではなく演奏家から行くしかないだろう。

しばらく絶食とかするべきではないだろうか。月曜過ぎたら精進して新年度に備えよう。


2006/03/26 (日)

朝。やばい。

あたりまえのことなんだろうけど、今ネットその他のメディアを通じて「ジェ ンダーフリー」とかを叩いている人々ってのは、意図的にデマをばらまいてる し、かなりきちんと組織化されているんだよな。主張と手法がほとんど一様に なってしまっているのが、その集団がたいした多様性をもっておらず組織化さ れていることを感じさせる。中心になってものを考えている人数もそんなにい ないはずだ(そうでなければよほどものを考えることができない人々の集団 だ)。サーチエンジンもどうなんだろうか。統一協会かもっていう話があるよ うだが、そんなに力があるとも思えないよな。どうも信じられん。あちこちの 団体から少しずつ金と労力が出てるとかそういう感じなんだろうか。男女同権 ぐらいのことに反対しなきゃならないひとびとってのはどういう人々がなかな か分からない。見えないところでなにかが起こってるかもしれないってのはか なり恐い。ただの陰謀説ならよいのだが。

恐い先生退官最終講義。内容はよくわからんが気合いだけはわかった。

パーティー。 なごやかでよかった。 学生から敬愛されて退官するというのは、まさに成功した学者人生の印。 十分な業績も残したし、(一般社会からの評価はともかく)同業者からの評価は高く、教育者としても一流だった。 教えを受けた人びとは遠くからも(おそらく自費で)大集合で、実質クラス会のようだ。研究室の同年代の集団も見事に出世したり、とにもかくにもサバイバルしたりして全国(世界中?)に散っている。 「「学恩」とかってのを感じるのは小学校の卒業式以来だなあ」とか言う人もあり。 第二の研究する人生もうまく行くことを望むです。

やばいので二次会は出席せず。


2006/03/27 (月)

朝から泣きながら研究室。けっきょくしあがらず。

午後研究会。泣きながら発表。だめだめ。うう。


2006/03/28 (火)

昼過ぎまで寝てしまう。 雑用電話に起こされ、大学で雑用。ごめんなさいごめんなさい。

いまだに首まわらず。昨日より悪くなってる。これは肩こりなのか?

だめ。なにもできず。

昨日あばれたメモ。

「サルトル意識せずにフーコー読むのはどうか」

(これは今日も本気でそう思っている。なぜ同じ文脈で論じてやらないのか私には理解できない。なんか国内での受容の方法に問題があるのではないかと思う。でもまじめにやる気はない。)

「デリダやフーコーやラカンは狭い意味では哲学者じゃない。それにそういうものを勉強するのは生産性が低い」
「生産性ってどういうこと?」
「うーん、読んで知識が増える感じ。ナイフが研がれる感じ。 デリダやフーコーやラカンの名前を出さずに引用して 論文書いてもちゃんと読めるものになる感じ。」

(これはよい答だったと思うが、今思えば、もっと正直に 「パラフレーズしたら論文になる感じ」「そのまま剽窃できる感じ」と答えてもよかったろうと思う。ヒュームだったらパラフレーズしたら「論文」になるんじゃないか。もちろん価値はないけど。「狭い意味」の哲学者ってのは「私が考える哲学者」ってことだよな。)

「女性(のセクシュアリティ)のモノ化は商品化に先行するってのはどうか。性は資本制のもとで〜」
「女性はもっと昔からモノ化されてました。」

(婚姻制度とモノ化と商品化が多くの人のなかでごっちゃになっていることがわかった。これは分析の必要がある。婚姻と性愛がごっちゃになっているのもあり。)

「恋愛や性愛ってのは近代的な〜」
「ギリシア古典でもなんでも、読めばなんのことを書いてるか理解できるっしょ。 あんたら、万葉集や源氏を(共感的に)読んだことないんかいな」

(性愛と「ロマンチックラブ」の区別をちゃんとしないと。 ルージュモンも実は読まれずに使われている一人だし、 そういうこと言う人びとが国内の古典をどう読んでいるのか考える必要がある。もちろん、国内で明治後半から大正にかけていろんなことがあったのはわかる。)

「ジュディス・バトラーは〜」
「バトラーがウケたのは、 「クイアでゴー」という結論だけで、そこまでの論証が評価されたわけではないと思います。『ジェンダートラブル』で参照されている文献ちゃんと読んだんですか? 特にファウストスターリングがどういう立場にいるか理解してますか? 最近続々出ている生物学系の本に目を通してますか?」

(デリダやフーコーはこれから読んで直接叩く気はないけど、バトラーは読んでしまったから目の前に出てきたら叩く。)

「生産性」についてはもうちょっと言うべきことがありそうな気がする。 おそらく「現代思想」な人びとがだめなのは、 フーコーなりバトラーなりデリダなり読むのでせいいっぱいになってしまって、 それが参照している文献を読むことが(時間や労力といったリソース的)にでき なくなることだろう。あるいは、そういう検証を拒むなにかがある。 ヘーゲルやキェルケゴールの研究者なんかもそういう傾向がある。 一方、ヒュームやミルを読むのでせいいっぱいということになることはないだろうと思う。 カントだってがんばれば読める。おそらくこれが言いたかった生産性。

難しくても価値があることが わかっていれば読むわけだ。でもそれは価値のあることを書いているひとが 「あれは価値がある」と言っているのを信用してそうするわけで。古典で残っている ものはほとんどすべて読む価値があることがわかっているわけだが、 はたしてデリダやフーコーやラカンにそういう価値があるかな?すでにラカンは 価値がなくなっているようだが、残り二人はどうなるんだろう。


2006/03/29 (水)

朝から。だめだめだが授業準備とかしておく。首は少しよくなった。

だらだらしているとあっという間に夕方。

夜、アルティで「第17回京都フランス音楽アカデミー アンサンブル・スペ シャル・コンサート2006」。メシアンの黒つぐみ、弦楽四重奏でフーガの技法、 世の終りのための四重奏曲。フーガの技法は途中で止まってしまって最初から やりなおしたりしてアレだったが、メシアンの「世の終り〜」はよかった。20 世紀ゲソダイ音楽最大の名曲のひとつ。CDで聞いているとそうは感じないが、 目の前でやってもらうと指揮者なしではかなり演奏困難なことがわかる。生で 聴けてよかった。これに比する曲ってのはそんなにないかもなあ。サルトルが 『存在と無』書いたりしてた時期なわけで、20世紀半ばまでのフランスはほん とうに力があった。


2006/03/30 (木)

延々と寝てしまう。午後からあわてて。雑用。わあ3月が終るう。

寮への新入生が近所の雑貨屋で衣類ケースを買うために行列する毎年の風景 あの雑貨屋はこの時期に1年分かせぐのではないかとにらんでいる。 また長い一年がはじまるなあ。新入生諸君の4年間がよい時期であればよいと思う。

それにしても寒い。夕方は雪がちらほら。♪Sometimes it snows in April〜。

いったん帰宅して正しい食事。 夜ふたたび研究室。どういうわけか暖房が入らない。

ここらへんから始めて、 ついにラジオフランス語講座初級を半年間聞き通した。(英会話上級とビジ ネス英会話とドイツ語初級も聞いた。中国語は挫折。) iPodとAudio Hijack Proは偉大だ。ある種の感慨あり。 パリのユミもケルンのケンもお元気で。ニコの家族もお元気で。 春からはドイツ語やめて中国語を加えるか。

ちなみにPodcastでの語学勉強はさすがに少し飽きてお休み中。新しいのを 探してもよいかもしれんが、NHKだけでおもしろくて十分な感じ。

どうでもいいが、ベルクの「抒情組曲」もかなり演奏困難な曲(これは聞い ただけでわかる)なので一度生で見てみたい。いったい世界で何組ぐらいが演 奏できるんだろうか。プロなら当然弾ける、という曲ではないような気がする。

http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=1471 Japan Skepticsが小松美彦講演会、か。どうなってんだ、と思ったら コメントにその旨の指摘あり。見物に行くかな。っていうか、 Japan Skepticsってどういう団体なんだろう。なんか滑稽なものが そこにあるような気もしないでもない。

久しぶりにキェルケゴール読んでみたり。 読んでも読んでも終わらず、既視感のある文章が何度も出てくる。 部分的には印象的だが全体としてなにが書いてあるのか把握するのが困難で、 まったくボルヘスの『砂の本』のようだ。

私はそもそもショパンやラフマニノフとかの音楽がよくわからんので、 そういうのを好んで弾くホロヴィッツというひとのよさもよくわからんのだが、シューマンだけはたしかによいと思う。


2006/03/31 (金)

だめだめ。でもこつこつ。明日から修士2回生に進級するつもりで。

夜明けが早くなった。雪が散っている。

いったん帰宅してシャワーあびたら寝てしまう。だめだめ。

午後もと学生の面倒見1件。

ごじんまり研究会というか茶話会。 ちまちま活動するのだ。


EGUCHI Satoshi <eguchi.satoshi@gmail.com>